Sun 160327 赤門旋風1981 列を作るか、割り込むか(ドイツ・クリスマス紀行26) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160327 赤門旋風1981 列を作るか、割り込むか(ドイツ・クリスマス紀行26)

 昨日は負けはしたが、今年の東大野球部の健闘は見事である。甲子園組がズラリとそろう明治の強力打線に立ちはだかったエース宮台君は立派。ボクチンはもちろん明治の諸君も大好きであるが、東大ナインの健闘ぶりに、思わず1981年「赤門旋風」を思い出していた。

「投げては完封、打ってはホームラン」。1981年の赤門旋風をリードしたのは、エース大山投手の大奮闘だった。リーグ戦初戦の法政には1勝2敗。しかしその後、早稲田から勝ち点、慶応からも勝ち点。もしも立教から勝ち点を奪えば、明治と首位を争う状況にまで昇りつめていた。

 あの年、法政には大スター「西田と小早川」がいた。卒業直後からプロ野球の世界を席巻した天才たちである。しかし東大のエース大山と、2番手投手 ☞ 国友が、その天才軍団に立ちふさがった。確かに法政に勝ち点は奪われたが、それでも見事に1勝を勝ち取った。

 早稲田と慶応を連覇した後、立教との死闘は今もなお今井君の記憶に新しい。1勝1敗1引き分け。確かあの年の立教には「野口」というスター投手がいて、野口は3連投も4連投も辞さず、東大撃破に全力を尽くした。
KDW
(ドイツ最大の百貨店「KaDeWe」。これで「カーデーヴェー」と発音する。クリスマス風に赤くライトアップしてみたらしい)

 最後の立教戦で力尽き、さすがに優勝は逃したが、「あわや、東大が2位!?」というところまで迫った赤門旋風。平野監督が率いた1981年の東大野球部について、諸君、もっともっと語り合おうじゃないか。

 あれから35年。あの時のエース大山はもう60歳に近い。さすがに東大出身のエリートだから、今ごろはきっと政官財界のトップに君臨していらっしゃるんだろうし、「投げては完封&打ってはホームラン」な人生が続いていることと推察するが、「夢よ♡もう一度」というファンの思いに変わりはない。

 1981年、立教に敗れた後の東大は、その後の明治戦であえなく連敗。優勝とか2位とかまで期待されながら、結局は4位に沈んだ。それでも諸君、押しも押されもせぬ「4位」であって、十分に「赤門旋風」の名に値すると信じる。

 2016年の選手諸君には、「赤門旋風、再び」の迫力を感じるのである。ま、問題があるとすれば応援ですかな。余りにも少人数、「T、O、K、Y、O!! トーーダイ!!」という絶叫には、もうヒト工夫あってもいいんじゃないだろうか。
クリスマス市1
(ベルリン西部の繁華街、ツォーロギッシャーガルテンのクリスマス市。ウンター・デン・リンデンより、雰囲気はググッと下町っぽくなる)

 さて、「ドイツ・クリスマス紀行」であるが、ライプツィヒとドレスデンへの小旅行を終えたワタクシは、「12月25日以降は年末までずっとベルリンで」と決めていた。クリスマス市を満喫する旅である。クリスマス市と言えば、やっぱりベルリンが本家。これ以上ベルリンから移動する必要はないだろう。

「入場料1ユーロ」、マコトにエレガントなウンター・デン・リンデンのクリスマス市に連日入り浸っていたワタクシであるが、もちろん「誰でもOK」の無料クリスマス市も大好き。「無料」と言った瞬間にいきなりググッと下卑てしまうのも、またスンバラスイじゃないか。

「列を作らない」
「割り込み自由」
「店の前にお団子ができる」
「むしろ、割り込まないほうが迷惑」
「マナー? それってなあに?」
諸君、マナーが自慢であるらしいヨーロッパだって、おとぎ話の国 ☞ ジパングと比較すれば、いやはや、ほとんどドロドロした混沌の世界である。

 他人のマナーには口うるさいが、自分たちのマナーには知らん顔。割り込むは&割り込むは。他人の割り込みにはキビシイ顔で舌打ちしても、自分の割り込みにはちっとも後ろめたさを感じない。「いいじゃないか、おめでたいクリスマス市なんだから」。ま、そういうことである。
アマレット
(ホットワインの「アマレット入り」。アマレットに漬け込んだサクランボが、ギュギュッとアルコール度を高めてくれる)

 この場合、スペイン人はマコトに野性的。割り込みでも男子も女子もマコトにセクシーであって、その悪漢ぶりがむしろカッコいい。「さすがピカレスク小説の本場」というか、列に大人しく並ぶヒツジみたいな存在は、スペインでは要するにカッコ悪いのである。

