Mon 151012 懐かしいロマンスカーに涙 平塚の大盛況 下北沢「とりを」で単独祝勝会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 151012 懐かしいロマンスカーに涙 平塚の大盛況 下北沢「とりを」で単独祝勝会

 11月4日、クマ助はまたまた小田急ロマンスカーに乗り込んで、オシャレな湘南を目指さなければならない。昨日は藤沢、今日は平塚だ。藤沢と平塚は東海道本線でほとんどお隣どうし。2つの駅の間には、辻堂と茅ヶ崎、2つの駅が挟まっているだけだ。

 ならば、いちいち渋谷区のオウチまで帰る必要はないじゃないか、どこか鎌倉あたりにでも宿泊して、湘南の秋を大いにエンジョイすればいいじゃないか。そうも思うのだが、むかしむかし「失楽園」という映画で、「鎌倉プリンスホテル」が舞台になったことがあった。

 まあそれが諸君、マコトに困った映画であって、役所広司どんと黒木瞳先生が、鎌倉プリンスホテルでホントにいけないことばかりする。もう20年も昔の映画であるが、そのせいで鎌倉プリンスに宿泊すること自体、何だかイケナイ気分がついてまわるのである。

 しかも、例えば昨日の藤沢の仕事の後で「鎌倉プリンスに宿泊」という行動に出たとする。すると考えてみたまえ、翌日12時にはチェックアウトが待っている。12時にチェックアウト、平塚のお仕事は19時から。うにゃにゃ、ではクマ助は7時間もの間、何をして過ごせばいいんだ?
ロマンスカー
(小田急新宿駅には、レトロなロマンスカーが出発を待っていた)

 その場合、考えられるのは「江ノ島観光」「鎌倉散策」ぐらいであるが、江ノ島なんか観光したら、キンメダイの刺身だの、サザエの壷焼きだの、釜揚げシラスだの、クマ助の大好物が次々と出てきちゃう。そんな旨いものの数々を、中年グマがお酒なしで食べられるとでも言うのかい?

 それは鎌倉散策でも全く同じこと。遠足や修学旅行の中高生じゃあるまいし、晩秋の鎌倉を散策しながら銭洗弁天でお札でもピチャピチャやって、それで終わりにできるとでも言うのかい?

 つまり諸君、もし湘南エリアに宿泊したとして、秋のクマには「7時間を上手につぶす」という難題が待ち受けているのである。7時間は、長いよ。田舎生まれの今井君には、そんな長い時間を上手につぶせるワザは身に付いていないのだ。

 昭和のイケナイ作家なら、湘南&鎌倉エリアには、くつろげる馴染みの店なり家なりがあり、晩秋の7時間をポカポカ楽しく過ごさせてくれる優しいヒトもいただろう。いやはや、ホントにいけない人たちであるね。
新型デスク
(最近は、塾のデスクも椅子も新しくなった)

 そこで今井君は、「昨日が藤沢、今日が平塚」というスケジュールでも、チャンといったんオウチのねぐらに帰って、マジメ&品行方正に一晩を過ごしたのである。その一晩でヒレカツだの若鶏の唐揚げだのを非常識に貪ったとしても、品行方正であることには変わりない。

 11月4日は夕暮れ4時にオウチを出て、小田急新宿駅からロマンスカーに乗った。
「あれれクマどん、アナタは昨日もロマンスカーに乗りませんでしたか?」
「あなたはずいぶんロマンスカーがお好きなんですね」
であるが、首都圏でこの時間帯に確実に座って旅するには、指定席制になっている小田急に頼るしかないのだ。

 その小田急がまたマコトにレトロである。今日の写真1枚目も見てくれたまえ。「それって、いったいいつの電車なんです?」と絶叫したくなるような、太古の昔の「はこね」号がホームで待ち受けていた。
旧式デスク
(一方、商工会議所の椅子には、レトロな白いカバーがかかっておった。まるで昔のグリーン車みたいでござったよ)

