Tue 160216 下関「春帆楼」で早春のフグを貪る カコ&カンドリを斬れ 下関条約 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 160216 下関「春帆楼」で早春のフグを貪る カコ&カンドリを斬れ 下関条約

 3月10日、夕方から福岡県の北部「行橋」という町でお仕事の予定。行橋は、小倉からJR日豊本線の特急で30分弱の町である。すぐそばには瀬戸内海。というより平家の滅亡した壇ノ浦の海であって、ならば諸君、「さぞかしフグが旨いだろう」と早速ワタクシは舌なめずりをした。

 本来なら、お仕事の後の祝勝会なり懇親会なりまで「ジッと我慢の子」になるのであるが、今井クマ助はマコトにイヤしい生物であって、すぐそこに旨いものがあるのに半日もジッと耐え忍ぶなどという芸当は出来るものではない。

 そこで諸君、無理をしてでも早起きして、博多から新幹線で新下関に向かった。目指すのはウルトラ名店「春帆楼」。日清戦争の講和会議で、伊藤博文と李鴻章が(おそらく)激烈に談判、下関条約が結ばれた舞台もこの春帆楼である。

 ホントはワタクシだって、もっと早く春帆楼を訪ねなくっちゃいけなかったのだ。お隣には「赤間神社」があり、「耳なし芳一」の塚もあり、壇ノ浦で滅亡した平家一門のお墓も並んでいる。

 壇ノ浦の潮流は、一日に4回も流れの向きを変え、特に満珠島と干珠島の間では激流となって、20世紀半ばの近代的エンジンを装備した船でさえ、流れに逆らって進むのは困難だった。

「水軍では圧倒的に有利」と言われた平家の船団は、陸に上がれば源氏の東エビスがどんなに強くても、海に軍船を浮かべればカンペキにこちらが有利とみんなで大爆笑を繰り返していた。
ふぐ
(下関「春帆楼」、フグの薄造り)

 ところが諸君、ここで源義経どんが「カコ&カンドリを斬れ」という奇襲作戦に出る。カコとは「水夫」、カンドリとは「舵取り」であって、要するに武器は持たないが船を操る役として戦闘に参加する者たちである。

 古代ローマ帝国軍団になぞらえれば、正規の軍団兵の補助を専らとする補助兵(アウジリアス)に該当する。源平の戦い当時の日本では、補助兵を斬ったり弓矢を向けたりすることは慣例で禁止されていて、「カコ&カンドリを斬れ」などというのは、誰でも知っているだろうが、明らかな慣習法違反であった。

 壇ノ浦の急流、満珠島と干珠島の間の激流に船を浮かべ、足許の定まらない戦闘に苦しむヨシツネどんとしては、慣習法を無視してでも敵軍船団を大混乱に陥らせるより他、勝利への道筋を見通せない状況だったと思われる。

「そのぐらいの違反はどうでもいいじゃないか」
「勝てば官軍、負ければ賊軍。負けたヤツに文句なんか言わせねーぜ」
「やーい&やーい、カコ&カンドリがいなくなったら、平家なんかちっともコワくないやーい」
義経の叫んだ快哉が今も聞こえるようであった。
関門海峡
(下関「春帆楼」3階から、関門海峡の激流を眺める)

 春帆楼の3階に通されて、まずその激流ぶりに驚かされた。ワタクシは海辺の町の生まれであるが、海の波はいつだって浜のラインに向かって垂直方向に押し寄せるもの。ところが下関の海の波は、浜のラインと平行に進むのである。

 しかもその流れが言語道断に速い。浜のラインと平行に白波が立つ様子は、ほとんど青森県の奥入瀬渓流を思わせる激流の趣きである。次々と通る貨物船はその流れに逆らわず、瀬戸内海の奥から関門海峡の出口に向かい、急流に乗って流れ下る。これなら燃料費もきっとゼロ円で済みそうだ。

 関門海峡を隔てて、向こう側は九州。門司の町が手に取るように見えている。この数年、福岡で仕事があるたびにこの海峡を訪れることにしている。いつもは小倉から鉄道で門司港に向かい、門司から小さな連絡船で下関に渡って、下関「唐戸市場」の安いフグ料理屋「ふぐの関」でランチというのが定番だった。
ふぐ鍋
(下関「春帆楼」、一人用のフグ小鍋から熱い湯気が上がる)

