Thu 151112 オマケの1晩 北海道の旅の記憶 ゼミ歌を作った日(留萌ましけ往還記7) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 151112 オマケの1晩 北海道の旅の記憶 ゼミ歌を作った日(留萌ましけ往還記7)

 こうして諸君、11月30日のワタクシは(すみません、前回の続きです)、ヒコーキへの落雷と雷雲接近のせいで「突然の欠航」というピンチに立たされた。

 しかし昔から言われるように「ピンチはチャンスでもあるはずだ」であって、こりゃ北海道をもう1日満喫する大チャンスである。ホテルと明日のヒコーキを確保したあとは、さっそく空港の北海道料理屋に飛び込んで、店で一番高い「三色丼」を注文した。

 ハッキリ言って、もうクマ助はホクホクである。ついさっきまで「帰りたくない♨」とムクれていたのだ。こうしてまるで天の恵みのように、「落雷のおかげでもう1晩」が与えられ、ピンチはあっという間に大チャンスになって、こうして三色丼を貪れる。

 諸君、どうしてこんなに日本のお米はおいしいんだ? おお、ふと気がつけばこれは「2015年度新米」というヤツであって、ウニとイクラとカニをたっぷりのっけたホカホカごはん、それにお味噌汁。いやはや、素晴らしい晩になった。

「ダイエットは?」とか、そんな意地悪なことを言いなさんな。確かに今回の北海道出張で、クマ助はずいぶん炭水化物を貪った。今朝は駅で買ったお弁当、今もこうしてデカい丼。昨日だって一昨日だって、こうして書き綴ってみると、もうヤケを起こしたんじゃないかと思うぐらいワシワシやっている。

 でも諸君、これでもずいぶんガマンしているつもりなのだ。公開授業のたびに校舎で用意してくれるケーキだって、もう1ヶ月食べずに頑張った。せっかくのケーキを「ダイエットなんで」とお断りするツラさ&申し訳なさを、11月のクマ助は気丈に耐えぬいたじゃないか。
三食丼
(新千歳空港内で、ウニ・イクラ・カニの「三色丼」を味わう)

 新千歳空港から札幌に戻る電車の中で、長かった11月を振り返って思わずシンミリした。11月2日・千葉での公開授業を皮切りに、休みの日はほとんどナシでついにここまで乗り切った。

 全国を駈け回りながら、贅沢に旅も楽しんだ。紅葉の京都にも2回。鹿児島・広島・岩国と、お仕事に絡めて余裕の旅を続け、最後はこうして留萌・増毛への冒険で締めくくった。舟の上に生涯を浮かべ、日々旅にして旅を住処とするクマ助としては、絶品の11月だったと言える。

 長かった2015年秋冬シリーズも、こうしてほぼ完了するのである。残ったのは、12月初旬の三重県の津でのお仕事ぐらい。12月中旬に首都圏で8回の公開授業が残っているが、これはまあルーティンであって、その直後にベルリンへの旅が待っている。
北一已
(留萌&増毛紀行の思ひ出「きたいちやん」駅。「期待ちゃん」ではなくて「北一已」である)

 列車の窓に映る毛むくじゃらの顔を見つめつつ、思わずシンミリしてしまう。大学4年の3月、友人5人で北海道を鉄道で回る旅をした。数百年前の記憶ではあるが、何しろ驚くべき記憶力の持ち主だ。旅のスミズミまでしっかり記憶に留まっている。

 当時の北海道は温暖化がまだハッキリする前だったから、3月は真冬の真っただ中。深い雪の中、年老いたローカル線の気動車が、紫色のケムリを吐きながら這うように進んでいった。湧網線、興浜南線、興浜北線、天北線。今では廃止されてしまったそういう路線を乗り継いで、最北の稚内にたどり着いた。

 あの旅の終わり、青函連絡船を下りた後は、青森から常磐線経由の急行列車で帰京した。昔は「十和田」という夜行急行が青森から上野まで12時間かけて結んでいた。ヒエー、今ならヨーロッパに着いちゃうほどの時間をかけて、青森から上野まで駆け抜けたのである。

 21世紀は恐ろしい世の中であって、「急行 十和田」でググっただけで、当時の車内放送を聞くことが出来る。若い諸君も後でジックリ車内放送を聴いてみたまえ。パパやママの世代がどんな世の中に生活していたか、シミジミ分かるはずである。
日本海
(留萌・増毛間、初冬の日本海)

