Wed 151118 埼玉県草加の大盛況 ついでに春日部・極辛カレーを貪る 忘年会の総帥グマ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 151118 埼玉県草加の大盛況 ついでに春日部・極辛カレーを貪る 忘年会の総帥グマ

 12月10日深夜から11日朝の首都圏は、ホントに梅雨時と同じタイプの雨が降り続いて、激しく荒れ狂う南風に雨は完全に横なぐり。東京都心の気温は24℃まで上がって、夕暮れになってもムワッと暖かい。冬のコートを羽織って出るのを躊躇うほどだった。

 何となく「こりゃフロリダか?」「中南米かい?」「もしかして、ここはインド?」な雰囲気。強風が吹き荒れたせいで、カエデもイチョウも冬らしく葉っぱは散ったが、落ち葉でいっぱいの路上から湯気が上がっているようじゃ、「いやはや温暖化もここまできたか」というタメイキしか出ない。

 雰囲気がまるでインドだったから、クマ助は「よーし、それならカレーを貪ってこよう!!」と決めた。夕暮れ19時半から、埼玉県草加で公開授業。どうせ草加まで行くんなら、春日部まで行ったって大した違いはない。

 大好きな春日部「ラホール」の極辛カレーを貪って、それで2015年の締めくくりにしようじゃないか。「締めくくり」と名づけるのはまだ早いけれども、サラリーマンの世界ではとっくにボーナスが出て、世の中は忘年会の真っただ中。「極辛カレーで締めくくり」ぐらい、いくらでも許されるはずである。

 その思いつきにパンパンに盛り上がった今井君は、代々木上原15時半発の地下鉄千代田線に乗り込んだ。始発駅だから、一番端っこの座席を占領して北千住まで35分、ゆっくり贅沢にウキウキ座って行ったのである。
カレー1
(埼玉県春日部、「ラホール」の極辛ジャンボハンバーグカレー)

 心もカラダもスミからスミまで「カレー♨」「カレー♨」「極辛のジャンボハンバーグカレー♨」と、その思いだけでもう頭から湯気が立ち上るほど楽しく暖かい。もう30年以上も食べ続けているカレー。人生最大の友のうちの1人と言っても過言ではない。

 北千住からは「太田行き・特急りょうもう号」というものに乗り換える。おやおや、「りょうもう号」は20世紀までは「急行」だったが、21世紀のある時点で「特急」に昇格したらしい。

「太田」とは、正確には「群馬県太田」であって、「ふとだ」ではなくて「おおた」と読む。しかしわれわれ昭和世代にとって、「太田」と言えば甲子園悲劇のエースしか思い出さない。幼いクマ助は、最初から最後まであの死闘を目撃したのである。

 甲子園決勝で延長18回の死闘を演じ、翌日の再試合で惜しくも敗れ去った青森県立三沢高校のエース。キャッチャー・小比類巻のミットに向かって最後まで剛速球を投げ続けた太田投手の記憶は、地球がいくら温暖化したって決して消滅することはないのである。

 ただし「群馬県太田」となると、いくらNHKが「花燃ゆ」がらみで宣伝しても、思わず「どこですか、フトダって?」というレベルで終わってしまう。「花燃ゆ」のサブタイトルとして「いざ、群馬へ!!」の文字を見た時、思わず「は?」と絶句したのはクマ助だけではないはずだ。

 しかし諸君、群馬県立太田高は、県内のライバル前橋高&高崎高に負けず劣らず、素晴らしい実績を出し続けている文武両道の名門だ。「太田女子高」だって負けてはいない。略して「太女」、☞ 何となく「フトジョ」と呼ばれて可哀そうだが、関東平野のど真ん中で頑張り続けている。
りょうもう
(裏ぶれた私鉄特急「りょうもう」で関東平野を北上する)

 しかしそんなことは、今日の今井君とは全くカンケーないのだ。群馬県太田ゆき、急行から特急に昇格した「りょうもう」に乗り込んだクマ助は、一気に「東武動物公園」の駅まで関東平野を北上した。裏ぶれた東武線の町を、暗い12月の強風が吹き荒れていた。

 この駅は、昭和の昔は「杉戸」と呼ばれていた。「杉戸」「宮代」「幸手」「姫宮」「和戸」「栗橋」「久喜」。うーん、こうして駅名を並べてみると、やっぱり北関東のカホリがムンムンであって、ビュービュー12月の強風にさらされると、秋田で過ごした寂しい少年時代をまざまざと思い出すのである。

 東武動物公園からは、上りの東武線で春日部に引き返す。電車の行く先は中央林間。何もこんなにはるばる離れた東武線 ⇔ 地下鉄半蔵門線 ⇔ 東急線を無理やり結びつける必要はなかっただろうに、誰かが机上の空論でくっつけちゃって10年、現在に至る。

