Sun 150913 新文科相の花やかな家系 バロン西からバロンつながり(また夏マルセイユ20) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150913 新文科相の花やかな家系 バロン西からバロンつながり(また夏マルセイユ20)

 日本では内閣改造があって、新しい閣僚の名簿を眺めてみると、まあなかなか妥当な顔ぶれが並んだ。意地でも文句のあるヒトビトは、意地でも文句タラタラなんだろうけれども、元の内閣から主要な閣僚がほとんど留任しているのも、地に足がついた感じで悪くない。

 これは要するに「追及の火種が少しでも残る人は交代」という安全運転であって、「S」とか「M」とかが絡んだ怪しいクラブ接待が取り沙汰され、「これは攻撃対象になりそうだ」「任命責任ウンヌンの議論になりそうだ」という人を交代させるのが、主な改造目的だったようである。

「辞任後の新しい文部科学大臣はどんな人になるのかな」と興味津々でいたのであるが、元プロレスラーの名前が取りざたされた時には、さすがに驚いた。プロレスと文部科学省には、どうしてもミスマッチを感じてしまったのである。

 今から30年も前、何をやってもうまくいかなくて千葉県松戸のアパートの一室でムクれていた頃、ごく一時的にプロレスファンだった時代があって、「馳浩」というお名前を閣僚名簿に見たときにも、まず思い出したのは30年前のプロレス番組であった。
夕景1
(マルセイユ、バロン・デ・ゾフの夕景)

 何しろ国会は今や乱闘の場だ。ケータイをこわされたとか、女性議員が羽交い締めにされて投げ飛ばされたとか、パンチが入ったとか入らなかったとか、委員長席についたオジーチャンにダイビングでタックルを試みるとか、甚だしく荒れている。

 こういう状況で文句タラタラの新聞記者がコラムを書けば、「プロレスラーが文部科学大臣になれば、マコトに心強い限りである」みたいな皮肉の1つや2つは、まず間違いなく今日明日のコラムに踊るはずだ。

 しかし諸君、この馳浩というオカタ、モトはオリンピックで大活躍した選手であって、東京オリンピックを見据えたなかなか冷静な人選だと評価していいんじゃないか。これで現内閣に、元オリンピック選手が2名も入ったことになる。

「石川県から選出の議員」ということになれば、21世紀初頭に内閣総理大臣だったラグビー大好きオジサマの影響力も若干話題になるだろうけれども、これほど日本中がラグビーに熱狂している日々だ。そんなに小うるさく騒がなくてもいいじゃないか。
夕景2
(バロン・デ・ゾフ、夕景拡大図)

「それにしても、馳浩ってどんなヒト?」と興味をいだいたワタクシは、ヒマに任せてMac君をポチポチやってみたが、奥方の高見恭子どんを通じてではあるが、マコトに花やかな人脈の真っただ中にいらっしゃる。

 高見恭子どんのパパは、もちろん作家・高見順である。今井君は中3の頃、秋田市土崎港の本屋「金子書店」に連日入り浸っていたが、そこで偶然発見したのが高見順「昭和文学盛衰史」であった。

 中3には相応しくない本であるが、500ページ近くある分厚い角川文庫をホクホクしながら買って帰り、面白く読んだ記憶がある。繰り返して読むうち、「昭和文学史だったら任せてくんなまし」みたいな変な中3生が出来上がった。

 高見順の文体を「饒舌体」と言って、諸君も何となく気づくだろうが、若き日の今井君なんかも若干の影響を受けた。オウチにあった文学全集から「いやな感じ」などを拾い読みして、一時は「ハマっていた」という事実もある。

 中でも「高見順日記」については、永井荷風「断腸亭日乗」とともに近代の日記文学の双璧と呼ぶ人もいて、恥を忍んで告白すれば、長大なブログを書きつづけるクマ助が意識しないでいられない作家なのである。
ピザ
(バロン・デ・ゾフ、人気店「シェ・ジャノー」のピザ。つたない写真では、その旨さは伝わらない)

 さらに人脈をたどっていったら、おやおや、遥かに遠い親戚ではあるが、永井荷風の名前が高見順と同じ家系図の中に存在するじゃないか。日記文学の双璧が同じ家系に属するなんてのは、馳浩どんが文科相になってくれなきゃ一生知らずに終わった事実である。

 そのすぐそばには「小鳩くるみ」の名前もある。「だんご三兄弟」で有名になった歌のオネーサン ☞ 茂森あゆみサンより半世紀も前に、元祖・歌のオネーサンだった人である。うぉ、茂森あゆみサン。だんご3兄弟で育った諸君にとっても、大いに懐かしいでござるね。

 さらにビックリするじゃないか。同じ家系図の中に「西竹一」の名前も発見。若い諸君は知らないだろうが、軍人・西竹一は陸軍大佐、馬術の名手。1932年のロサンゼルス・オリンピックに出場。愛馬ウラヌスと一心同体の活躍で、見事に日本馬術初の金メダルを獲得した。

 日本の馬術なんか、当時の西洋のヒトビトは鼻でせせら笑っていた時代である。西竹一の活躍は世界の喝采を浴び、通称「バロン西」として、愛馬ウラヌスとの美談は戦後も長く語り継がれた。
ロゼ
(今夜もまたロゼワインを楽しむ)

「バロン西」とはまた恐るべきニックネームであるが、彼は府立一中・現日比谷高校の出身。一中の同期生には小林秀雄なんかが登場して、バロン西は馬術の名手であるばかりでなく、なかなかの秀才でもあったわけである。

 こうして諸君、家系図探訪がバロン西まできたところで、マコトに唐突ではあるが、いきなり舞台はマルセイユに飛ぶことになる。バロン西からバロンつながりで「バロン・デ・ゾフ」の話にワープしようじゃないか。

 昨年夏に出会ったアイリーンとネリーに紹介されたのが、マルセイユからバスで20分ほどのバロン・デ・ゾフ。マリーナというより「漁港」と呼んだほうがよさそうな小さな入江があって、数軒の飲食店が寄り集まっている。

 中でもブイヤベースの名店「フォンフォン」と、ピザの「シェ・ジャノー」が有名であって、夕暮れから地元マルセイユの人々が続々と訪れる。入江にかかったメガネ橋に沈む夕陽が美しい。食事よりも、夕陽と夕焼けを眺めるのが目的の人も多い。
夜景
(日が沈んで、バロン・デ・ゾフはグッと趣きが変わる)

 昨夏よりもちょっと奥のテーブルに案内されて、注文したのはピザとロゼワイン。昨年は生牡蠣20個ほども試してみたが、ここの牡蠣は殻にへばりついたようなのが多い。牡蠣は牡蠣でどこか専門の店を選んだほうがよさそうだ。というか、牡蠣そのものがメニューから消えていた。

 海からの風が強いから、ピザは早めに食べてしまわないと、どんどん冷たくなってしまう。あんまり暢気にしていると、ピザそのものが強風に舞う。左手でピザを抑え、右手でワイングラスを支え、目は沈んでいく夕陽に集中する。見た目には忙しくはないが、実はここのお客は誰一人油断なんかしていないのである。

 夕陽が沈んでしまい、やがて夕焼けの空の赤みも薄れていくと、やっと人々は食事に集中することができる。こういうのも悪くない。まずプロバンスの夕景にココロをなごませ、マコトに穏やかな気持ちでワインを味わう。やっつけ仕事みたいな忙しい食事ばかりでは、旅の妙味は分からないものである。

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