Sun 151108 札幌でダブルヘッダー大盛況 旧代ゼミに乗り込む感慨(留萌ましけ往還記3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 151108 札幌でダブルヘッダー大盛況 旧代ゼミに乗り込む感慨(留萌ましけ往還記3)

 何はともあれ、とにかくお仕事優先だ。「何のために北海道に来たんだ?」「何しにヒコーキでビューンなんかしてるんだ?」という声に対して、まさか「留萌と増毛を旅しに来たんです」とも応じられないじゃないか。

 札幌の講演は、ダブルヘッダー。午前の部に200名、午後の部にも200名の申し込みがあって、合計で400人もの人が、このクマ助の講演を待ちわびている。ワタクシとしても大いに張り切って会場に向かわなければならない。

 毎年この時期の講演は、札幌市内のホテルに会場を借りて実施する。京王プラザホテルだったり、新札幌駅前のシェラトンホテルだったり、この3~4年いろいろなホテルを巡り歩いているうちに、新札幌のシェラトンはいつの間にか他のホテルに買収されてしまった。

 ところが諸君、今年は「まさに今井先生に絶好」という講演会場がオープン。「是非ともそこを活用しましょう」ということになった。他でもない、モトの代々木ゼミナール札幌校であって、今ではTKPの管理下に置かれ、貸し会場として活用されている。
札幌
(札幌ダブルヘッダーは、午前午後ともに大盛況。何と会場は元代ゼミ札幌校。懐かしい建物であった)

 赤レンガ色の美しい旧・代ゼミは、今もなお巨大看板に「代々木ゼミナール」の文字が残る。かつて代々木の本部校舎からサテライン授業を受信し続けたパラボラアンテナも、20世紀終盤の偉容を残している。

 そのパラボラアンテナを通じて、代ゼミ時代の今井君の授業をたくさんの生徒諸君が受講していたはずである。今井君が東進に移籍して11年。18歳だった彼ら彼女らは、すでに30歳近いオトナになっている。

 モト生徒諸君がどこでどうしているんだか、ワタクシには見当もつかないが、まさかあの立派な代ゼミ札幌校が貸し講演会場になってしまおうとは、当時の生徒諸君には想像もつかなかったはずだ。

 ここは、20世紀北海道の大学受験生たちの聖地なのである。当時、高校の先生方の中にも「ウチの高校は4年制なんだ」「4年目は札幌駅前の予備校に通うんだ」と、生徒たちの前で平然とおっしゃっていたカタも存在した。

 その場合「札幌駅前の予備校」とは、まず第一に代ゼミ札幌校を指していたのである。そりゃ札幌ほどの大都市だ。河合塾も駿台も抜け目なく校舎を展開してはいた。しかし当時の札幌では代ゼミの勢力が圧倒的。KやSがちょっとやそっとで入り込める状況ではなかった。
旧代ゼミ札幌校
(かつて受験生で溢れたツワモノどもが夢の跡。巨大看板はまだ残っているが、今や「TKP」の管理下にある)

 今もしょっちゅう飲み会で同席する先生方の中に、20世紀の代ゼミ札幌校を支えた代表格のヒトたちがいらっしゃる。数学で600人教室を満員にし続けていた先生。古文のウルトラ有名講師。いやはや、楽しい時代だった。

 しかしやっぱり「盛者必衰の理をあらわす」「祇園精舎の鐘の音が、ゴーン&ゴーン&ゴーーーン」なのであって、こうして代ゼミ札幌校の赤レンガ校舎は貸し会場に変貌。隣りにガラス張りの新校舎はあっても、20世紀の栄耀栄華は、今や忍ぶべくもない。

 諸君、やっぱりクマ助にとっても古巣なのである。こんなアリサマになったのが、悔しいし、寂しいし、悲しくてならない。だって、たとえ貸し会場にかわっても、床も階段も、廊下もトイレも、まさに8年過ごした昔の代ゼミのまま。ちっとも変わっていないのである。

 教室の白いタイルも、教室の観音開きのドアも、ドアのガラス窓についた覗き窓も、昔のままだ。あの覗き窓から、授業をサボった生徒がコッソリ教室を覗いたものだった。
元教室
(控え室は、昔&昔の大教室。全てが懐かしい代ゼミのまま、ドアのガラスの覗き窓までそのままだった)

