Sun 160207 四日市の夜 宇宙征服 ☞ 去華就実 春よ来い ☞ 春が来た 引越シーズン | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160207 四日市の夜 宇宙征服 ☞ 去華就実 春よ来い ☞ 春が来た 引越シーズン

 2月27日、四日市で司会を務めてくれたのは、すでに名古屋大学経済学部に推薦合格を決めている高3女子である。超エリート高校の生徒ではないが、今井のC組 ☞ B組 ☞ A組と進み、最後は「名古屋大学英語講座」まで受講して、一気に合格をつかんだ。

 どれほど今井の授業に助けられたかを、約400名の生徒諸君に「先輩」として熱く語ってくれた。そりゃそうだ、腹筋が痛くなるほど笑い、腱鞘炎になりそうなほどメモをとりまくり、授業で常に疲れきって帰る。予備校でそういう日々を過ごせば、大学受験ほど楽しい経験は滅多にあるものではない。

 嵐のような大喝采を受けつつ無事に公開授業を終えると、今度は「出待ち」の諸君が壁を作って待っている。超満員の教室でたった今まで今井君の大熱弁に耳を傾けていた諸君もいれば、受験を終えたばかりの高3生もいる。

 当然のことではあるが、高3生は今回の出席を許可されていない。そりゃもう受験が終わって、1ヶ月後にはいよいよ大学生になろうとしている段階で、今さら予備校講師の話に聞く必要はないはずだ。

 とは言ってもワタクシは、やっぱり彼ら彼女らが可哀そうなのである。長かった受験の締めくくりに、あんなに楽しかった今井の授業の生バージョンが地元にやってきたのだ。「ナマ今井」。本人としてはマコトに気色悪いシロモノであるが、受験の〆にどうしても見たかっただろう。
お刺身
(四日市での祝勝会は、旨い日本酒がズラリと揃ったお店。お魚も旨かった。タイのお刺身、おいしゅーございました)

 しかしもしここで出待ちの皆さんの「握手♡」やら「サインください」やら「写真いいですか?」に付きあい始めると、収拾がつかなくなるのは自明の理である。校舎にも近所にも迷惑がかかる。

 何しろついさっきまで約400名の大爆笑の渦の中にいたのだ。1人1分として、400人なら400分。約7時間かかる計算だ。受験が終わった出待ちの高3生を加え、もし合計480人なら8時間。時計はすでに21時だから、サイン会終了は29時、午前5時ということになる。

 というわけで、サインは公開授業の前に100枚ほどすでに書いておいた。これを配ってもらうことにして、朝4時とか5時までのサイン会は、さすがに常識を考えて遠慮することにした。

 現在、サインはいつもの「宇宙征服」を自重している。ついこの間、日本近隣の某国国営放送局アナウンサーが「我々の宇宙征服を妨害する者には、容赦ない鉄槌が下されるだろう」と、迫力みなぎる物凄い表情で宣言したばかりだ。あんまり恐ろしいので、「宇宙征服」の文字を避け、代わりに「去華就実」を使用している。

「きょかしゅうじつ」であるが、「華々しさを去り、実を大切にする」の意。見た目だけを飾ることをやめ、華を捨てて実を取り、見た目よりも中身の充実を図るということである。早稲田実業高校の校歌にこの四字熟語があることは、以前このブログでも触れた。
断捨離候補1
(春の引越シーズンを迎え、引越はしないが、断捨離をいくつか決意。20年付きあって縮んじゃったセーターが、まず第1候補)

 諸君は「早稲田四尊」を知っておるかね? もちろん知らないだろうし、早稲田関係者だってチャンと4人の名前を言えるヒトはほとんどいないだろう。知っていても何の得にもならないし、知らなくても何の損もない。

 しかしワタクシの長所は「グーグル並みの記憶力」であって、今から10年ほど前、「カツマー」こと勝間和代というオカタがベストセラーを連発した頃、キーワードだったのが「自分をグーグル化する」だった。

 いやはや、今やワタクシは「グーグル化」にあと一歩まで迫る「クークル化」ないし「クルクル化」「クマスケ化」の域に達しているのであって、そりゃ諸君、「早稲田四尊」と言へば、高田早苗・坪内逍遙・市島謙吉・天野為之だ。

 我が敬愛する坪内逍遥サマも、早稲田四尊の1人である。建学の祖 ☞ ① 大隈重信 ② 小野梓を助け、大学のイシヅエを築いた4人であるが、この4人のうち「去華就実」に特にこだわったのが天野為之どんであった。

