Sun 150802 東京は肌寒かった ナデシコが入院 サレルノ湾のこと(ナポリ滞在記37) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150802 東京は肌寒かった ナデシコが入院 サレルノ湾のこと(ナポリ滞在記37)

 8月26日、東京は寒い。どのぐらい寒いかと言うに、ホントに「寒い」というコトバがピッタリな寒さであって、今井くんちのコオロギ君もカネタタキ一家も、「こんりゃもうすぐ冬だんべ」「そろそろ鳴くのもヤメねばな」ということらしく、今夜はまだ全く鳴き声が聞こえない。

 こんなに急速に終わってしまう夏も珍しい。というか、夏がこんなに突然終わってしまったんじゃ、セミさんたちはどうすればいいんだ? たった1週間前には甲子園で準決勝だの決勝だの、あんなに熱い戦いが続いていたのに、これじゃ赤トンボの諸君にも出番が回ってこないじゃないか。

 8月24日が天ぷらなら、25日は巨大ステーキ。詳しくは書かないことにするが、昨日はアメリカ大使館のすぐそば、特許庁のお隣の「ルースクリス」にて、350グラムのフィレステーキを2枚。まさに暴飲暴食な勢いでワシワシ貪ってきた。

 ところが諸君、「敵もさる者」であって、別に敵でも何でもないのであるが、彼もステーキをワシワシやるのは大のお得意。今井君よりデカい400グラムのリブアイステーキを2枚、それこそ「高速処理」して、若い者のパワーを見せつけてくれた。

 彼は「モト生徒」であって、もう20年も前、駿台時代の若き今井君の授業を御茶の水だの大宮だの熱心に聞いていてくれたオカタ。もうすっかり立派なオトナであるが、今もクマ助を高く評価してくれている。
絵画モード
(絵画モードで撮影したサレルノ湾。ラヴェッロのレストラン「サルヴァトーレ」より)

 おいしいお肉をそれぞれ600グラムと800グラムずつ平らげた後は、溜池山王の交差点のあたりの飲み屋で2時間ほど、完全なバカ話をして過ごした。80年近く前に226事件の兵士たちが駆け抜けたあたりであるが、昨夜はちょうど冷たい雨が降り始めて、秋の虫もすっかりナリをひそめていた。

 26日朝、ナデシコの具合がよくないので、雨の中を動物病院に連れていく。ナデシコが腎不全になってから3年。この夏の猛暑の影響か、クスリもチャンとのまず、ゴハンもあんまり食べなくなった。4~5日前からは片隅にうずくまったまま、低くナオナオ呟き続けていた。

 ニャゴロワのほうが腎不全の病歴は長く、「100日程度しか生きられません」と獣医さんに宣言されてからすでに丸4年半=1200日以上が経過するが、ニャゴどんの経過はカンペキである。一方のナデシコはもともとカラダが小さいから、やっぱり病気への抵抗力も強くないのかもしれない。

「しばらく入院」ということに決まって、夕方には
「やっと食欲が出てきました」
「カンヅメ1コ食べました」
という一報が入った。ナデシコも12歳、十分に「長寿ネコ」の資格があるが、あと3年でも4年でもいい、元気なままのシマシマでいてほしいのである。
サレルノ湾
(ダ・サルヴァトーレからの風景。絵画モードから普通モードに戻して撮影)

 さて4月3日のクマ蔵どんは、ポジターノのあまりの狭くるしさに愛想をつかし、ポジターノ滞在はたった3時間ほどでサッサと済ませ、ソレントからやってきたお船でアマルフィに戻った。

 そのアマルフィも、ドゥオモ下のカフェで赤ワインをグラス2杯クイッとやったに過ぎない。すぐに港の近くからバスに乗って、昨日大好きになってしまったラヴェッロに向かった。

 バスの終点がまさに「ダ・サルヴァトーレ」の目の前。昨日と同じテーブルで、昨日と同じイカ料理を注文し、しかしワインは昨日より少し安いのをお願いした。「何でもかんでも前日と同じ」というんじゃ、あまりにも芸がないじゃないか。