 昔の予備校では、キライな講師の授業はむしろ積極的にサボり、そのまま永遠にサボることを「授業を切っちゃう」と言った。ズバズバ切っちゃうのはいいが、やがて「切っちゃった」ことに大きな不安を感じ、授業中の様子をうかがいに来るのである。

 今井君は、「切っちゃった」とか得意げに自慢している生徒をおちょくるのが大好き。様子をうかがいに来た生徒が、超満員で立ち見さえ出ている今井教室をコッソリ覗くタイミングで、覗き窓から逆に廊下の方を覗き返したものである。

 授業中のクマと至近距離で目が合って超ビックリ、跳んで逃げていく臆病な生徒の背中に、遠慮なくドアを開けてヒトコト「逃げなくていいぞ!!」と声をかける。教室内からドッと大爆笑が沸き起こる。

 ただしそれは代々木校での出来事。札幌校の諸君はサテラインの電波で代々木の様子を眺めているだけだから、臨場感はあまりない。何しろクマ助は代ゼミ四天王としての8年間に、一度も札幌校の中に入り込んだことはないのである。
活け造り
(祝勝会はすすきのの郷土料理屋「おが」にて。見事な活け造りが次々と運ばれてきた)

 講師控え室として準備された一室も、かつては生授業用の大教室として使用されていた一室である。最後は黒板を清掃する係員を雇用する余裕もなくなっていたのか、黒板はホワイトボードに変わっている。

 チョークボックスはそのまま、盤面だけ白いボードに変わって、しかもその盤面にはずいぶん使いこまれた跡がある。かつての熱烈な授業の雰囲気が教室中に染み込んで離れない。どれほど多くの北海道の若者が、この場所で受験生活を送ったことだろうと思うと、クマ助の目にも涙が滲むのであった。

 午前の部は10時45分スタート、12時15分終了。午後の部は14時15分スタート、15時45分終了。ともに200名の出席で大教室は満員になった。合計400名の中には保護者の姿も多く、保護者の皆さんも生徒諸君に負けず劣らず激しい大爆笑の連続を満喫しておられた。

 もしやと思ったクマ蔵は「ここは北海道民と札幌市民の大学受験の聖地です」「ここはモト・代ゼミ札幌校。若い頃ここに通って熱い受験勉強に酔いしれたカタも、皆さんの中に少なくないはずです」と語りかけてみた。

 大きく頷くパパやママがどれほど多かったことか。その様子を眺めつつ、クマ助は代ゼミ講師OBの代表格として、これからもまだまだ大学受験の世界を支え続けようと、熱く心に誓ったのである。
きっぷ
(留萌 ☞ 増毛のチケットも入手。いよいよ留萌本線の旅に出る)

 200名超満員×2回のダブルヘッダーを2連勝したからには、祝勝会もぜひ盛大に行わなければならない。会場はすすきの、南3条あたりの郷土料理屋「おが」である。「おが」とは間違いなく「男鹿」であって、北海道の郷土料理ではあるけれども、オーナーなりマスターなりはきっと秋田の人である。

 見事な活け造り、貝づくし、どの料理もたいへんおいしゅーございました。中でも、「秋田県土崎港の出身です」というマスターの笑顔が嬉しかった。諸君、今井クマ蔵もまた、秋田県土崎港の出身。強烈な秋田弁会話が、その場で思い切りはじけたのである。

 マコトに残念なことに、マスターの弁では「6歳の時に両親に連れられて故郷を離れ、この札幌に移住してきました」とのこと。6歳までじゃ、土崎のことなんかほとんど記憶にないだろうが、昭和20年8月14日、終戦12時間前の土崎空襲の話をしてくれた。

 もちろん諸君、それほど大昔のことは今井君もマスターも直接体験ではない。両親どころか、むしろ祖父母の昔語りに聞くだけなのであるが、8月14日の夜空を焦がした空襲の恐怖は、こんなふうに札幌の地でもしっかりと語り継がれている。

 こうして、11月29日のお仕事は滞りなく終了。明朝は9時30分の特急「スーパーカムイ」で、石狩川に沿って深川まで北上する。いよいよ留萌本線に乗り込み、暑寒別岳の北辺を迂回して留萌とマシケを目指すのであるが、その話はもちろん明日の記事に詳細を書くことにする。

1E(Cd) George Benson:TWICE THE LOVE
2E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
3E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
4E(Cd) George Benson:LOVE REMEMBERS
5E(Cd) George Benson:STANDING TOGETHER
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