Tue 160315 芭蕉は一気に書き上げた? ドレスデン到着(ドイツ・クリスマス紀行17)
旅先でヒドい風邪を引き、丸一日ホテルのベッドでションボリしていると、ふと「松尾芭蕉というのも、こんな感じだったのかな」とマコトに不遜な考えが浮かんでくるから不思議である。
「丸一日ベッドでションボリ」とは言っても、もちろんワタクシは落ち着きのないクマであるから、午後からのっそり部屋を出て、「ボルドー旧市街を探険」などという暴挙に出た。
折からボルドーは春の冷たい雨。「日が射してきたかな♡」と思う間もなくまたすぐ通り雨で、風邪の熱もまだ治まらない肉体にはツラい天候である。フランス南西部の春は、どうもこういう天候が多いらしい。
それでも近くの停留所からトラムに乗ってガロンヌ河を溯り、雨宿りついでに「サンルイ教会」を訪ねて、ステンドグラスの美しさにしばし陶然として帰ってきた。ちょうどサクラも満開。大きなハチがサクラの花に群れて何となく危険な雰囲気だが、ちょっとしたお花見気分も楽しめた。
ホテルに帰ったのは、午後3時過ぎ。せっかくのボルドー滞在も、6日目はこうしてたった2時間の外出で我慢せざるを得ない。「旅に病んで 夢は枯野を駆けめぐる」。芭蕉どんの一句がまたまたアタマに浮かんできた。
昨日の記事に書いた通り、クマ助の場合は「旅に病んで それでもブログを書きまくる」なのであるが、その時ふと思ったのは「こりゃ芭蕉どんも全く同じことだったんじゃないか」ということである。
ワタクシの場合はボルドーで旅に病んで、夢はドイツを駆けめぐる。ライプツィヒ ☞ ベルリン ☞ ドレスデン、ドイツ東部の冬の枯野の夢が駆けめぐって、ブログはあっという間に膨大な量に達する。
芭蕉どんは、奥の細道の終着地 ☞ 大垣で「旅に病んだ」ということになっちゃった。旅に病んだ場合、当時としてはギュッと寝ていなくちゃならなくて、旅を愛する彼としては、夢の中の枯野を巡り歩くしかなかった。
すると諸君、ワタクシが思うに、その時彼はおもむろに矢立を取り出し、「奥の細道」の執筆を始めたんじゃないか。我々は「奥の細道」の執筆が旅と同時進行しているように思って疑わないが、実は病床で一気に仕上げたんじゃないか。
「奥の細道」は文庫本にしてわずか50ページ。芭蕉ほど筆力のある人なら、旅に病んで宿のフトンにくるまっているしかない日々、4~5日もあれば一気呵成に書き上げることは十分に可能なはずである。
(ドレスデン中央駅)
というか、4~5日で書き上げたからこそ、最初から最後まであれほどの迫真力をなくさずにいるんじゃないか。「月日は百代の過客にして」からのウルトラ名文だって、実際にこうして旅に病んでみると、病んでいるからこその熱に満ちているような気がする。
冒頭から2ページほど、彼は「行く春や 鳥啼き魚の目は泪」の一句を書き、「これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず、人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし」と続ける。
大垣の宿のフトンにくるまって熱に浮かされながら、懐かしい別れの場面を振り返っているような気がする。「夢は枯野を駆けめぐる」とは、「今こうして旅に病んで、長かった奥州の旅を夢の中のように一気に思い出してみました」ということなんじゃないか。
大垣での長い滞在の後、芭蕉どんは伊勢の国・二見が浦を経由して、故郷の伊賀上野に帰る。さらに大津・膳所・京などを訪ね、さらに旅を続ける。その後でようやく江戸に戻り、「奥の細道」の完成まで5年を費やしている。
旅に病んだフトンの中で、枯野を駆けめぐりながら一気に書き上げた文章を、5年かけてジックリ推敲したとすれば、まさにそれこそが松尾芭蕉の真骨頂であって、愚かなクマ助なんかとは次元が4つも5つも違う達人の世界なのである。
(ドレスデン・聖十字架教会 1)
もっとも、その芭蕉どんだって、もしも21世紀に生きていたら、そんな生き方も難しかったんじゃないか。旅の一瞬一瞬をツイッターで投稿。山寺も松島も象潟も、写真1枚投稿してオシマイだったかもしれない。
