Wed 160217 門司港までお船 昭和の日豊本線 急行「高千穂」 福岡県行橋の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 160217 門司港までお船 昭和の日豊本線 急行「高千穂」 福岡県行橋の大盛況

 3月10日午後、下関「春帆楼」のフグ料理にすっかり満腹したワタクシは、伊藤博文 & 李鴻章の談判現場を巡り、お隣「赤間神社」にもお参りして、平家一門のお墓の前で手を合わせた。知盛・教経・資盛・時子、まさに平家物語のクライマックスそのものである。

 こうしてカンペキな観光客と化したクマ助であるが、時計が午後2時を回ると、さすがに今夜のお仕事に向けてギアチェンジしなければならない。さっきまでとは流れの方向が逆になった関門海峡を左に見ながら、フグで有名な唐戸市場を抜け、門司港ゆきの船着き場に向かった。

 考えてみると、この港を毎年のように訪れている。同じ船着き場から「巌流島ゆき」も出る。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘場であるが、ワタクシが島に渡ってみたのは一昨年のこと。「えっ、佐々木小次郎って、そんなオジーチャンだったの?」とビックリしたのを覚えている。

 潮の流れと平行に東西に行き交うのが大型貨物船。春帆楼のオバサマによれば、一日600隻もの貨物船が海峡を行ったり来たりする。中には夢のように大きなコンテナ船もあって、今にも海峡につっかえそうな勢いだ。
春帆楼
(史跡「下関春帆楼」全景。手前が日清講和記念館)

 一方、下関 ⇔ 門司間の連絡船は、50人も乗れば満員の小型船である。たくさんの貨物船の間を縫うように、海峡を南北方向に行き来するわけだから、春帆楼3階の窓から眺めていると、小舟は何だか危なっかしい。これに乗って5分足らず、あっという間に九州サイド ☞ 門司港に到着する。

 レトロな雰囲気がウリの門司港駅は、現在改修工事中。「あれれ、前回来たときも改修中だったぞ」「改修工事は全く進捗していないんじゃないか?」であるが、その「前回来た時」というのがつい最近なのであるから、この感想はむしろワタクシが悪い。観光のしすぎなのである。

 さて、いよいよ今夜のお仕事であるが、福岡県行橋は、「行橋」と書いて「ゆくはし」と発音する。「行く」は一般に「いく」が正しくて、文字の上で「ゆく」と書くと、コワーい国語の先生たちに叱られるかもしれない。しかしこれはレッキとした固有名詞だ。堂々と「ゆく」で通すことができる。
門司港駅
(門司港駅。レトロで勝負する)

 行橋には、小倉から日豊本線の特急で20分ちょいである。日豊本線はさらに別府・大分・佐伯・延岡・宮崎と、豊かな日向灘沿いにひたすら南下。都城を経由して鹿児島に至る。

 昭和の国鉄時代はマコトに不便な路線であって、数少ない特急の他、「ぶんご」「高千穂」「べっぷ」「ゆふ」などの急行や準急が細々と運行しているぐらいだった。

 せっかくだから昭和の時刻表を参照すると、「急行 ひかり」なんてのもあった。誕生は1958年。キハ55系のディーゼルカーを使用。1964年に東海道新幹線が開業して「ひかり」という名前は新幹線に持っていかれるが、もともとの「ひかり」は日豊本線を連日ゴトゴトやっていたのである。

 博多発 ☞ 西鹿児島ゆき急行「ひかり」の、大まかなダイアグラムは以下の通りである。

   博多 12:05
   小倉 13:09
   行橋 13:32
   別府 15:13
   大分 15:27
   佐伯 16:34
   延岡 17:43
   宮崎 19:11
   都城 20:07
   霧島神宮 20:43
   西鹿児島 21:30

 もちろん、他にも数多くの駅に停車したが、博多 ☞ 小倉に1時間以上もかかっていた。うにゃにゃ、昭和の移動は何ともツラいものだったのだ。
明太子キティ
(博多駅で。博多ではキティちゃんも明太子にくるまっている)

