Mon 151109 留萌&増毛に出発 昭和の繁栄と衰退 三大蟹弁当(留萌ましけ往還記4) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 151109 留萌&増毛に出発 昭和の繁栄と衰退 三大蟹弁当(留萌ましけ往還記4)

 11月30日、旧代ゼミ札幌校に乗り込んで大熱演の翌日であるが、クマ助は予定通りに「留萌・ましけ往還の旅」に出かけることにした。

 もちろん昨日は痛飲した。若干の二日酔いはある。しかし二日酔いなんかに屈していては、人生はちっとも楽しくない。予定の往路・移動ルートは以下の通りである。

札幌    深川    留萌    ましけ  
09:30 → 10:35(スーパーカムイ9号)
      11:08 → 12:04 → 12:44

 札幌09:41発の網走行き特急「オホーツク」や、10:00ちょうど発の旭川行き「スーパーカムイ11号」で間に合うのだが、ギリギリの乗り換えでは留萌本線の列車でいい席が取れない。

 1時間半立ちんぼでは、せっかくの旅の楽しさは半減してしまう。ちょっと早い電車で深川に向かい、余裕で乗り換えたほうがいい。増毛には10分しか滞在できないが、復路の予定は以下の通りである。

ましけ   留萌    深川   札幌
12:54 → 13:24 → 14:28
(スーパーカムイ28号) 15:14 → 16:20

「スーパーカムイ」は、札幌から「エアポート162号」として運行され、新千歳空港まで直通で行ける。新千歳空港到着予定は17:20。東京に帰るヒコーキが18時30分発であるから、ちょっと列車が遅れても十分に余裕があるはずだ。

 いやはや、「増毛には10分しかいられない」という超過密スケジュールであるが、まあそれも致し方ない。ゆっくり滞在するのはまた次のチャンスに譲るとして、今回はとにかく廃止寸前の留萌 ⇔ 増毛間に乗車することだけを目的にしたい。
深川出発
(深川駅に停車中の留萌本線、増毛ゆき)

 北海道の地図を眺めながら、小学生の頃から「いつかは留萌に行ってみたい」「いつかは増毛に行きたい」と夢見ていた。大学3年と4年の冬に、2回も北海道鉄道旅行に挑戦したが、根室・網走・紋別・北見枝幸・稚内・名寄までは足を伸ばしても、日本海側の留萌と増毛は白紙のままだった。

 むかしむかし、昭和の時代の留萌周辺は
① ニシンの大漁で栄え、
② 木材の伐採と加工で栄え、
③ 数の子とタラコの加工で栄え、
④ 数々の炭坑からの良質の石炭の採掘で栄えた。

 留萌からは天塩川流域を稚内方面にひたすら北上する「羽幌線」という長い支線もあった。留萌本線と羽幌線はともに石炭の輸送で繁栄を続け、かつてはここに急行列車も走っていた。

 留萌の炭坑から採掘される石炭は良質。ススもケムリも少なくて、「エントツ掃除のキライなお父さんは、留萌の石炭を使いましょう」というキャッチフレーズまであったという。

 林業と水産業と炭坑で繁栄すれば、若い元気な男子が続々と留萌に集まってくる。元気を持て余した男たちの集まるお店も、昭和初期から中期にかけて全盛を迎えた。「夜の歓楽街」という若干オッカナイ世界であるが、元気な男たちがドッサリ集まったんじゃ、そりゃある程度は仕方ないだろう。
増毛到着
(増毛駅に到着した留萌本線のキハ。深い哀愁が漂う)

 しかしその繁栄も1970年代まで。ニシンは不漁が続き、石炭は採れなくなり、例え採れたとしてもツラい肉体労働を嫌う世代のこと、炭坑は次々に閉鎖された。数の子やタラコだって、単に加工するだけなら、札幌その他の大都市に工場を奪われるのは当然の帰結だった。

 いまでも留萌には「数の子生産日本一」のノボリが立っているが、街はすっかり寂れてしまい、最盛期に4万人もあった人口は今や2万ちょっとに過ぎない。「若い元気な男たち」が去ってしまえば、当然のように夜の歓楽街も寂れていく。

