Fri 150925 IHGスパイア・メンバー 今井ナニサマ? 小樽でニシン御殿を訪れる | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150925 IHGスパイア・メンバー 今井ナニサマ? 小樽でニシン御殿を訪れる

 今から10年前、「全日空ホテル」と言えばそれなりの高級ホテル扱いであって、東京でも大阪でも福岡でも札幌でも、「出張には全日空ホテル」と胸を張れば、日本の一流ビジネスマンを気取ることができた。状況が一変したのは、今井君の出張が激増した10年前のことである。

 20年前、まだ駿台講師だった頃は、一週間に一回の福岡出張はあったけれども、駿台というところは事務局も講師陣もどこまでも地味&地味な主義であったから、超有名講師であっても、福岡ではみんな「アークホテル」であった。

「何だいそりゃ?」であるが、今井君より20歳も30歳も年上の講師陣がみんな「アークホテルで十分」「サウナに泊まったってかまわない」という世界だったので、文句の言いようもなかった。

 それでも福岡出張2年目ぐらいからさすがに激務に耐えかねて、「もう少しだけ何とかなりませんか?」と尋ねてみた。その結果は「西鉄グランドホテルでいかがでしょう」というもの。全日空ホテルやホテル日航のレベルは、この予備校ではなかなか許可が降りないのであった。
おたる
(10月18日、北海道小樽を訪れる)

 今から18年前、駿台から代ゼミに移籍していきなり「四天王」の一角を任されたが、出張は一週間に一度の名古屋のみ。名古屋では航空会社はあんまり強くないから、全日空ホテルは存在しても、名古屋都心から遠く離れた「金山」の駅前なのであった。

 仕方なくクマ助は名鉄の系列を選択。最初の2年は「名鉄ニューグランドホテル」、次の1年は「名鉄グランドホテル」、今ではすっかり古びてしまったその類いのホテルに、毎週ホクホク宿泊していた。

 時代が21世紀に切り替わる頃、名古屋の駅前に「マリオット」が開業して、贅沢の大好きな代ゼミの先生たちはこぞってマリオットに移動した。今井君もご多分に漏れず、もう意地でもマリオット。代ゼミから東進に電撃移籍を決めた時も、代ゼミの慰留交渉はやっぱりマリオットの一室で行われた。

 というわけで、全日空ホテルとの付き合いが始まったのは2005年3月26日、四国・松山の全日空ホテルでのことだった。あの日、クマ助は「40日のヨーロッパ旅行」から帰国した直後で極めて不機嫌。ランプシェードがあんまり汚いので、フロントに文句をつけたほどである。
きのこそば
(札幌駅構内でお蕎麦をすする。温かい「きのこそば」、たいへんおいしゅーございました)

「PRIORITY CLUBに入会しませんか?」と声をかけられたのは、おそらくあの時の松山全日空ホテルのフロントである。
「全日空ホテルは、これから順次『ANAクラウンプラザホテル』に名称変更して参ります」
「インターコンチネンタルホテルグループのメンバー様として、どんどんポイントが貯まります」

 そういう感じで、「いま入会しないのはオロカ」「マトモに考えたら誰でも入会します」という激烈な営業スマイルが今井君を圧倒した。日本で一番気弱なクマ助は、「そんなにおっしゃるなら…」とマコトに不承不承に入会申込書の空欄を埋めた。

 あれから幾星霜、クマ助は数えきれないほどの海外旅行を重ね、日本全国への出張の数知れず、いつの間にかPRIORITY CLUBのゴールドメンバーに昇格し、PRIORITY CLUBは「IHG」に名称変更し、ついでに今井君もプラチナメンバーにさらに昇格した。

 プラチナ君になってから、世界中どこのホテルにチェックインする時でもフロントの態度がカンペキに変わった。ゴールドのころは、「はあ」程度だったのが、プラチナ君がデスクに接近しただけで「ははーあっ!!」という感じで平身低頭、「どこの億万長者なんだ?」という程の歓待ぶりなのである。

 一ヶ月半前のマルセイユ滞在までは、クマ助はプラチナ君のまま大活躍を続けた。「オレはIHGプラチナ様だ」「そこのけ&そこのけ」な勢いはフランスだろうがイタリアだろうが、滅多な人の止められるものではない。
運河
(小樽運河。真っ赤に染まったツタの葉がキレイだった)

 ところが諸君、2015年10月、今井君のステイタスはさらに上のほうへとグイッと上がってしまった。「プラチナの上に、『スパイア』を新設いたします」というのである。諸君、SPIREとは、「テッペン」「群を抜く存在」「教会の尖塔」であって、一般を威圧するような高い権威をさす。

