Mon 160118 ブリおどしの雷鳴 金沢富山シャトル便・つるぎ君 大震災の夜と同じ部屋 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 160118 ブリおどしの雷鳴 金沢富山シャトル便・つるぎ君 大震災の夜と同じ部屋

 富山では「ブリおどし」と言うんだそうである。エレベーターの中でホテルマンに「北陸では冬に雷が鳴るんですね」と挨拶したら、「ブリをおどかす ☞ ブリおどしと呼ぶんですよ」と、何だか嬉しそうだった。

 2月9日、朝から激しく降り出した雪は、暖かい北陸地方独特の湿雪。この時期の秋田なら、北西の暴風に吹き飛ばされて雪は真横から吹きつけるのであるが、同じ日本海側でも富山まで南下すると、雪というよりシャーベット状の雨である。

 冬の朝の目覚めにもいろいろあって、秋田とか青森とか北海道まで北上すると、暴風雪で家の窓やトビラがギシギシきしむ音で目が覚める。ワタクシは港町で育ったが、吹雪の朝は「海鳴りの音で目覚める」なんてのもあった。

「海鳴りを聞いたことがない」という人は、真冬の日本海を旅してくれてまえ。鶴岡・酒田・秋田・男鹿・能代、そのあたりの海岸にはホッコリ温かな温泉宿も多い。真っ暗な海から「どーん&どーん」と重苦しく突き上げてくる海鳴りの響きを経験すれば、人生が2倍にも3倍にも豊かになるはずだ。
つるぎ
(北陸新幹線「つるぎ」で富山から金沢に移動する)

「東京のお嬢さま」などということになれば、2月の朝の目覚めは「早春の雨だれの音」みたいなオシャレな世界に変わる。地球が温暖化するよりずっと前から、都会の2月の雨は何となく温かかった。雨にうたれた柳の枝に、若い緑の芽がワラワラ育ち始めていたりする。

 そういう夜明けに、「今日は第一志望の入試♡」みたいな東京のお嬢さまが、ウットリと目覚めてお散歩に出たりする。いやはや、田舎モンの今井君なんかには考えられない、まさに憧れの世界である。

 まだ暗い夜明け前のお空から、ほんのり温かいミルクみたいな雨が降って、お庭の木戸から傘を差してお散歩に出る。消えていく街灯、新聞屋さんに牛乳屋さん、朝の早いそういう人々と挨拶を交わしながら、「今日はがんばろうっと♡」と呟くお嬢さま。いやはや、ボクチンなんかとは縁のない世界だ。
新幹線
(金沢⇔富山シャトル便「つるぎ」の車内。普通車でもこんなにキレイ。あまりのガラガラぶりが恐ろしい)

 ところが諸君、北陸の人々は「冬のカミナリで目が覚める」という驚くような日々なのだ。むかしむかし「アリス」の3人組が「冬の稲妻」と言ふ曲を大ヒットさせ、その曲はワタクシのカラオケでのオハコでもあるのだが、いやはや、富山の冬の雷鳴はマコトに強烈である。

 海の中を泳いでいるブリの皆さんが、この雷鳴にブリブリ震え上がると言うんだから、雷鳴の強烈さを想像するのは難しいことではない。どんより低く曇ったお空には、まさに至近距離にカミナリどんがニタニタ笑っていて、例のワッカに並べた太鼓を好き放題に乱打するのである。

 シャーベット状の雪が激しくホテルの窓を打ち、ほぼ30秒おきにカミナリさまの太鼓乱打が襲ってくる。こりゃ2日酔いのクマでも確実に目が覚める。こんなことじゃ、富山のクマさんたちはうかうか冬眠もしていられないんじゃないか。「ブリおどし」というより、むしろ「クマおどし」のレベルである。

 お昼を過ぎても雷鳴はおさまらず、雪も一向に止む様子がないから、ワタクシは「卒タクシー宣言」を今日だけ取り下げることにして、ホテルから富山駅までタクシーを利用した。運転手さんと話したのだが、富山の雷鳴は立山連峰に反響して、実際の3倍にも4倍にも重苦しく響くんじゃないだろうか。
駅弁
(金沢で豪華お弁当を購入。「のどぐろ&香箱蟹のお弁当」。こりゃ旨い)

 さて、雪と雷鳴の中、ワタクシは北陸新幹線で金沢まで移動する。利用するのは「つるぎ」。富山 ⇔ 金沢間、約20分の道のりをひたすら往復し続ける、珍しいシャトル型の新幹線である。