 今井君の記憶が正しければ、この小田急「はこね」号は、30年も40年も前の昭和の時代、小学館の図鑑シリーズ第9巻「交通の図鑑」の中にすでに描かれていた。

「交通の図鑑」でググってみたまえ。おお、載ってる&載ってる。10年前の中央線・快速電車や、つい1週間前にJR西日本で引退が決まった旧国鉄の花形「こだまタイプ」「はつかりタイプ」の特急電車も載っている。小田急の「はこね」はそういうヤツらに1歩もヒケをとらない「私鉄エリート」であり続けたのである。

 もちろんデザインはその後も進化したのであり、「交通の図鑑」のロマンスカーと、いま目の前で発車を待ち受けている「はこね号」は全く別の車両ではある。しかしやっぱり40年も前のデザインの痕跡は残っている。余りの懐かしさに今井君はしばし立ち尽くし、懐かしの車両に挨拶を送ったのであった。

 この日のロマンスカー「えのしま」号は、新宿発16時50分。藤沢到着17時47分。まる1時間かけて湘南に到着し、藤沢で東海道本線に乗り換えてさらに西の平塚に向かう。藤沢 ☞ 平塚は15分ほど。18時10分、晩秋の日がトップリと暮れた平塚南口に降り立った。
平塚
(神奈川県平塚の大盛況)

 平塚の東進ハイスクールは、4年半ぶりである。前回は、忘れもしない2011年3月12日。東日本大震災の翌日の夕暮れであった。その辺も「アーカイブ」をクリックして読んでくれたまえ。

 3月11日は、宿泊が金沢。夜は富山で公開授業があった。帰りの特急電車は大震災の影響で全て運休になり、富山から金沢まで各駅停車で2時間もかけて帰還した。その夜は、長野県栄村で震度6の大地震もあり、東北地方の惨状をテレビで見ながら熱い涙を流した。

 だから、その翌日にまさか平塚で公開授業を実施するとは予想もしていなかったのである。金沢から小松空港、羽田空港から大混乱の首都圏を通ってタクシーでいったん帰宅。まさかとは思っていたが、しかし「平塚の公開授業は予定通り実施したい」との連絡が入った。

 詳しくは、やっぱりこのブログのアーカイブから「2011年3月」をクリックしてもらうしかないが、実際に3月12日の公開授業は実施したのである。福島がたいへんな状況になっているのをUストリームで見つめながら、控え室のクマ助は「こんなことしていてホントにいいんだろうか」と自問自答を続けた。

 あれから、もう4年半の時間が経過している。今夜の出席者諸君は、当時はまだ小学生だったわけで、時の経過はマコトに早いものである。もう10年もすれば、「大震災のことも大津波のことも、原発事故のことさえ全く記憶にありません」というコドモたちがクマ助の前に並ぶ計算になる。
長崎ちゃんぽん
(単独祝勝会は、下北沢「とりを」で。酒も料理も、全ておいしゅーございました)

 いやはや、そういうことを考えつつ、平塚の大盛況の前に立つと、マコトにフシギな感じである。会場は駅から徒歩10分の「平塚商工会議所会館」。4年半前は平塚の狭い校舎内で実施したが、今回は大盛況を受けて外部会場を借りての実施になった。

 終了、20時40分。駅まで真っ暗な道を一気に走って戻り、20時54分の「湘南新宿ライン」に間に合った。グリーン車に1時間ふんぞり返って、渋谷到着22時。渋谷から井の頭線に乗り換え、下北沢到着22時10分。南口を降りて右折、お馴染みの博多料理店「とりを」に駆け込んだ。

 お馴染み「単独祝勝会」である。「とりを」はおそらく半年ぶりであるが、よく記憶してもらっていて、いろいろ特別なサービスをしてもらえる。豚のソーセージ、おいしゅーございました。博多名物「おきゅうと」「がめ煮」、ホントにおいしゅーございました。

 中でも〆に最高だったのが、ちゃんぽん。生ビール3杯に、赤ワインボトル1本を平らげ、焼き鳥の串が10本もたまった所で運ばれてきた長崎ちゃんぽん君が、まさかこんなに旨いとは予想もしなかった。

 ずいぶん長く「とりを」に足を運ばなかったが、こんなに旨いなら、これからしばらく今井君は「とりをファン」でいられそう。やっぱり下北沢は諸君、間違いなく日本最高の街なのである。

1E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 1/3
2E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 2/3
3E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 3/3
4E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DAS RHEINGOLD 1/2
5E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
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