Sat 151031 再び広島でお好み焼き 博多のグエッホねえさん 出雲に行こうと決める | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 151031 再び広島でお好み焼き 博多のグエッホねえさん 出雲に行こうと決める

 11月22日、鹿児島でのお仕事があんまり楽しかったので、本来なら広島まで祝杯をガマンする計画でいたのに、鹿児島中央駅で新幹線を待ちながら、早くもタップリの祝杯を単独であげてしまったのだった。

 そのせいもあって、広島までの九州新幹線およそ2時間半はグッスリ眠って過ごした。鹿児島を出て、熊本到着と博多到着は記憶にあるにしても、後はいつ発車したのか、どこをどう走ってどこに到着したのか、ちっとも記憶にない。

 次にクマ助が記憶しているのは、広島でいつものお好み焼き屋に腰を下ろした瞬間である。ということは、「いつ広島に到着したか」「どんなふうに電車を降りたか」「どうやって改札を出たか」も記憶にないことになってしまうが、もちろん以上はあくまで大袈裟に書いているにすぎない。

 なぜそんなに大袈裟に書くのかというに、「そのぐらいお好み焼きが楽しみだった」というクマ助の熱い心を表現したいだけなのである。実際には車内でも単独祝杯は延々と続いて、広島到着前にクマ助は「出来あがっていた」のであった。
高砂○
(広島駅「お好み焼き 高砂○」の看板)

 しかし、出来あがっていようがいまいが、まさか広島に来てお好み焼きを貪らないわけにはいかない。ホテルにチェックインするより早く、クマ助は広島駅構内「高砂○」に闖入。しっかり年季の入ったお店のテーブルで、メニューも見ずに「牡蠣の鉄板焼き」「お好み焼き・高砂」を注文したのである。

 諸君、実はワタクシはこの店の名前を間違って書いていた。ずっと「高砂」と表記してきたが、正式名称は「高砂○」。最後の「○」はキチンと「まる」と発音し、全体で「たかさごまる」と読まなければならない。

 固定観念とはマコトに恐ろしいもので、その程度のことも確認せず、店に通い続けて10年が経過。固定観念に縛られたまま、立ち寄るたびに必ずブログにも掲載してすでに7年半。「いやはや、いやはや」である。

 しかしどんなに「いやはや」でも、この地味なお店のお好み焼きが相変わらず大好きだ。広島にはもっと遥かに旨い店がたくさんあるらしくて、広島の人に「高砂○のお好み焼きが好きです」と告白するたび、「シロートですね」という意味の微笑が返ってくる。まあ人の好き嫌いなんだから、何ともしようがない。
高砂
(高砂○で最高のテンコモリは「高砂」。やっぱりこれがいい)

 そうしているうちに、お隣のテーブルに博多弁のカップル2人が着席。連休を広島で過ごし、これから博多に帰るらしいが、女子のほうがヒドい風邪を引いてしまったようだ。ドラッグストアの袋の中に、おっきな風邪薬のパッケージが見える。

 しかしこんなに狭い店内の、これほど至近距離にズラリとテーブルが並んだ真っただ中に入ってきて、いきなり女子の強烈な咳が始まった。確かにマスクはしていらっしゃるが、今井君との距離は、1メートルどころかおそらく50cmもない。

「グエッホ、グエッホ、グエッホ、グエッホ、グエッホ」。クマ助はキチンと数えていたのだが、間違いなくグエッホ5連発。周囲を威圧するほどの力量感あふれるグエッホである。さらに3連発、4連発、ちょっと間をおいて再び4連発、続いて2連発。フィギュアの連続ジャンプを凌ぐ力強さである。

 今井君からカップルのテーブルを挟んで向こう側のテーブルは、関西コトバの女子2名。この2人の反応もなかなか強烈であって、2人そろって完全に向こう側を向いてしまった。さっきまであんなに楽しげにオシャベリしていたのに、そのオシャベリもピッタリ止まった。

 カップル男子は、全く気にしない様子。「そんなに咳をすると、腹筋が痛くなるとよ」とニヤニヤ笑うばかりである。咳こみ女子も、周囲の反応なんか一切気にしない。機関銃のようにグエッホ連発を繰り出し続ける。
永観堂1
(翌23日は紅葉の京都へ。モミジと言えば、やっぱり永観堂だ)

 お、ついにマスクを外した。それもそのはずであって、彼女が注文した「ネギ焼き」が運ばれてきたのである。なるほどマスクをしたままで「ネギ焼き」は食べられないから、その行動は当然すぎるほど当然なのだが、そもそもその激烈な咳の中でお好み焼きを飲み込めるのかどうか、それが心配だ。

