Sat 160130 初♡島根県 初♡出雲 コシのヤマタノオロチ 明智光秀、無禄(出雲参拝記2) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 160130 初♡島根県 初♡出雲 コシのヤマタノオロチ 明智光秀、無禄(出雲参拝記2)

 こうして諸君、楕円入道はお昼前の出雲に到着した。もともと「出雲に行かなきゃ」と決意したのは、昨年11月22日のことである。鹿児島から広島に新幹線で移動し、翌日は夕方から福山で公開授業。「ならば朝から高速バスで、出雲まで往復するぐらいの時間はあるだろう」と考えたのだった。

 11月22日の夕食は、やっぱりお好み焼き。激しく咳き込む博多弁オネーサマのお隣のテーブルで、インフルエンザを恐れながらお好み焼きを貪った。そのせいか、翌朝は完全に朝寝坊。広島 ⇔ 出雲往復の計画を諦めて、広島 ⇔ 京都往復に切り替えたのだった。

 あの日の詳細は、当ブログ「Sat 151031 再び広島でお好み焼き 博多のグエッホねえさん 出雲に行こうと決める」を参照。あれ以来3ヶ月が経過、虎視眈々と出雲を狙ってきた楕円入道こと今井クマ蔵は、ついに出雲攻略を果たすことになった。

 諸君、これほど旅慣れた楕円入道にしては意外な気がするだろうが、これはワタクシの「初♡島根県」である。47都道府県のうち、島根と鳥取の2県にはこれまでの長い人生で足を踏み入れたことがなかった。
出雲市駅
(ついに出雲市駅に到着。初♡出雲である)

 フランスなら、オルレアンにラ・シオタ。オランダでも、グロニンゲンにアルクマール。イタリアでも、ストレーザにブレーシャ。日本人がなかなか足を運ばない町を闊歩しているクマ助が、何と島根県と鳥取県には入ったことがない。

 こりゃ諸君、屈辱だ。本末転倒だ。「まず足許を固めてから」「基礎基本を徹底」と訴え続けるワタクシが、日本国内に未踏の地を残していたとは、何とも困った事態であった。出雲攻略に賭ける熱い思いは、そういう所からも盛り上がっていたのである。

 以前もこのブログに書いた通り、「出雲」と思った途端にワタクシの頭の中には徒然草236段が蘇る。「いざたまえ、出雲おがみに。かいもちい召させん、とて具しもていきたるに」の一節である。

 しかし徒然草の「出雲」は今の京都府亀岡市あたりであって、吉田兼好も236段冒頭に「丹波に出雲というところあり」「大社を移して、めでたく造れり」と書いている。「島根県の出雲大社から神様をお招きして、立派なヤシロを築きました」というのである。

 古代史なり、古事記なり日本書紀なり、詳しくはそういう書物を熟読してくれたまえ。とにかく出雲はむかしむかしのいろんな物語の宝庫。大国主命・ヤマタノオロチどん・須佐之男命・因幡の白ウサギくん・大黒サマなど、いろんな物語が満載&結集、まさに日本の故郷なのである。
やくも1
(伯備線・山陰本線の特急「やくも」。島根県まで無事に運んでくれた)

 その島根県に入ったことがない、出雲を訪ねたことがない。こりゃ今井君の名折れである。今回は意地でも計画を実現させたい。「今度は絶対に寝坊なんかしないぞ」とカタく心を決めていた。

 特にワタクシは日本海側・秋田県の出身だ。日本海側にはやっぱり日本海独特の歴史があって、秋田県は島根や鳥取と縁もゆかりもたいへん深い。「出雲」という名字の同級生だって存在した。イズモ、イマイ。出席簿でも名前がくっついていた。

 ヤマタノオロチどんは、その正式なフルネームが「高志之八俣遠呂知」、つまり「コシのヤマタノオロチ」なのであって、コシとは「越」、つまり越前・越中・越後から山形県庄内にかけての北陸地方を指す。ヤマタノオロチは、北陸に勢力を誇った「越」の国からやってくるのだ。

 古代の一時期、日本海大地震による大津波が、海岸の河を激しく溯った。ヤマタノオロチとはそのことか。福井県には「九頭竜川」という河があり、8つの頭と8つのシッポをもつヤマタノオロチを想起させる。藤島高校に並ぶ福井の名門に「高志高校」があり、「高志」と書いて「コシ」と発音する。
やくも2
(特急「やくも」拡大図。小泉八雲だけあって、紅白の雲が8個並んでいる)