「旅に病んで」という一種の僥倖に恵まれたとしても、「ひええ、病気かも。サイアクー」のヒトコトで終わり。「宿で寝ている間に、奥州の枯野を一気に駆けめぐってこよう」という意欲さえ生まれなかった可能性が高い。
ま、そういう意味で、ヘソ曲がりの今井クマ蔵はマコトに恵まれている。ボルドーの宿でフトンにくるまりつつも、アタマのほうは好きなだけドイツの枯野を駆けめぐる。4行とか5行で済ませるのはキライだから、記憶をたどってナンボでも世界を駆けめぐる。
この時、駆けめぐるのはもちろんドイツばかりではない。アルゼンチンでもイタリアでも、アイルランドでもハンガリーでもオランダでも、トルコでもブラジルでもポルトガルでも、駆けめぐる場所はまさにグローバル。風邪の熱に悩まされた夢の中でさえ、なかなか駆けめぐりがいのある人生を続けている。
(ドレスデン・聖十字架教会 2)
そこで諸君、ドイツであるが、12月22日から23日にかけての今井君は、マコトにフシギな移動を楽しんだ。22日の夕暮れ、ライプチヒ16:15発 → ベルリン17:33着。ベルリンで1泊した後、翌23日にはベルリン11:00発 → ドレスデン12:58着。もし地図が手許にあれば、この移動の不可思議さを確認してくれたまえ。
三角形ABCの頂点BからCに向かうのに、あえて頂点Aを経由し、B→A→Cと移動する者がいれば、一般には「アホじゃん?」「マヌケじゃん?」と指差して、憫笑・嘲笑・冷笑するのがこの世の中であるはずだ。
しかもこの場合、∠BACがマヌケに緩んだ鈍角であるならば、B→A→Cの移動もそれほどバカげては見えない。鉄道の接続のいかんによっては、B→A→Cの移動のほうが賢いということだってあるだろう。
しかしライプツィヒ → ベルリン → ドレスデンの移動の場合、問題の∠BACは、マッターホルンのテッペンみたいなトゲトゲの鋭角である。間違って腰でも降ろしたら、お尻の激痛にビックリしてお月様まですっとんでいきそうなウルトラ鋭角だ。
だからこの移動は、例えば松本から長野にいくのに東京を経由するような、奈良から大阪にいくのに京都を経由するような、そういうルートである。明らかにバカげている。
まあカンタンに言えば諸君、「荷物の出し入れの関係で、どうしても致し方なかった」ということなのである。荷物を全部ベルリンのホテルに置いたまま、21日はライプツィヒに1泊、23日はドレスデンに1泊する。そういう贅沢をする以上、移動の面で若干メンドクサイことになっても、そこは我慢するしかない。
こうして23日お昼すぎ、10年ぶりのドレスデンに到着。ここもまた10年前とは見違えるほど、かつての東ドイツの暗い影はすっかり払拭されていた。ライプツィヒと同じように、「ドイツ最大&最古」をうたうクリスマス市は最終盤を迎え、その熱気と熱狂に街全体が熱く燃えたぎっている。
宿泊は「ホリデーイン・ドレスデン」。「ホリデーイン」というブランドのホテルを初体験、そのシンプルさに一驚を喫した。フロントのオネーサマがたはマコトに気さくで優しい2人だったが、何しろお部屋がシンプルの限りを尽くしている。
おー、こりゃ要するに「四角い箱」だ。小さなベッドと小さなデスク以外に何一つ見当たらない。おー、冷蔵庫もない。もしこの部屋で「旅に病んで」なんてことになってみたまえ。もしかしたらこのクマ助にだって、簡潔な「欧州の細道」ぐらい書く気が起こるかもしれないと思うほどであった。
1E(Cd) Shelly Manne & His Friends:MY FAIR LADY
2E(Cd) Sarah Vaughan:SARAH VAUGHAN
3E(Cd) José James:BLACKMAGIC
4E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
5E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