 春日部周辺の高校生はすっかり今井君の影響下にあるらしくて、春日部駅の夕暮れの大混雑の中でも、そこいら中で「今井だ!!」「今井じゃね?」「うそだろ、今井先生だ!!」という絶叫やウメキや歓声が上がる。ま、しょうがないですな。何を隠そう、まさにその「今井だ!!」そのものなのである。
カレー2
(春日部「ラホール」の極辛ジャンボハンバーグカレー、全体図。諸君もチャンスがあれば、ぜひ貪っていただきたい)

 17時、春日部はまた雨が降り出した。夏のような生ヌルいベチャベチャした雨は上がって、今度はいきなり北風に吹き散らされた冷たい雨のしぶきである。榛名山か赤城山か、谷川岳か日光の山々か。気圧配置が冬型に変わった瞬間、そういう北の険しい山々から荒々しい寒風が吹きすさぶ。

 いきなり気温が下がったこういう晩に、何よりありがたいのが極辛カレーと熱々ラーメンである。カレーなら、ラホール。ラーメンなら「おなかの友達 萬来」。どちらを選んでも、ポカポカ身体の芯から暖まる。

 何しろ今日の目標は最初から「ラホール」であって、いかにも場末、場末中の場末、「場末で何が悪い?」というほどの場末だが、隣りは質屋、2階も質屋、何だか質屋天国な春日部の一角で、クマは勇んで「ラホール」に闖入した。

 注文したのは、「ジャンボハンバーグ、インドカレーの極辛」。普段は「辛口」というマイルドなカレーで抑えておくのであるが、北から冷たいカラッ風の吹き荒れているこういう晩には、カレーのレベルも1段上げて一気に「極辛」にチャレンジするのがいい。
控室
(手前18畳、向こう側12畳。合計30畳の広大な控え室)

 諸君、この上にさらに「極々辛」だの「激辛」だの、そういう凶悪な辛さの世界も待っている、しかし今井君は、このあと草加まで南下して、90分のお仕事をこなさなければならない。「極々辛」「激辛」の世界に入り込んでお腹をこわすの考えものである。

 そして注文から2分、店のダンナがクマ助のハンバーグをペッタン&ペッタン激しく捏ねはじめた。「おお、やってるやってる」である。やがてハンバーグがジューッと焼ける音がすると、もうクマのヨダレは留まるところを知らない。

「店のダンナ」と軽々しく呼ぶけれども、もう30年も通い続けている店だ。ダンナはすでにハンバーグを捏ね続けて40年は経過しているはず。今井君がいくら「予備校界の大物」であっても、まだ講師歴は30年に満たない。ラホールのダンナのハンバーグには及びもつかないのである。

 いやはや、おいしゅーございました。今年もまた2度も3度もはるばる通ってきたが、食べログやぐるなびのクチコミにどんな悪口を書き込んであろうと、今井クマ蔵はこの店のジャンボハンバーグカレーが大好き。店が続く限り通い続けて、無愛想なダンナの奮闘をいつまでも讃え続けたいと思っている。
草加
(埼玉県草加での大盛況)

 さて、極辛カレーでクマのポンポンは100%パンパン。辛すぎるカレーで口からボーッと炎を噴き出しそうになりながら、春日部から草加に向かった。春日部・せんげん台・越谷・草加。東武線のこのあたりはマコトにノンビリした地域であって、受験勉強も信じがたいほどに昭和な雰囲気のままである。

 会場は、草加市民会館。いやはや、これは明らかに昭和40年代のハコモノであって、講師控え室は18畳の和室。お隣の12畳と合わせれば、今すぐ町内の少年たちを集めてインスタント柔道教室ぐらい開催できそうだ。

 この控え室で1時間ほど待機。辛すぎたカレーと、デカすぎたハンバーグを消化するにはベストな環境であって、プレゼントしてもらったユンケル1本をグイッと飲み干せば、諸君、クマ助は野坂昭如どんのエネルギーをそのまま受け継いだ昭和の怪物に変わる。

 19時半、超満員の会場になだれ込むや、まさに「みーんな悩んで大きくなった!!」の世界。最後まで意地でも無表情を通した生徒も2名いらっしゃったが、まあそれもいいじゃないか。

 オレもオマエも大物だぁ!! 大物は、音読だ。オマエが大物なら、今夜から音読だぁ!! まあ、そういうことである。諸君、満腹とは不思議なもので、まるで泥酔したような満足感を脳にもたらすものである。

 音読だ、音読だ、音読だぁ。野坂昭如どん以上の絶叫を残して、12月のクマ助は寒風吹きすさぶ埼玉県草加を後にした。いやはや、今晩も目いっぱい楽しかった。

 電車は忘年会のヨッパライを満載していた。しかしさすがにクマ助はヨッパライの総帥である。たとえシラフであっても、まだ経験の乏しい若いヨッパライどもを掻き分け掻き分け、「ホラ、チャンとしなきゃ」と厳しく指導しながら、悠々とオウチに帰還したのだった。

1E(Cd) Bonynge:OFFENBACH/LES CONTES D'HOFFMANN①
2E(Cd) Furtwängler:BEETHOVEN/SYMPHONY No.7
3E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
4E(Cd) Luther Vandross:SONGS
5E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
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