 コシの王様はマコトに恐ろしかったらしく、秋田県秋田市には「古四王(こしおう)神社」という神社がある。「古い四天王」ということなら、「増長天・持国天・広目天・多聞天なんじゃないの?」とも思うが、この神社は秋田に仏教が根づく前から存在する。

 むしろ、古四王とは「越王」なんじゃないか。越の王があんまりおっかないから、王様を神格化してペコペコ頭を下げてゴマかすことにした、そういう古代の痕跡じゃないか。ま、想像はどんどん膨らむが、興味のある諸君、文学部の大学院に進学して、古代史をバリバリ研究してくれたまえ。

「1年に1人ずつ美しい処女を召し上がる」。うーん、コシの国からやってくるヤマタノオロチどんは、マコトにダラしなく、マコトにイヤらしい大蛇である。連日連夜の「お持ち帰り」もいい加減にしたまえ。

 日本書紀によれば、オロチどん、背中に松や柏の木が生えている。根っこが肉体に突き刺さって、痛くなかったんだろうか。ワタクシはそういう余計なことが心配であるが、この大蛇、無類の酒好きでもある。8つの頭でダラしなくベロベロ&グビグビお酒をあおっているうちに、スサノオどんに肉体をバラバラにされちゃった。

 大蛇の肉体の中にあった「草薙の剣」にぶつかって、スサノオの刀に刃こぼれができる。草薙の剣は「三種の神器」の1つになって、源平の戦のラスト、安徳天皇とともに壇ノ浦の海に沈む。いやはや、まさに悠久の歴史である。
松江駅
(県庁所在地・松江の駅に到着。これで残るは鳥取だけになった)

 というわけで、長い間の懸案であり、忸怩たる思いで見送り続けていた島根県訪問を、こうしてついに果たすことができた。松江・中海・宍道湖、列車は因幡の国を抜けて、いよいよ石見の国に向かう。

 むかし&むかし、NHK大河ドラマで「国盗り物語」をやった時(1973年)、終盤近い11月に「光秀、無禄」というサブタイトルの回があった。明智光秀 ☞ 近藤正臣、織田信長 ☞ 高橋英樹、濃姫 ☞ 松坂慶子。まさかあの濃姫が「ふわり♡なでしこ、しませんか?」みたいなことになるとは誰も予想しなかった。

 本能寺の変の直前、明智光秀の領地は京都に近い丹波と丹後であった。文化人・光秀は領民&農民の信頼もあつく、丹波&丹後の政治経済はまさに理想的な姿。琵琶湖のほとり・近江坂本城を中心に、光秀は最高の領主として人々の尊敬を一心に集めていた。
中海
(山陰「中海」の絶景)

 ところが諸君、いきなり織田信長は「丹波&丹後は召し上げる。代わりに出雲と石見をオヌシにつかわす」と宣言する。あれれ、そんなこと言ったって、出雲も石見もまだ織田方の領地ではない。これから戦って敵から奪い取らなきゃ、「オヌシの領地」も何もあったものじゃない。

 つまり、最高の領地に育て上げた丹波と丹後を主人信長に奪われ、これから戦って敵から出雲と石見を勝ち取るまで、明智光秀は「無禄」、要するに失業者と同じ扱いになるのである。

 大河ドラマでは、それが光秀謀反の直接の原因であるように描かれるのだったが、諸君、いまクマ助が足を踏み出した出雲は、まさにその因縁の地でもある。古代日本でも、中世日本でも、出雲は重要な歴史の転換点なのだ。今日までここを訪れなかったのは、まさに痛恨の極みである。

1E(Cd) Wigglesworth & Netherland radio:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.4
2E(Cd) Mravinsky & Leningrad:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.5
3E(Cd) Maggini String Quartet:ELGAR/STRING QUARTET in E MINOR & PIANO QUINTET in A MINOR
4E(Cd) Barbirolli & Hallé:THE BARBIROLLI ELGAR ALBUM 1/2
5E(Cd) Barbirolli & Hallé:THE BARBIROLLI ELGAR ALBUM 2/2
total m150 y150 d17855