 正直言って、「何だこりゃ?」なヤツである。JR西日本と東日本のメンツが複雑にからまりあった結果と思われるが、指定席はガラガラ、グリーン車はもっとガラガラ。そりゃそうだ、たった20分のために指定席だのグリーンだの、そんなメンドーなことをする人はあんまりいないだろう。

 あんまりガラガラなので、運行するJR西日本では「車両の1/3を使用させない」という暴挙に出ている。12両の標準編成なのだが、「8号車・9号車・10号車、およびグランクラスの12号車はご利用になれません」というアナウンスが入る。

 ま、さすがに8000円も余計に出してグランクラスに乗り込み、たった20分で「はい、おさらば」みたいな乗客はいないだろう。しかし諸君、その他の車両もガーラガラ。冬の雷鳴をモノともせず、コンクリートの壁の中を快走する「つるぎ」君が、ボクは何だか可哀そうだ。

 だってたった5分後に、東京から威風堂々やってくる「はくたか」君が迫っている。つるぎ君の富山発が14時14分。はくたか君は、14時19分。つるぎ君はガーラガラ、はくたか君はほぼ満席だ。
中身
(お弁当の中身。のどぐろもカニもイクラも旨い。オススメでござるよ)

 これじゃ諸君、まるで「前座」である。超人気講師の授業を次に控え、教室の前には長蛇の列ができているのに、いまはまだ不人気な講師の授業。教室内は10人にも満たないガーラガラ、外の行列は300人。15年前の佐々木ゼミで頻繁に目撃した光景である。「早く終われよ」という罵声さえ飛んでいた。

 しかしワタクシは、そういうつるぎ君がいとおしい。「いったいどうして、はくたか君の5分前に設定したの?」「どうして30分前にしてあげなかったの?」であって、チャンスがあったら、諸君もぜひグリーン車を利用してあげてくれたまえ。グリーン車 ☞ 完全貸し切り、そういう晴れがましいVIP気分に浸れることウケアイだ。

 金沢駅でお弁当を買って、今日もまたANAクラウンプラザホテルに宿泊する。「スパイア」☞ ウルトラ・エリートのステイタスを満喫するわけだが、今日のお部屋は最上階の1715号室。2011年3月11日、ワタクシは東日本大震災をこの部屋で経験した。
部屋
(大震災の日と同じ部屋に泊まる)

 5年前であるが、記憶は確かだ。間違いなくこの部屋である。あの日の北陸は大雪に襲われ、大阪から乗車した特急「サンダーバード」は20分近く遅延。金沢に着いたのは14時半を過ぎていた。

 異変に気づいたのは、部屋に入ってすぐである。14時46分。部屋のブラインドが大きく揺れて壁にぶつかり、それがいつまでも止まらない。周期の長い揺れで、大きく揺れていることに気がつかないほどであった。

 しばらくして「もしかして、地震?」と気づき、テレビをつけた。チャンネルが何故かフジテレビ系列になっていて、安藤優子氏が深刻な表情で「東京で大きな揺れ」「千葉の石油精製工場で火災発生」のニュースを読み上げていた。

 NHKにチャンネルを切り替えると、画面はすでに驚愕の光景であった。
「宮城県名取市の上空です」
「名取川に、大津波が押し寄せています」
「黒い水が水田を覆いつくしていきます」
ヘリコプターからの絶叫が続いた。

 今日の部屋は、あの日と同じ部屋である。ブラインドもテレビも、ソファもテーブルも、あの日と全く同じである。金沢駅で買ってきた「のどぐろと香箱蟹弁当」をシミジミ味わいながら、大震災以来の日々を思い出して暗澹たる気持ちになった。

 あの日の夕暮れ、金沢からさらに富山まで移動して、130名の公開授業を行った。福島でも、気仙沼や大船渡や陸前高田でも、「いったいこの悲劇はどこまで行ってしまうんだ」という状況。東京でさえ、帰宅困難者が続出して大混乱に陥っていた。

 その記憶にしばし茫然とし、北陸の夕暮れの中、部屋の明かりをつけるのも忘れて座っていた。小松での公開授業の時間が迫っていたが、とても「よし、では出かけるぞ!!」という気分になれなかったのである。

1E(Cd) Gergiev & Kirov:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.6
2E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
3E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 1/2
4E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 2/2
5E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
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