 「東京から鹿児島まで、急行列車1本で行く」なんてのもあった。急行「高千穂」であるが、ついでだから、「高千穂」のほうも大まかなダイアグラムを掲載しておく。

   東京 14:35
   京都 22:16
   大阪 23:00
   岡山 01:59
   広島 05:24
   門司 09:42
   小倉 09:51
   行橋 10:19
   別府 12:23
   大分 12:50
   佐伯 14:02
   延岡 15:17
   宮崎 17:07
   都城 18:13
   霧島神宮 15:58
   西鹿児島 19:50

 こちらももちろん、他にたくさんの駅に停車したのである。諸君、「うひょひょ♡」じゃないかね? 当時、これが日本最長走行距離の列車。東京から大分県までで24時間、鹿児島まで30時間であった。

 今のヒコーキなら、ニューヨークやシカゴでの乗り換え時間を含めても、アルゼンチンのブエノスアイレスまで26時間行ける。西回りでパリ経由を選択しても、やっぱり30時間以内。昔のヒトの忍耐力って、驚くべきものがあったのである。

 しかしついでにビックリしておけば、小倉 ☞ 行橋の所要時間は、昭和の昔でもやっぱり20分ちょい。短距離なら、昔も意外にビシビシ走っていたのだ。その行橋が、今夜のワタクシの仕事場である。
ソニック
(日豊本線を快走する「ソニック」。スタイリッシュすぎたかもしれない)

 21世紀の日豊本線には、「ソニック」という便利でスタイリッシュな特急列車が頻繁に走っていて、こりゃ国鉄時代とは大違いである。ちょっとスタイリッシュの度が過ぎて、外から見ると車体のブルーが美しいこの列車も、実際に乗車してみると骸骨の体内に紛れ込んだみたいな、妙竹林な気分になる。

 もっとも、「骸骨の体内」という表現にはかなり大きな疑問の余地ががあって、そもそも骸骨どんの場合、あのスカスカな骨と骨のスキマは内側なのか外側なのか、ナンピトたりとも明らかにすることは出来ない。

 そういうクダランことを考えるヒマもなく、夕暮れの冷たい雨が降り出した行橋の駅に到着。駅からクルマで2~3分、古色蒼然とした「行橋商工会館」が今日の会場である。

 対象は、「今日が卒業式でした」という中3生諸君とその保護者の皆さん。予備校の世界で「中3生もちあげ」と呼ぶヤツである。これもまた今井君が得意とする分野の1つ。意地でも思い切り結果を出して帰りたい。
行橋
(福岡県行橋の大盛況。またまた「補助椅子が出た」であった)

 高校入試が終わり、その結果をワクワクしながら待っていて、しかもたったいま卒業式が終わったばかり。この状態で、「高校に合格したら ☞ すぐに予備校に通わなくちゃ」と強く決意させるというのだから、諸君、ちょっとやそっとのベテランじゃ、なかなか成果は上げられない。

 中身はもちろん今井君の企業秘密であるが、大きな拍手の中を入場してステージに上がり、話を開始して約30秒、出席者150名の大半をワタクシの大ファンにしてしまった。かっかっか。余りに見事な手腕であって、こうでなければ大ベテランを名乗るわけにはいかない。

 行橋の先生がたも「普段の生徒たちは、あんなスゴい笑顔を見せたことがない」と仰天するほどの大爆笑がまるまる100分連続し、会場は「よーし、やるぞ」という決意の渦。渦はウズウズ鳴門の渦潮なみに激烈に渦巻いて、「ええっ、もう終わりなんですか?」という驚きの声さえ上がった。

 そんなこと言ったって、もう100分がホントに経過したのだ。50分の授業でも忍耐が続かない年頃の諸君としては、まさに驚天動地の100分だったと確信する。

1E(Cd) Paco de Lucia:ANTOLOGIA
2E(Cd) 寺井尚子:THINKING OF YOU
3E(Cd) Ono Risa:BOSSA CARIOCA
4E(Cd) 村治佳織・山下一史&新日本フィル:アランフェス交響曲
5E(Cd) Kirk Whalum:IN THIS LIFE
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