 いやはや、そりゃたいへんなことになった。ゴールドは年間10泊で達成、プラチナは40泊で達成だが、スパイアは75泊もしなきゃ達成できない。一年365日のうち75泊ということになると、4日に1回宿泊してなきゃダメな計算だ。

 それはまたたいへんな生活であるが、実際に75泊しなくても、それに該当するポイントを稼げばスパイアに到達できる。8月まで着実にポイントを蓄積してきたクマ助は、8月から9月のマルセイユ滞在2週間で、一気にテッペン ☞ SPIREに昇りつめた。

 まあ諸君、クダラン話と言えばホントにクダラン話。ツマラン話と言えばマコトにツマラン話。しかし人間とかクマとかいうものは、そういうツマラン&クダラン話で結構ホクホクするものであって、ANAの4年連続ダイアモンド達成だって、クマ助はスッゲー♡ホクホクなのである。

 すると人間はますますアホらしいプライドをくすぐられ、「オレは何しろスパイアなんだから、ホテルのフロントでぐらい、もっとチヤホヤしてほしい」と考えるようになる。
祝津海岸
(小樽、祝津の鰊御殿から札幌方面を望む)

 しかし諸君、この間の那覇でも、今回の札幌でも、どうも様子がおかしいのである。「SPIRE」という聞き慣れないステイタスが、まだホテル従業員の皆様にビシッと浸透していないようなのだ。

 ついこの間までは、
「あっ、プラチナ・メンバー様でいらっしゃいますね」
「お部屋をアップグレードさせていただきました」
と、まさに格別の待遇をしてくれていたのに、今やニコリともせずに「はあ、どうも」「はい、どうも」という対応なのである。

 また、グループ内での札幌全日空ホテルの位置づけも危ういようだ。グループ内では、一定の基準を満たしたホテルから順番に「ANAクラウンプラザホテル」に昇格していく。東京と大阪のインターコンチを頂点に、全国ほとんどの加盟ホテルは「クラウンプラザ」に衣替えした。

 最後まで残っていた京都も、昨年から「全日空ホテル」からクラウンプラザ・ブランドに変わり、取り残された「全日空ホテル」はいよいよ松山と札幌ぐらいになった。実際に宿泊してみると「ムベなるかな」であって、松山のランプシェードと同じぐらい、札幌全日空ホテルの古さが気になるのである。

 フロントの対応も「まあそれなり」な感じ。チェックイン時に「今井と申しますが…」とオズオズ名前を言うと、「今井ナニ様ですか?」と突慳貪に尋ね返された。「今井ナニサマ?」と言われると、臆病なクマどんはさすがにビックリする。

 出来ればこの場合、「あのー、下のお名前は…?」ぐらいが適当なんじゃないか。「今井、ナニサマ?」はさすがにマズいだろう。昔のクマ助なら、その場でビシッと指摘するところであるが、この2~3年マコトにマイルドになった今井ナニサマは、まあ苦笑いで済ませることにしたのである。
鰊御殿
(明治中期、田中福松どんの建てたニシン御殿)

 さて10月18日、今井ナニサマは午後3時から小樽でお仕事があったが、せっかくの小樽である。石原裕次郎ゆかりの小樽に出かけるなら、ビシッと観光もして来なきゃ「男がすたる」であり「太陽にほえろ」であって、お昼前に小樽に到着した今井ナニサマはまさにガオーッと太陽にほえちゃうことにした。

 すぐタクシーに乗り込んで、小樽市祝津の「鰊御殿」へ。最近グッと有名になった「青山貴賓館」のほうではなくて、むかしむかしニシンの網元として巨万の富を蓄えた田中福松氏の由緒ある鰊御殿のほうである。

 明治中期、北海道西部に押し寄せたニシンは、毎年驚くべき大漁を記録。この地方にいくつもの鰊御殿が誕生したが、この建物は、積丹半島西部の古宇郡泊村のニシン網元・田中福松どんが1891年から7年をかけて1897年に竣工。昭和33年、「北海道炭礦汽船株式会社」が現在地に移転&復元した。

 呼吸が困難になるほどに大量発生した雪虫の乱舞の中、今井ナニサマは鰊御殿を満喫。実は今から30年前の冬、小樽を襲った大雪を掻き分けて、若きナニサマはこの鰊御殿を訪れた。しかしあの時は「休業中」という惨憺たる結果。30年ぶりに訪れた鰊御殿は、今度は雪虫の乱舞の中に埋もれていたのであった。

1E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
2E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.4
3E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.5
4E(Cd) Leinsdorf:MAHLER/SYMPHONY No.6
5E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.8 1/2
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