 しかし諸君、そういつもいつも安い店ばかりじゃ、さすがに「芸がない」と言ってバカにするヒトもいるじゃろう。ワガハイは露骨にバカにされるとムカムカするタイプだから、今回はこの超名店「春帆楼」を選択。伊藤博文気分&李鴻章スタイルで、下関のフグを賞味することにしたわけである。

 陽気な従業員のオバサマと、フグや伊藤博文や壇ノ浦の急流をめぐってずいぶん話が弾んだ。フグ料理そのものより、オバサマとの話のほうが面白いぐらいだった。

 しかしやはり感激したのは、下関のフグのお刺身。ホントは「薄造り」よりも分厚いブツ切りのほうが好きなのだが、諸君、本場のフグの薄造りだ。やっぱりミシッと一度ぐらい味わっておかなきゃダメじゃないか。

「まるで冬の花火みたい」と言っていい。キレイに放射状にズラリと並んだ薄造りが、うぉ、旨い。この歯ごたえは、いったい何なんだ? 東京で噛みしめる高ーいフグの薄造りとは、アゴに来る弾力が丸っきり違うじゃないか。「薄いけれども、ブツ切り並み」。ギュッと噛むたびに濃密な味が広がる。

 これはやっぱり「来てよかった」である。福岡に宿泊して下関訪問ということになると、新幹線からタクシーに乗り継いで交通費もずいぶんかかるし、時間のことも若干心配だ。
記念館
(春帆楼前には「日清講和記念館」もある)

 夕暮れには土地勘のない「行橋」という町で公開授業があるから、午後2時には早々に店を出たが、うーん、あの薄造りの歯ごたえ&味わいは忘れられない。ワタクシの冬の旅の定番として、下関は今後しばらく外せない目的地になりそうだ。

 春帆楼の前には、「日清講和記念館」もあって、内部には下関条約締結を目指した当時の会議場がそのまま残されている。椅子なんかの保存状態もマコトによくて、諸君、それなりに感動も大きい。

 下の写真手前の大きな椅子が、清の全権・李鴻章の席。テーブルを隔てて李鴻章の正面、向こう側の大きな椅子に伯爵・伊藤博文が座り、その隣りが弁理大臣・睦奥宗光子爵である。

 今井君が中学生の頃は、社会科の先生方はみんな日清&日露の両戦争についてものすごく否定的。下関条約やポーツマス条約については鼻で笑い飛ばしながら「帝国主義日本が悲劇に向かって急激に傾斜していくキッカケにしかならなかった」「我々はバカだった」という結論以外は一切認めない勢いだった。

 しかし諸君、その後の2つの世界大戦とか、軍国主義への傾斜のこととかはともかく、下関条約の条文を素直に条文としてだけ読んでみたまえ。そんなに鼻で笑い飛ばすような悪質なものには、どうしても見えないのである。
伊藤博文
(下関条約締結のテーブル)

 第一条には、こうある。
「清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」。

 条文の裏に隠されたドス黒い意図を、先入観を先に立てて手探りするより何より、まず第一にこのセンテンスだけを純粋に読み込んでみるのが先じゃないか。何なら、固有名詞を「甲」「乙」とか「A国」「B国」に代えてみてもいい。

「A国は、B国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するようなB国からA国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」

 その後の半世紀にわたる日本の侵略行為は許されてはならないのは当然。しかし諸君、春帆楼を訪れて大満足したせいもあるのかもしれないが、ワタクシにはこの条約それ自体を鼻でせせら笑うような態度は、どうもおかしいように思えてならないのだ。

1E(Rc) Rozhdestvensky & Moscow Radio:BARTOK/DER WUNDERBARE MANDARIN & TWO RHAPSODIES FOR VIOLIN & ORCHESTRA
2E(Rc) Darati & Detroit:STRAVINSKY/THE RITE OF SPRING
3E(Cd) 東京交響楽団:芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽・エローラ交響曲
4E(Cd) デュトワ&モントリオール:ロッシーニ序曲集
5E(Cd) S.François& Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:ラヴェル/ピアノ協奏曲
total m88 y243 d17948