Tue 160322 熊本大地震の知らせに茫然とする 熊本の記憶をたどる 早い復旧を祈る | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 160322 熊本大地震の知らせに茫然とする 熊本の記憶をたどる 早い復旧を祈る

 遠くパリのホテルで、クリスマスのドイツ旅行記を書きながら、ふと日本のニュースをポチポチ検索していたら、熊本の大地震の知らせに唖然かつ茫然として、その先が1行も書けなくなった。

 今日は旅行記なんかヤメにしたほうがいい。熊本はこの10年、ワタクシが特にお世話になった地域の1つである。熊本市内なら、大江・帯山・上通り・味噌天神。郊外の町なら、玉名・宇土・光の森。10年で20回近くお邪魔して、熊本空港もすっかりお馴染みになった。

 震度7を記録した益城町は、まさにその熊本空港があるあたりである。どこまでも畑の広がるのどかな町であって、熊本市中心部までタクシーで40分ほど。いつもスタッフがクルマで迎えにきてくれて、空港から市内まで楽しく雑談しながら眺めた田園風景が懐かしい。
シャルトル1
(シャルトル大聖堂にて 1)

 玉名温泉に至近の玉名校は、規模の大きな校舎ではないが、2~3年前まで毎年のようにお邪魔した。大きな結婚式場のある「ロイヤルホテル司」を会場に、ド派手な公開授業をしたこともあったし、台風がすぐ目の前まで接近した夏の夜、50名収容の教室に130名もの生徒が集まってくれたこともあった。

 熊本大江校は、毎年9月下旬に600人規模の大公開授業を開催してくれる。9月下旬と言えば、いつもワタクシは2週間のヨーロッパ滞在から帰ったばかりで、公開授業にあまり相応しいとは思えない黒く日焼けした顔で熊本空港に降り立つのである。

 9月下旬の日曜日、熊本は「ボシタ祭り」で盛り上がっている。加藤清正の豪快な戦績を祝う祭りであって、「どうかい&どうかい」「どうかい&どうかい」の掛け声も勇ましく、人々は躍りながら街を練り歩く。

 そういう秋の日曜日、600名もの参加者を集めて語りまくるワタクシも、内心やっぱり「どうかい&どうかい」「どうかい&どうかい」であって、まあ東京弁に翻訳すれば「どんなもんだい」という豪快&爽快な気分なのである。
シャルトル2
(シャルトル大聖堂にて 2)

 どこの公開授業でも、熊本の場合は夜の祝勝会も例外なく楽しいのである。からし蓮根に馬刺を貪り、ロックの焼酎を豪快に飲み干す人々に囲まれれば、ワタクシもちっとも遠慮がいらない。ガハガハ明るい笑い声の中、熊本の夜はいつでも楽しく更けていく。

 熊本からクルマでさらに南西へ30分ほど、天草の海を眺めるあたりに「宇土」という町がある。宇土での公開授業も懐かしい思い出である。もう5年近く昔のことになるだろうか。やっぱり「校舎開催」で、普段は中学部で使用しているらしい40名収容の教室に、100名を超える生徒が集まってくれた。

「もっと大きな会場を借りたらいいじゃないか」と思うかもしれないが、それは宇土の町を知らない人の発言である。午後7時過ぎの段階で駅前はもう真っ暗、開いている商店すらほとんど見当たらない。

「もっと大きな会場」も何も、もし宇土で一番大きな会場を探したとすれば、「結局この教室が一番大きな会場でした」という結論になって終わり。そういう可愛らしい町である。
シャルトル3
(シャルトル大聖堂にて 3)

 しかし諸君、あんまりギューギューに詰まっちゃったものだから、教室内はホントに酸欠状態。ワタクシが講師仲間に流行させてしまった「酸欠になりそうでした」という表現があるが、あの時は実際にモーモーと湯気が上がって、教室の後方は霞んで見える始末だった。

 ホントの酸欠だったのかどうか分からないが、ずっと立ったまま公開授業の様子を見守っていた若い女子スタッフが1人、1時間を経過したあたりで突然座り込んでしまった。貧血を起こしたのである。

 あれ以来、ワタクシはスタッフの皆様にも「座ってて下さい」と声をかけるようにしている。スタッフにとってギュー詰めの大盛況は、まさに万感の思いで見守りたくなるシーン。「努力が報われた」という熱い涙さえこぼれるだろうけれども、貧血で倒れてしまっては何にもならないじゃないか。

 つい2ヶ月前には、佐賀の公開授業のついでに柳川に立ち寄った。有明海をはさんで、柳川と熊本は目と鼻の先である。柳川は、水郷地帯。泥の海と、澱んだ河と、お城のお堀が入り組んで、さぞかし地盤も悪いだろう。地震に弱い地域であることは当然のように予測できる。
シャルトル4
(シャルトル大聖堂にて 4)

 あの懐かしい熊本が、震度7の大地震に襲われた。たくさんの犠牲者が出て、新幹線も高速道も寸断、市民生活が混乱に陥っている。熊本城の瓦が落ち、石垣が大きな規模で崩壊した。大きな余震も続いている。

 犠牲となった方々の冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げたい。今は1日も早い復旧を願うばかりである。

「何か出来ることはないか」という思いに駆られるのはもちろんであるが、遠くパリに滞在中ではどうしようもない。2011年3月11日には富山に出張中で、滞在は金沢のホテル。翌日には小松空港から東京に帰ったけれども、話がパリではどうしようもない。
シャルトル5
(シャルトル大聖堂にて 5)

 今は熊本のことを思いつつ、とりあえず早く帰国しようと思う。無力な今井君なんかが帰国したところで何の足しにもならないのは明らかであるが、パリで長々とドイツ旅行記なんか書いているヒマがあったら、とりあえず急いで日本に戻るぐらいのことはしたほうがいい。

 なお、本日の写真はすべてパリ郊外シャルトルでのもの。昨日午後、モンパルナスから電車で1時間のシャルトルを訪れ、大聖堂の勇姿とステンドグラスの美しさに感激してきたばかりである。シャルトル訪問は10年ぶりであった。

 午後4時、シャルトルの町は春の冷たい雨に濡れはじめた。大急ぎで帰ったパリも、やっぱり激しい雨。スーパーで買った安いワインをチビチビやりながら、ネットで日本のニュースを眺めてみた。大地震のニュースを発見したのは、その時であった。

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 1/3
2E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 2/3
3E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3
4E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:RAVEL/DAPHNIS ET CHLOÉ
5E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3
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