total m75 y379 d18084
「丸一日ベッドでションボリ」とは言っても、もちろんワタクシは落ち着きのないクマであるから、午後からのっそり部屋を出て、「ボルドー旧市街を探険」などという暴挙に出た。
折からボルドーは春の冷たい雨。「日が射してきたかな♡」と思う間もなくまたすぐ通り雨で、風邪の熱もまだ治まらない肉体にはツラい天候である。フランス南西部の春は、どうもこういう天候が多いらしい。
それでも近くの停留所からトラムに乗ってガロンヌ河を溯り、雨宿りついでに「サンルイ教会」を訪ねて、ステンドグラスの美しさにしばし陶然として帰ってきた。ちょうどサクラも満開。大きなハチがサクラの花に群れて何となく危険な雰囲気だが、ちょっとしたお花見気分も楽しめた。
ホテルに帰ったのは、午後3時過ぎ。せっかくのボルドー滞在も、6日目はこうしてたった2時間の外出で我慢せざるを得ない。「旅に病んで 夢は枯野を駆けめぐる」。芭蕉どんの一句がまたまたアタマに浮かんできた。
(ドレスデン中央駅で。ここはもうチェコ国境に近い。チェコからの電車も頻繁に到着する)
昨日の記事に書いた通り、クマ助の場合は「旅に病んで それでもブログを書きまくる」なのであるが、その時ふと思ったのは「こりゃ芭蕉どんも全く同じことだったんじゃないか」ということである。
ワタクシの場合はボルドーで旅に病んで、夢はドイツを駆けめぐる。ライプツィヒ ☞ ベルリン ☞ ドレスデン、ドイツ東部の冬の枯野の夢が駆けめぐって、ブログはあっという間に膨大な量に達する。
芭蕉どんは、奥の細道の終着地 ☞ 大垣で「旅に病んだ」ということになっちゃった。旅に病んだ場合、当時としてはギュッと寝ていなくちゃならなくて、旅を愛する彼としては、夢の中の枯野を巡り歩くしかなかった。
すると諸君、ワタクシが思うに、その時彼はおもむろに矢立を取り出し、「奥の細道」の執筆を始めたんじゃないか。我々は「奥の細道」の執筆が旅と同時進行しているように思って疑わないが、実は病床で一気に仕上げたんじゃないか。
「奥の細道」は文庫本にしてわずか50ページ。芭蕉ほど筆力のある人なら、旅に病んで宿のフトンにくるまっているしかない日々、4~5日もあれば一気呵成に書き上げることは十分に可能なはずである。
(ドレスデン中央駅)
というか、4~5日で書き上げたからこそ、最初から最後まであれほどの迫真力をなくさずにいるんじゃないか。「月日は百代の過客にして」からのウルトラ名文だって、実際にこうして旅に病んでみると、病んでいるからこその熱に満ちているような気がする。
冒頭から2ページほど、彼は「行く春や 鳥啼き魚の目は泪」の一句を書き、「これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず、人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし」と続ける。
大垣の宿のフトンにくるまって熱に浮かされながら、懐かしい別れの場面を振り返っているような気がする。「夢は枯野を駆けめぐる」とは、「今こうして旅に病んで、長かった奥州の旅を夢の中のように一気に思い出してみました」ということなんじゃないか。
大垣での長い滞在の後、芭蕉どんは伊勢の国・二見が浦を経由して、故郷の伊賀上野に帰る。さらに大津・膳所・京などを訪ね、さらに旅を続ける。その後でようやく江戸に戻り、「奥の細道」の完成まで5年を費やしている。
旅に病んだフトンの中で、枯野を駆けめぐりながら一気に書き上げた文章を、5年かけてジックリ推敲したとすれば、まさにそれこそが松尾芭蕉の真骨頂であって、愚かなクマ助なんかとは次元が4つも5つも違う達人の世界なのである。
(ドレスデン・聖十字架教会 1)
もっとも、その芭蕉どんだって、もしも21世紀に生きていたら、そんな生き方も難しかったんじゃないか。旅の一瞬一瞬をツイッターで投稿。山寺も松島も象潟も、写真1枚投稿してオシマイだったかもしれない。
