Sat 160109 熊谷10年20回の思ひ出 「カチドキ」で祝勝会 キツキツのスケジュール | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 160109 熊谷10年20回の思ひ出 「カチドキ」で祝勝会 キツキツのスケジュール

 もう10年も経過した話であるが、2005年の東進移籍の時、最初に公開授業に出かけたのが大阪府京橋と愛媛県松山、そして埼玉県の熊谷校舎であった。

 いきなり代ゼミから移籍しても、生徒も保護者もさすがに「今井って、誰?」であって、あの頃の出席者数はやっと100名前後。どこもみんな駅前の雑居ビル状態だったから、ワタクシとしても「移籍は失敗だったかな?」「人生を間違ったかな?」と、少しばかり不安になった。

 しかし諸君、1997年の駿台 ☞ 代ゼミ電撃移籍でも、2005年の代ゼミ ☞ 東進電撃移籍でも、今井君の激烈さには全く違いがないので、「一気にトップにのしあがらなきゃイヤ」というワガママはどこまでも貫き通す。半年以上イジイジ暗い片隅でイジけているのはイヤなのである。

 だから移籍直後のクマ助は、周囲もビックリの爆発的活動期に入る。ライバル講師はさぞかし迷惑だろうし、講師のメンドーを見てくれる職員のカタガタも「何もそんなに慌てて猛烈にスパートなさらなくても」と苦笑を浮かべるのであるが、この厳しい社会では「スタートで一気」が必須条件なのである。
サイン
(熊谷での祝勝会は駅前の「カチドキ」で。1980年代終盤の早稲田ラグビーを盛り上げたSH堀越のサインに感激。そう言えば堀越は熊谷工の出身だ)

「隅っこでイジイジ」が半年も続けば、早くも周囲から雑音が聞こえ始める。「アイツちっとも使えねーじゃん」「前評判と違うんじゃね?」「鳴り物入りだったのに」「もう消えちゃった?」みたいな、厳しいササヤキとツブヤキが容赦なく湧き起こる。この道を選んだら、運命と考えるしかない。

 心臓が強いヒトならそんな声はカンペキに知らん顔&無視だろうが、諸君、今井君は甚だ気の弱いクマみたいな生き物だ。そんなツブヤキ&ササヤキをホンの一切れでも耳にしようものなら、その場で生き続けることをあっという間にあきらめる。

 だから諸君、移籍したらその場で瞬時に猛然とスパート、それしかワタクシの生きる道はない。だから移籍直後の2005年、「ヨーロッパ40日の旅」から3月21日に帰国したクマ助は、目の前に与えられたチャンスを最大限に活用しようと、精神はパンパン強烈に張りつめていた。
ネギマ
(熊谷駅前「カチドキ」、ネギマ ☞ おいしゅーございました)

 ホントの最初の公開授業は、大阪・京橋。そこで何と「ホテルの予約さえとれていない」という屈辱を味わった。しかもそのホテルが新大阪の安いビジネスホテルであったことにウルトラ激怒。激怒しすぎて猛烈に噴火、頂上がふっとんだヴェスヴィオ火山みたいになっちゃった。

 本拠地であるはずの吉祥寺でも200人教室に100人もいないスカスカを経験。松山では宿泊先:全日空ホテルのランプシェードが異様に汚いことに激怒。当時のヴェスヴィオ今井は、自分で自分を追いつめすぎて、目の前が真っ赤に染まっていた。いやはや、ご迷惑のかけどおしだった。

 だから2005年3月末、埼玉県熊谷での公開授業にも、やっぱりパンパン&ピンピンに張りつめた緊張状態で乗り込んだ。何しろ代ゼミ時代は、つねに200人教室がパンパンで、立ち見さえ出る状況だったのだ。

「空席なんかあったら、絶対に許さない♨」という迫力に目も血走り、頭頂部から硫黄くさい湯気がモクモク立ちのぼるような熱々グマ。「古代ポンペイなんか、火山灰でヒト飲みにしてくれれんず!!」と真っ赤な口をカッと開いたヴェスヴィオ今井。うぉ、あれから10年、あの熱さが懐かしい。
チーズ
(熊谷駅前「カチドキ」で。チーズのカリカリ焼き、おいしゅーございました)

 その後の熊谷は、代表&副代表ともに10年そのクマ助を熱烈に支援してくださった。10年で20回も公開授業を企画&開催、新刊書「さあ、音読だ」についても、早速200冊近く購入していただいた。

 塾長からは公開授業前に「一気に読了しました」「爆笑しました」と絶讃をいただき、かつ公開授業開始前の「塾長あいさつ」では、「さあ、音読だ」を全出席者へのオススメ本として熱烈に紹介していただいた。

