Tue 150728 夏スケジュール、本日100%完了 この入試、無理があるんじゃないか  | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 150728 夏スケジュール、本日100%完了 この入試、無理があるんじゃないか 

 8月21日、ホントにマジメな今井君は、今日も今日とて吉祥寺の仕事場に向かった。一昨日と昨日の新宿が、総勢230名の熱い生徒を目の前にあんまり楽しかったので、吉祥寺のスタジオでたった一人の授業収録するのが、何だか寂しくてたまらない。

 今日の収録は「過去問演習講座」のうち、早稲田大学国際教養学部・2015年。合計6問の難問を、4時間ちょいで一気に解説する。分厚い雲が垂れ込め、時々ザアーッと生温い雨の降ってくる日であったが、正午ごろタクシーを呼び、小雨をついて一路吉祥寺に向かった。

「タクシー通勤」という今日のクマ助の行動形態について、「贅沢すぎる」などと批判しないでくれたまえ。これも収録授業の質を最高のものにしたいがため、やむを得ないギリギリの選択肢なのである。
文章
(早稲田大学国際教養学部、2015年第2問。この分量を15分程度で読解しなきゃなんない)

 だって諸君、早稲田大学国際教養学部といえば、英語講師がみんな揃って尻込みするような、「これでもか!?」&「これでもか!?」な問題が勢揃いするのだ。

① 論説文120行。設問の英文だけで60行
② 小説文125行。設問、なんと24問
③ 40行ほどの英文読解 ☞ 日本語による要約問題
④ 自由英作文「刑事責任は何歳から発生すべきか」
⑤ リスニング:アル・ゴアが語る不都合な真実
⑥ リスニング:ウンベルト・エーコが現代教育を語る

 そりゃ諸君、「ウンベルトA子」とフザけていられるMac君はいいよ。しかしリスニング問題の英文を全て文字にして印刷してみたら、「他の難関大学の長文読解問題よりはるかに難しかった」というのが今井君の感想。こんなのばっかり6問、しかも6問合計で4時間ちょいで解説を完了するという条件付きだ。

 受験生が制限時間内で解かなければならない問題を、講師が時間無制限でダラダラ解説していたんじゃ、それは講師失格だ。ワタクシは、生徒が30分で解かなければならないなら、講師の解説は長くて60分。それ以上は反則と決めている。つまり、生徒に与えられた時間の2倍が、解説の許容範囲だということである。
設問
(早稲田大学国際教養学部、2015年第2問。「設問24問」の激しい世界。12分程度で解かなきゃいけない)

 この条件に見合った授業のために、今日のクマ助はタクシーどん&ユンケルどんに頼ることにした。ユンケルぐらいギュッと飲んでおかないと、さすがのクマ助でも途中で燃料切れ、☞ プスン&プスン情けないガス欠を起こすのだ。

 ポケットにユンケル1本を忍ばせてタクシーに乗り込む。夏の電車に揺られて汗だくでスタジオにたどり着くようじゃ、とてもこの6問の解説はこなせない。余裕シャクシャク、涼しい顔で吉祥寺に乗り込んではじめて、ベテラン講師として恥ずかしくない解説を展開できるのである。

 諸君、例えば②だ。125行の長文に設問が24問。受験生はこれを30分前後で解かなきゃならない。ということは、読解に15分。設問に15分。15分で24問の設問を解くということになれば、1問につき約40秒である。

 選択肢の英文が5つもある設問を40秒でこなすなんて、ほとんど非人間的な感さえある。「小説文125行を15分で読む」ということになれば、もう読解とか味読とかいう世界ではない。せっかくの美しい物語を「急げ!!」「スピードの勝負だ!!」「細かいことは気にするな」と絶叫しながら、大汗かいて読み進めざるを得ない。
リスニング
(リスニング問題を文字におこすと、この分量になる。文章の難易度も、間違いなく強烈だ)

 今井君は、意地でもそういう発言をしたくないのである。美しい物語はしっかり細部まで味読したいし、そうでなければ作者に失礼。というか、そもそも読書の基本から逸脱している。

 いくら英文のスピード処理を要求される時代なのだとしても、せっかくの小説に「処理」という無慈悲なコトバをつかう講師にはなりたくないのである。だって、そんなんなら小説を読むこと自体が無意味じゃないか。

「落ち着いて読めばいい」
「慌てる必要なんかない」
「125行を15分で読めばいいなら、125÷15=1分8.5行で間に合う計算だ」
「1分8.5行なら、1行に7秒。そんな切羽詰まった表情で、浮き足だったり慌てふためく必要がホントにあるのかい?」
というのが、クマ蔵の計算である。

 しかしいくらキチンと計算しても、受験生は意地でも切羽詰まった表情をし、意地でも慌てふためいてみせる。今井君以外のほぼ全ての予備校講師に「慌てろ」「急げ」「時間との勝負だ」と呪文のように繰り返されているんだから、合理的判断が不可能なところにまで追いつめられているのだ。

 これは別に国際教養学部だけの特殊事態ではない。政経学部でも法学部でも文学部でもそうで、「文学部に入る!!」という頼もしい諸君でさえ、小説文でも何でも「味読なんか意味ない」「とにかくスピード」と、およそ文学部生らしからぬ発想で読解に挑むことになる。
スタジオ
(スタジオ風景。ごく一部、電子黒板も利用する)

 大ベテラン・クマ蔵からみると、
「慌てなさんな」
「何だか脳細胞が擦り切れて、赤く腫れあがってるよ」
「脳細胞にオロナインでも塗ってあげようか?」
という気分なのである。

 そんなにヒリヒリした人生、腫れあがったミミズ腫れみたいな読書、そんな人間が集まって、国際教養・政治・経済・法律・文学を学ぼうというのは、およそ間違ってるんじゃないか。大学はもっと落ち着いて基本書を読み込み、本質をジックリ見極める場所なんじゃないか。そう語りかけたいのである。

 その意味で、やっぱり一昨日と昨日の新宿・本科生授業はウルトラ大成功だったと思うのだ。特に英語については、今や赤からどす黒いムラサキに腫れあがったヒリヒリ授業が、日本の予備校を席捲中。筆者とゆっくり語りあうより、無慈悲な「高速処理」一辺倒に傾き過ぎなんじゃないか。
たいへんよくできました
(夏スケジュール完了。「たいへんよくできました」な桜の光景で夏を締めくくる。4月23日、青森県弘前の桜である)

 6月上旬以来2ヶ月半、延々と続いてきた全国行脚とスタジオでの授業収録は、ひとまず今日で一段落がついた。公開授業35回、収録はすべて過去問解説で7大学&学部分。いやはや「ホントによくがんばりました」である。

 公開授業ならいくら続いても、生徒たちの大爆笑を聞けばたちまち癒されるが、過去問解説の収録は、肉体よりもむしろ心の疲労がキツい。「もっと落ち着いてキチンと読みたい文章なのに♡」と思っても、生徒たちが猛スピードを課されている以上、講師もガマンを重ねるしかない。

 こういう方向性が正しいのかどうか。どうやら21世紀日本の教育は、20世紀に輪をかけてヒリヒリ&ズキズキ、若い生徒諸君を追いつめる方向に突き進みつつあるようだ。

 受験生を競馬ウマに例え、「こんな受験生に誰がした?」と嘆いていた昭和の時代が、今やマコトにノドカにしか見えない状況になりつつある。「ゆとり」みたいな試行錯誤を経て、大学入試がホントに良い方向に向かっているのか、どうもクマ蔵は首を傾げざるを得ない。

1E(Cd) José James:BLACKMAGIC
2E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
3E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
4E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
5E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
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