 イタリアは「ナーナーの本場」であって、並ばない人々が正常、「並ぶ」なんてメンドーな秩序に従うのはむしろ迷惑。大多数が並ばない時に、大人しく列を作っていれば、「変なヤツ」という視線が飛ぶだけのことである。

 丸いお団子を店の前にギュッと作って、声のデカいヤツが勝ち。声を出せないヤツは負け犬。それだけのことである。お団子の中で負けたら、大きく肩をすくめるポーズを作って、自分が敗者になったことの不公平を周囲に熱く訴える。

 その訴えが人々に届けば、周囲が集団になって助けてくれる。訴えが弱々しいと、誰も相手にしてくれない。「相手にしてくれるのは神だけ」という所であるが、声の小さい人の訴えなんか、イタリアでは神だって聞き取ってはくれないのである。

 フランスの場合、これに小さな苦笑と皮肉な憫笑と舌打ちが混じる。「嘲笑」というほど激しい感情は混じらないが、「おやおや、ずいぶん無遠慮に割り込んできますね」とか「あらあら、割り込まれて何にも苦情が言えないんですか?」とか、そういう小さな笑いである。

 そういう小さな笑いを傲然と無視してズイズイ割り込んで行くしかないし、「可哀そうに…」という憫笑がイヤなら、むしろお団子に入り込まないほうがましだ。フランスで生きていくには、「傲然と」をモットーにするのが一番のようである。
クリスマス市2
(流行らないお店の、流行らないオジサマ。このオジサマの論理的お説教に驚いた)

 では、ドイツはどうだろう。さすが論理の国であって、彼ら彼女らは常に理路整然としている。割り込むのにも論理があり、割り込まないのにも論理がある。

 ただしその論理は数学や物理の世界の論理ではなくて、「力の論理」。要するに「力の強いほうの言い分が通る」というアツアツな論理である。

 だから、力の強いほうは論理的にお説教をする。弱いほうはションボリしてその論理に聞き入るしかない。クリスマス市の場合、お店のほうがずっと力が強いので、お客は常に叱られる側に回る。

 ホットワイン1杯 ☞ 7ユーロ。「赤ワインを温める」という行動自体、日本の上品なワインファンなら眉をひそめるだろうけれども、そのワインにハチミツやら濃縮果汁やら、そういうものをドボドボ注ぎ込む。うぉ、「ワインへの冒涜でしかない」と日本人がこぞって腹を立てるだろう。

 そんなもんが7ユーロ、つまり1000円もする。さらにそこにラム酒だのアマレットだの、強烈なアルコールをドボドボやって、「その分、もう1ユーロいただきます」。いやはや、そりゃ高すぎませんか。

 何でそんなに高いのかと言えば、「カップのデポジットが2ユーロ」と言うのである。確かにカップはマコトに立派。紙コップとかプラスチックのカップ、そういう粗末なもんじゃ、ビアもワインもマズいだろう。「デポジットを2ユーロ、カップを返しにきたら2ユーロ返金します」というわけである。
ホットワイン
(ホットワインのカップ。確かにデポジットが必要な高級品だ)

 すると諸君、「置き去られたカップを集めて小遣い稼ぎ」というヤツらも出現する。テーブルに置き去られたカップを、10個集めれば20ユーロ、100個なら200ユーロ。すばしこく行動すれば、1日3万円も稼げる計算だ。

 当然お店の側でも自衛手段をとる。ワインと引き換えにチケットを渡し、「デポジットを回収するには、必ずこのチケットを持参すること、チケットなしでは2ユーロをお返しできません」というルールを作る。

 実はこの夜、ワタクシはこのチケットを紛失してしまった。ペラペラのチケットなんか、何かのハズミで紛失してもフシギはちっともないはずだ。しかし諸君、ドイツの論理的な人にとって、「紛失」なんてのは絶対に許せないことなのである。

「チケットはありますか」と問われ、「紛失した」と答えた瞬間、店のダンナの反応は、「チケットなしでは2ユーロの返還は不可能です」の一点張り。その口調は強烈で、ほとんどコッチが何か悪だくみでもしている気分にさせられる。

「そんなイヤな気分になるなら、2ユーロなんかいりません」。そう発言した瞬間、300円を返金してもらう権利を放棄したことになるのだが、ま、それも論理と言えば論理である。

 受験勉強では、なんでもかんでも「論理&論理」と論理責めにあうのであるが、諸君、実社会でもお祭りでも、必ずしも論理が人を幸せにするとは限らないことを、忘れないでいてくれたまえ。

1E(Cd) Grover Washington Jr.:WINELIGHT
2E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
3E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
4E(Cd) Lee Ritenour:WES BOUND
5E(Cd) Marc Antoine:MADRID
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