 高齢化、老齢化。炭坑も港も工場もすっかり見捨てられて、沿線には赤錆びた光景が続く。炭坑は廃墟。羽幌線は1980年代の国鉄民営化で廃止。深川からは朱鞠内湖に沿って名寄まで走る「深名線」も存在したが、これも廃止。廃線跡にバスが走っている。

 まあそういう世界だ。増毛滞在は10分。言わば「行ってみるだけの旅」であって、まさに乗り鉄そのものであるが、奥ゆかしい木造家屋が並ぶ増毛の街も、雄冬の岬の日没も、近い将来また時間の余裕のある時に見にくればいい。
快晴
(留萌本線・恵比島付近の峠の光景。気持ちいい快晴になった)

 実は1ヶ月前の10月18日、小樽での公開授業後の祝勝会で「増毛に有名な造り酒屋がありましてね」と紹介された日本酒があった。「国稀」と書いて「くにまれ」と読む。飲んでみると、いかにも素朴な味がした。

 昭和の繁栄の味と言ってもいい。秋田の「高清水」みたいなものである。昭和日本を支えた元気な農林水産業従事者や、炭坑や工場で疲労しきった労働者が、夕暮れの居酒屋で陽気に歌を歌いながらグビグビ乱暴にあおった酒の味である。

 10月18日のあの晩、小樽の居酒屋のテーブルには、北海道の誇るさまざまな日本酒の瓶が並んだが、何と言ってもクマ助の記憶に残ったのは「国稀」であって、チャンスがあったら出来るだけ早く増毛という街を訪ねてみたいと思っていた。
駅弁
(札幌駅で購入、三大蟹そぼろ弁当。おいしゅーございました)

 札幌駅で購入した駅弁は「三大蟹そぼろ弁当」。上の写真左から、ズワイガニ・タラバガニ・毛ガニであるが、これが諸君、なかなかの味である。普段は朝食を食べないが、「スーパーカムイ」左の車窓のはるかな暑寒別岳を眺め、その向こうの留萌と増毛を思いながらカニを貪った。

 深川で30分ほど待って、いよいよ留萌本線に乗り込む。予測は当たっていて、ギリギリの特急で来て乗り換えても、大きな車窓に恵まれた座席には座れない。30分の余裕で着いていたワタクシは、留萌から先は冬の日本海が望める右側の席を占めた。11時08分、2両編成のキハは深川を出発した。

 きたいちやん、ちっぷべつ、まっぷ。いかにも北海道らしい難読駅名が続く。「きたいちやん」は、漢字で書けば「北一巳」。「まっぷ」は「真布」。「ちっぷべつ」は「秩父別」。思わず「チップ別」「チップ込み」みたいなツマラン連想をするが、埼玉県の秩父とは全く無関係であるらしい。
秩父別
(留萌本線、秩父別駅)

 秩父別の1つ先に「北秩父別」という駅がある。ところがこの駅には各駅停車も停車しない。もともと2~3時間に一本という各駅停車が止まらないということになると、いったいこの駅にどんな意味があるのかマコトに不思議であるが、確かに駅周辺には数軒の農家が散在しているだけである。

「各駅停車にも無視される」というこの北秩父別駅には、上り下り合計で一日6本のみが停車。「一日平均乗降客 ☞ 2名」という驚愕の数字があるが、それとて1992年、まだこの路線に昭和の輝きが残っていた時代の数字である。留萌本線全体でも、今や上り下り合わせて一日平均140人程度の利用しかないとのことである。

 やがて列車は「恵比島」という駅に到着。かつてこの街がNHK朝の連ドラの舞台になったんだそうな。ドラマの名は「すずらん」。そのせいなのか恵比島駅には「明日萌」という別名があるらしいのだが、その件については明日の記事で書くことにしたい。

1E(Cd) Chicago:CHICAGO
2E(Cd) Take 6:BEAUTIFUL WORLD
3E(Cd) Kazuhiko Komatsu & Saint Petersburg:貴志康一/SYMPHONY ”BUDDHA”
4E(Cd) Akiko Suwanai, Dutoit & NHK響:武満徹 ”FAR CALLS” ”REQUIEM FOR STRINGS”etc
5E(Cd) Amalia Rodrigues:SUPERNOW
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