 ま、こういうふうで、10年20回の公開授業で熊谷に集合した高校生の数は、考えてみればのべ3000人を超えている。移籍初年度に出席した高校生はすでに30歳に限りなく接近。後輩諸君にも「今井はサイコーだぜ」というメッセージを伝え続けていてくれるはずだ。

 1月31日、「これで今年も12分の1が終わったな」という感慨の中、校舎6階の大教室に集結した生徒諸君は130名。独特のコの字型教室で90分、実際には15分延長してしまったので105分、クマ助の大熱演にはボーボー火がついて、もう留まるところを知らなかった。

 パパと2人で参加、パパ&ママと3人で参加、そういう女子コーセーもたくさんいる。むしろパパのほうが感激して「先生と早く出会えればよかった」とか、ママが感動して「明日からワタシが受講したいです」とか、家族全員で盛り上がっていらっしゃる。まさに理想的な展開であった。
上野駅
(翌日のスケジュールを鑑み、終電で帰京。超深夜、静まり返った上野駅がマコトに懐かしい)

 21時、熊谷ではもうすっかり恒例の大祝勝会は11名が参加、熊谷駅前「カチドキ」で。10年で20回に及ぶ長い祝勝会の歴史であるが、おそらく今までで最高のお店であった。

 ラグビーの町♡熊谷らしく、この店もまたラグビー関係者の出現が多いらしい。ゴローマルどんのサインやユニフォームもあるが、最も嬉しかったのは、堀越正己サンのサインである。1980年代後半、早稲田大学SH。同時に日本代表SHとしても活躍した。現在、立正大学ラグビー部監督である。

 ワタクシなんかは、「堀越サンこそ次期日本代表監督にふさわしい」とさえ考えている。日本代表がダメなら、早稲田の監督でもいい。早稲田監督は10年前の名CTB ☞ 山下大悟と決まっちゃったが、ならば堀越どんにも、どこか華々しい活躍の舞台がほしいじゃないか。

 店の屋号「カチドキ」は、おそらく平家物語のヒーロー ☞ 熊谷直実にちなんだもの。源義経、鵯越の逆落とし、一ノ谷の合戦、「青葉の笛」の平敦盛。熊谷から秩父鉄道で南下すれば、畠山重忠ゆかりの町もある。まさに「カチドキ」であって、クマ助の祝勝会にはピッタリの店である。

 従業員の中には、ワタクシのモト生徒もいらっしゃる。帰る間際に「英語が大キライだったのに、今井先生のおかげで大好きになりました」というお手紙をいただいた。

「風邪を引いていたせいで、まだ声が出ません」「普段は和服で店に出るんすが、風邪が治ったばかりなんで、今夜は普段着です」という熱心な女子従業員もいらっしゃって、祝勝会メンバーの喝采を浴びていた。
早朝
(翌朝午前5時、始発電車の時間帯。まだ何となく初詣のおめでたさが残っている)

 カリカリに焼いた鶏皮、ジューシーなネギマなど、焼き鳥を中心に料理もみんな「おいしゅーございました」。店の人たちもみんな対応が素晴しくて、「次回の熊谷祝勝会も、ぜひまたこの店で♡」とお願いしたくなるほどであった。

 ところが諸君、1月31日の今井君には、このまま熊谷に宿泊できない事情があった。どんな事情かはプライベートなことなので詳述しないが、何と翌朝8時過ぎに宮城県仙台市にいなければならなかったのである。

 翌2月1日の移動は凄まじい。朝のうちに① 東京☞仙台、昼近くなって② 仙台☞東京。夕暮れに③ 東京☞仙台、深夜に④ 仙台☞東京。「これがもしヒコーキだったら、たっぷりマイルが貯まりますね」という東京⇔仙台2往復を翌日に控え、のんびり熊谷に宿泊してはいられない。

 こういうわけで諸君、「カチドキ」の楽しい祝勝会には、途中で1人寂しくお別れをして、熊谷発23時11分の最終電車で上野まで1時間。上野着0時15分。もうすっかり静まり返った深夜の上野駅を横切って、タクシーに乗り込んだ。

 確かに「卒タクシー」ではあるのだが、さすがにこのスケジュールではそうも言っていられない。オウチにたどり着いて午前1時、ブログをアップしてからお風呂に入って、2時間ほど睡眠。午前4時には起床、始発電車で仙台を目指す。こういうスケジュールの時は、「ブログを短く」宣言もひとまずお休みしなきゃいけないのである。

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 5/9
2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 6/9
3E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 7/9
4E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 8/9
5E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 9/9
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