 あの時、友人たちはもちろんそのまま急行・十和田で上野まで行く。ところが若きクマ助は途中の土浦で下車。当時は千葉県の松戸に住んでいたから、上野まで行って下り電車で松戸に戻るより、土浦で上り電車に乗り換えたほうが速かったのである。

 1人で降り立った茨城県土浦は、3月の生ぬるい雨の中であった。「生ぬるい」と感じるのも当たり前で、つい昨日までは厳寒の北海道をほっつき歩いていたのだ。梅も終わって「そろそろ桜」という時期の関東の雨が生ぬるいのは、ちっとも不思議じゃなかったのである。

 しかしあの時クマ助が途中下車したのにはワケがあった。何しろ3月のこと。みんな卒業 ☞ 就職を控えていて、友人たちと連日ジャレあうのも「どうやらこの日が最後になるかな」という予感があった。

 ムクれたような態度で土浦で列車を降り、窓に向かって手を振った。早稲田の校歌に「集まり散じて、人は変われど」とあるが、4年前に集まった我々はいよいよ「散じる」直前だったのである。
蕎麦紀行
(12月1日、札幌駅構内「蕎麦紀行」でかき揚げ蕎麦をすする。グルメな皆さまは失笑するだろうが、クマ助はこの駅そば店が大好きだ)

 その翌日の午後、大学に顔を出すと、ゼミの諸君と出会った。
「我々のゼミには『ゼミ歌』がない」
「それは寂しいから、ぜひ『ゼミ歌』を作ろうじゃないか」
ということになった。学校の校歌とか、運動部の部歌じゃなくて、ゼミの歌。ま、単なるオフザケであるが、それも悪くないじゃないか。

 何しろ若きクマ助はそういうことが得意だったから、「ゼミ歌は今井に任せよう」ということになった。「では、どんな単語や表現を歌詞に入れてほしいか?」とゼミの諸君に尋ね、その単語を組み合わせて、素晴らしいゼミ歌を作ろうと決まった。

「どうしても歌に入れてほしい」と熱望された単語・表現群は以下の通りである。みなぎる闘志/Go Go Go Go/陰にこもった/赤とんぼ/インモラル/現象学/胸に秘め/青筋立てて/私としては/マスラオ。これを組み合わせて歌詞を作れと言うのだから、至難のワザである。

「は?」「こんなの組み合わせて作詞できるの?」であるが、あくまで学部生のオフザケだ。しかもそういうオフザケこそ、昔も今もワタクシの真骨頂。3分後にはゼミ歌の歌詞が出来上がった。完成作は以下の通りである。

  陰にこもったマスラオが
  みなぎる闘志 夢に秘め
  青筋立てて 現象学
  ワタシとしては インモラル
  Go Go Go Go 赤とんぼ

おしながき
(ANA札幌☞羽田便のお弁当は「ホテルニュー王子」が調理する。ホテル名に驚くが、東京都北区王子ではなくて、苫小牧市内のホテルである)

 唖然&茫然と言うか、こんなシロモノを「歌詞」と呼ぶことに、今もなお気後れを感じる。しかしまあいいじゃんか、後はこれに曲をつける仕事が残っているが、いったん歌詞が出来てしまえば、ピアノもギターも必要ない。

 30年も前に一世を風靡したシンガーソングライター小椋佳どんが言っていたことであるが、「曲づくりはカンタン。詩を何度も繰り返し音読しているうちに、その音読に自然にフシがついてくる」であって、今井君もやっぱり同じ意見。音読は、曲づくりにもベストの方法だ。

 というわけで、あの日の午後の我々は、そのまま居酒屋に乗り込んで、出来たばかりのゼミ歌を何度も何度も熱唱した。あんまり熱唱しすぎて、ゼミ歌はクマ助の記憶の奥深くに残り、数百年が経過した今でも、ふとしたハズミに口をついて出てくる。

 語学の勉強も然り。何度でも音読し、音読に音読を繰り返し、心と脳の奥深くに焼きつける。さあ諸君、やっぱり、音読だ。

1E(Cd) Anita Baker:RAPTURE
2E(Cd) Luther Vandross:THE ESSENTIAL
3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 11/18
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 12/18
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 13/18
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