「旅に病んで」という一種の僥倖に恵まれたとしても、「ひええ、病気かも。サイアクー」のヒトコトで終わり。「宿で寝ている間に、奥州の枯野を一気に駆けめぐってこよう」という意欲さえ生まれなかった可能性が高い。
ま、そういう意味で、ヘソ曲がりの今井クマ蔵はマコトに恵まれている。ボルドーの宿でフトンにくるまりつつも、アタマのほうは好きなだけドイツの枯野を駆けめぐる。4行とか5行で済ませるのはキライだから、記憶をたどってナンボでも世界を駆けめぐる。
この時、駆けめぐるのはもちろんドイツばかりではない。アルゼンチンでもイタリアでも、アイルランドでもハンガリーでもオランダでも、トルコでもブラジルでもポルトガルでも、駆けめぐる場所はまさにグローバル。風邪の熱に悩まされた夢の中でさえ、なかなか駆けめぐりがいのある人生を続けている。
(ドレスデン・聖十字架教会 2)
そこで諸君、ドイツであるが、12月22日から23日にかけての今井君は、マコトにフシギな移動を楽しんだ。22日の夕暮れ、ライプチヒ16:15発 → ベルリン17:33着。ベルリンで1泊した後、翌23日にはベルリン11:00発 → ドレスデン12:58着。もし地図が手許にあれば、この移動の不可思議さを確認してくれたまえ。
三角形ABCの頂点BからCに向かうのに、あえて頂点Aを経由し、B→A→Cと移動する者がいれば、一般には「アホじゃん?」「マヌケじゃん?」と指差して、憫笑・嘲笑・冷笑するのがこの世の中であるはずだ。
しかもこの場合、∠BACがマヌケに緩んだ鈍角であるならば、B→A→Cの移動もそれほどバカげては見えない。鉄道の接続のいかんによっては、B→A→Cの移動のほうが賢いということだってあるだろう。
しかしライプツィヒ → ベルリン → ドレスデンの移動の場合、問題の∠BACは、マッターホルンのテッペンみたいなトゲトゲの鋭角である。間違って腰でも降ろしたら、お尻の激痛にビックリしてお月様まですっとんでいきそうなウルトラ鋭角だ。
だからこの移動は、例えば松本から長野にいくのに東京を経由するような、奈良から大阪にいくのに京都を経由するような、そういうルートである。明らかにバカげている。
(ドレスデンのクリスマスデコレーション。今井君より10歳ほど上のオジサマが、夢中で自撮りに励んでいた)
まあカンタンに言えば諸君、「荷物の出し入れの関係で、どうしても致し方なかった」ということなのである。荷物を全部ベルリンのホテルに置いたまま、21日はライプツィヒに1泊、23日はドレスデンに1泊する。そういう贅沢をする以上、移動の面で若干メンドクサイことになっても、そこは我慢するしかない。
こうして23日お昼すぎ、10年ぶりのドレスデンに到着。ここもまた10年前とは見違えるほど、かつての東ドイツの暗い影はすっかり払拭されていた。ライプツィヒと同じように、「ドイツ最大&最古」をうたうクリスマス市は最終盤を迎え、その熱気と熱狂に街全体が熱く燃えたぎっている。
宿泊は「ホリデーイン・ドレスデン」。「ホリデーイン」というブランドのホテルを初体験、そのシンプルさに一驚を喫した。フロントのオネーサマがたはマコトに気さくで優しい2人だったが、何しろお部屋がシンプルの限りを尽くしている。
おー、こりゃ要するに「四角い箱」だ。小さなベッドと小さなデスク以外に何一つ見当たらない。おー、冷蔵庫もない。もしこの部屋で「旅に病んで」なんてことになってみたまえ。もしかしたらこのクマ助にだって、簡潔な「欧州の細道」ぐらい書く気が起こるかもしれないと思うほどであった。
1E(Cd) Shelly Manne & His Friends:MY FAIR LADY
2E(Cd) Sarah Vaughan:SARAH VAUGHAN
3E(Cd) José James:BLACKMAGIC
4E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
5E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
total m75 y379 d18084