「あれれ、それじゃ、日本国民に誰一人として知らぬ者のない早稲田大学校歌『都の西北』を作詞したオカタはダーレ?」であるが、諸君、その作詞者 ☞ 相馬御風どんは、何と「春よ来い」の作詞も手がけている。
断捨離候補2
(断捨離・第2候補。10年ともにヨーロッパ各地を闊歩した戦友だが、カカトが坂道状に擦り減っては、さすがにそろそろ引退させてあげたい)

 春よ来い 早く来い
 歩きはじめた ミイちゃんが
 赤い鼻緒の ジョジョはいて
 オンモへ出たいと 待っている

 おお、けふはもう3月2日、明日は桃の節句であって、「赤い鼻緒のジョジョ」もいよいよオンモに飛びだしそうだ。しかし諸君、「そびゆるイラカは我らが母校」と激唱した後、「早稲田」を7回も繰り返すあのシツコイ校歌の作詞者が、「オンモ」だの「ジョジョ」だの、ずいぶん豹変するものである。

 そこでどうしてもMac君に言っておきたいのであるが、「春よ来い」と入力して、その変換がまず ①「貼る横井」②「晴代濃い」であることに、去華就実のクマ助は、堪忍袋の緒が切れかけている。① 選挙ポスターを貼りまくる横井、② メッタヤタラに濃厚な晴代、そういうものをキミは想定できるのかね?

 グーグル君のほうも、なかなかタチが悪い。「貼る横井」のまま検索すると「もしかして、春よ来い?」と赤い文字で皮肉ったあげく、目の前には松任谷由実女史の「春よ来い」データがズラリと並ぶ。こちらのほうは、すこぶるカッコいい歌詞である。「春よ 遠き春よ マブタ閉じればそこに 愛をくれし君の 懐かしい声がする」と来たもんだ。

 うぉ、文語体だ。ミいちゃんのジョジョなんかすっとびそうな難しさじゃないか。しかもMac君がまた茶々を入れて「愛をくれし君」が「愛を呉市黄身」と来たんじゃ、ワタクシはいったいどうればいいんじゃ?
断捨離候補3
(断捨離第3候補。これもまた10年ヨーロッパをのし歩いた戦友だが、何だか「ゴミ捨て場から拾ってきました」な状況を呈している。引退が妥当だろう)

 ま、いいか。3月2日、東京は昼前からウラウラと気温が急上昇して「おうちの前の桃の木のツボミもみんなふくらんで」きた。「はよ咲きたいと 待っている」のであるが、諸君、やっぱり温暖化はもう止められないんじゃないか。「春よ来い」と言う前に「春が来た」になっちゃった。

「春が来た」のほうは、1910年作品。作詞:岡野貞一、作曲:高野辰之。
  春が来た 春が来た どこに来た?
  山に来た 里に来た 野にも来た
である。おお、来た&来た&来たの連発であって、汗ばむぐらいのポッカポカだ。

 春がズバーンと来ちゃった結果なのか、今日は東京でも愛媛県松山でも、メッタヤタラに遠足のコドモたちが目についた。東京ではオウチの前の桃の木から羽田空港到着まで、合計5組の遠足軍団に遭遇した。

 今日の仕事の松山に着いてからも、リュックの小学生集団を数組目撃。春は、桃の節句を待たずに早々と来ちゃったらしい。となると、引っ越しシーズンも始まりだ。オウチから地下鉄の駅までのわずかな距離で、作業中の引っ越しトラックも3台目撃。「おお、いよいよ始まったな」である。
みきゃん
(愛媛県松山に到着。愛媛では、ミカンちゃんが自転車で快走している)

 ワタクシなんかは「大学には自宅から通います」という若者がちょっぴり可哀そうである。18歳の春は、やっぱり「初めての一人暮らし」という悲壮な覚悟で迎えたい。

 大阪から東京に来るのもよし、東京から京都に行くのもヨシ。北海道のヒトが九州大学に入り、九州のヒトが北海道大学に入るもいい。親元を離れ、独立独歩の強い覚悟で新しい生活を始めるのに、ベストな年齢は18歳であるように思う。

 初めてのラーメン屋、初めてのお蕎麦屋、初めての定食屋。コインランドリーも銭湯も、冗談のようにヘタクソな自炊もまたいいものだ。フライパンの中に完成してしまった得体の知れない焦げたカタマリに、自分一人で噴き出す経験を、ぜひ18歳の4月にしておいてほしいのである。

 まさに「噴き出しても、ひとり」であり「泣き出しても、ひとり」であって、そりゃもちろん「咳をしてもやっぱりひとり」。18歳の春のひとりは、一生の宝物になると信じる。

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
3E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
4E(Cd) Akiko Suwanai:INTERMEZZO
5E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
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