 しかし諸君、正直言って今井君にはもう2つの心配があって、
① 風邪のウィルスがクマ助のノドや鼻の粘膜に入り込まないか
② 噛み砕かれた青ネギのカケラが、今井君の大切な生ビールの中に吹き飛ばされてこないか
この2点は、今のワタクシにとって極めて重要である。

 幸いなことに、すでにクマ助は自分の大切な「高砂」をほぼ平らげてしまっていたから、最後のヒト切れを大急ぎで飲み込み、せっかくのスーツが青ネギの破片だらけにされないうちに、大急ぎで店を出たのだった。

 店のレジの所で、クマ助は「オコッシュ」という消臭剤を発見。リセッシュのお好み焼き屋バージョンであるらしい。店のダンナに「広島ではどこでも売ってるんですか?」と尋ねてみたが、残念なことにこれは業務用。シロートの手には入らない限定品であった。

 ホテルにチェックインして、明日の予定を考える。明日の仕事は19時から広島県福山であるから、午前から午後遅くにかけて、遊ぼうと思えばタップリ遊ぶことが可能。候補としては宮島・倉敷・岩国・竹原・尾道など、枚挙にいとまがない。
永観堂2
(京都・永観堂にて。今年の紅葉はどこも色づきがイマイチだ)

 その時、今井君のアタマに「出雲に行ってくるかな?」というアイディアが浮かんだ。広島から出雲は、バスで3時間の道のり。中国山地を南から北に横切って、瀬戸内から日本海側に出るだけだ。出雲大社にお参りして、美味しいお蕎麦をツルツルすすって、それから福山に向かえばいい。

「出雲」、と思った瞬間から、頭の中では「徒然草」の第236段「いざたまえ、出雲おがみに」が渦巻きはじめた。236段なら、最初から最後までビシッと暗誦できる。高校時代の音読のタマモノで、暗誦できる段が今でも20段はある。

「いざ給へ、出雲拝みに。カイモチヒ召させむ、とて具しもて行きたるに」。現代語に訳せば、「さあ、出雲を拝みにいらっしゃい、ボタモチを御馳走しますよ、というわけで連れ立って出かけていったが」である。

 残念ながら徒然草のこの「出雲」は、冒頭に「丹波に出雲というところあり」とある通り、丹波の国の出雲。現在の京都府亀岡市であって、島根の出雲大社とは別物である。しかし丹波の出雲も709年の創建と伝えられ、マコトに由緒正しき神社である。

 吉田兼好どんが語るその後のエピソードは、読者諸君のほうで確認してくれたまえ。上人の位をもつエラいオボーサマが、狛犬が後ろ向きに立っている姿に感動 ☞ 感涙するのだが、実はコドモたちのイタズラに過ぎなかった。最後は「上人の感涙、いたずらになりにけり」で締めくくられる。

 しかし、そんなことどうでもいいじゃないか。新刊書の売れ行きは相変わらず絶好調、緊急増刷も、間もなく出来そうだ。鹿児島も超大成功だったし、明日の福山もスゴいことになっているらしい。ならば朝のバスで出雲まで3時間、お参り&お蕎麦を楽しんで帰ってこよう。
やすらぎ
(京都・永観堂にて。通称「やすらぎ観音」がカワイイ)

 ホクホクしながら、11月22日のクマ助は眠りについた。宿泊先は広島駅前のシェラトンホテル。バスターミナルも目の前で、出雲行きのバスは広島駅前7時25分発。6時半に起きれば大丈夫だろう。

 しかしそう考えて安心しきったクマ助がいけなかった。目が覚めてみると、窓の外はすっかり明るくなっている。時計を見ると、すでに7時40分。「これは寝すぎた&しくじった」であって、クマどん変じてウサギさんとなるの図である。

 この場合、一般の人ならば「後悔のホゾを噛む」という程度で終わってしまうのだが、諸君、海千山千の今井君はやっぱり違う。「ならば、京都に行ってこよう」と、その場で直ちに行き先変更を決定。10時前の新幹線に飛び乗って、一路京都を目指すことになった。

 広島から京都まで、「のぞみ」なら1時間半。山を越えるだけの出雲より、はるかな京都のほうが近い。半分の時間でたどり着き、半分の時間で戻ってこられる。京都で遊ぶ時間だってタップリとれる計算になる。

 その旅の結果が、本日掲載した写真の3枚目から5枚目。数ある京都の紅葉の名所の中から、永観堂と真如堂を選んでうろつき回ったのであるが、連休最終日の京都の旅のことは、明日の記事の中でその詳細を語ろうと思う。

1E(Cd) Kirk Whalum:UNCONDITIONAL
2E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL
3E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.
4E(Cd) Incognito:BENEATH THE SURFACE
5E(Cd) Incognito:100°AND RISING
75 Stay San Francisco 151002 151008
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