 やがて運ばれてきたワインのボトルには、これまた「サラチェーネ」の文字が。やっぱり中世の厳しい歴史が、厳しく骨身に染みているのである。連日連夜500年、押し寄せる海賊に財産を根こそぎ奪われ続け、親も子も孫も彼女もさらわれて奴隷にされた。

 被害者の心の傷は、それが500年も続いたとすれば、10世紀が経過しても癒しがたいものなのである。チュニスやアルジェの奴隷市場に売られたヒトビトは、ほとんどが地獄の苦しみの中で死んでいったが、ごく稀にオカネで救われて故郷に帰ってきた。
ワイン
(アマルフィのワイン、テッレ・サラチェーネ)

 自ら命がけで北アフリカの奴隷救済に努めた修道士集団が存在したのである。彼らはまずひたすら資金集めをする。中世の500年間、チュニスでもアルジェでも奴隷市場や奴隷収容所は「バーニ」と呼ばれ、いったん海賊にさらわれてしまえば、救済される可能性は10000に1つしかなかった。

 バーニとは「お風呂」または「便所」の意味である。奴隷ならば、お風呂なんかに入れてわざわざ清潔にする必要はない。死んでその数が足りなくなれば、また奪ってくればいいわけだから、その衛生状態を思ってみれば、余りのことにこのクマ助でさえ涙が止まらない。

 そういう場所に20年も30年も収容されて酷使されていたヒトビトを、恐れを知らぬ修道士たちが救いに出かけるのである。1人いくら、だから100人でいくら、1000人でいくら、そういう計算をして、1人でも多く船に乗せて故郷に連れ帰る。
絵画ニャゴ
(試しにニャゴロワも絵画モードで)

 20年の奴隷暮らしに耐えて痩せ衰えた彼ら彼女らが100人、ヨロヨロと船から降りてきた瞬間を想像してみたまえ。我々がもし小説家だとして、今すぐに描くべき瞬間は、まさにそれではないのか。

 今井君の筆力の到底及ぶところではないから、その仕事は若い諸君にお任せするが、どうして21世紀日本の力量溢れる小説家たちがそのテーマに全力を注がないのか、クマ助は不思議でならない。

 美しいサレルノ湾を見下ろしながら、
「あの青い海を、サラチェーニ海賊軍団が大挙して襲撃してきたのだ」
「たいへんな数の老若男女が、きっと2度と見ることのない南イタリアの風景を泣き叫びながら眺めていたのだ」
「そういう悲劇が500年も続いたのだ」
と思えば、暢気にイカを喰らいワインを飲み干している今の自分の幸福を実感せずにいられない。

 地獄の30年を耐え忍び、仲間たちのほとんどが息絶え、それでも生きながらえて修道士たちに救われて帰国したヒトビト。その歓喜の叫びが、この美しい海に反響した日のことを思ってみたまえ。青い海の波間にマリアさまやミカエルさまの優しい笑顔が見えたとしても、当たり前のことなのだ。
ニャゴ
(やっぱりニャゴは普通モードがいい)

 その風景を、ふと思いついてカメラの「絵画モード」で撮影してみた。それが今日の1枚目。西暦2000年を過ぎ、人間の知性ははかりしれないところまでたどり着いた。かつて風景画家が艱難辛苦の末に描き続けた南イタリアの海の風景も、シャッター1つでこんなに美しい風景画に仕上がるのである。

 ついでに、暢気に寝ているニャゴロワの純白の姿も、絵画モードで撮影を試みた。うーん、その結果は、微妙。普通の撮影モードならフワフワの純白だけれども、絵画モードだと白い体毛がすっかりブサブサで台無しだ。

 きっとナデシコが心配で、そんなにアンヨも真っ赤になっているんだろうけれども、ニャゴはやっぱり普段のままがいい。入院中のナデシコをさがしあぐね、1日中ニャゴニャゴ鳴いて鳴きやまなかった。疲れてやっと眠った瞬間の姿が、このフワフワなのである。

1E(Cd) SPANISH MUSIC FROM THE 16th CENTURY
2E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 1/2
3E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 2/2
4E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 1/2
5E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 2/2
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