Sun 150719 メッタ斬り vs 狙いうち 稲葉あつ子物語 福岡大橋で大熱演 博多弁天堂 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150719 メッタ斬り vs 狙いうち 稲葉あつ子物語 福岡大橋で大熱演 博多弁天堂

 8月6日、夕暮れ19時から福岡市の南地区「大橋」というところでお仕事。大橋は、東進移籍後に初めて福岡で大熱演した思ひ出の場所であって、数日前に思ひ出を書かせてもらったK先生の大活躍を最初に目撃したのも、この大橋でのことである。

 唐津「キャラバン」マスターの大迫力トークもスゴかったが、ホテルから乗ったタクシー運転手のトークもまたとどまるところを知らない。「九州男児って、みんなこんなにオシャベリだったっけ?」であるが、むしろ今井君の存在がオシャベリ九州男児を磁石のように引きつけているのかもしれない。

 運転手さんの年齢は、70歳代後半と思われる。乗車直後、爆発するように始まったトークの話題は、ひたすら「中国人団体にどれほど困り果てているか」。団体ツアーバスが数十台、福岡の都心部で数珠つなぎになって大渋滞になるのが、よほど腹に据えかねるらしい。

 ぶちまけられる不満は、やがて爆買いツアーの群がる大型電気店に向けられ、返す刀で大型ドラッグストアもメッタ斬り。あんまりメッタ斬りが激しいので、クマ助は思わず中国人爆買いツアーの擁護に回り、すると彼は反撃されたことで返って勢いを増し、メッタ斬りはさらに激烈になった。
福岡大橋
(福岡南地区 ☞ 大橋での大熱演)

 「メッタ斬り」の対立概念として「狙い撃ち」がある。8月6日に開幕した甲子園の熱戦は熱く熱く燃え上がり、山本リンダ「狙いうち」は発売40年の歳月をものともせず、猛暑の甲子園を今日も明日も明後日も「うらら・うらら・うらうらで」の渦に包み込むだろう。

 当の山本リンダどんは1951年生まれ。今の高校生にとっては、ママどころか、むしろバーチャン世代に近いんじゃないか。1966年に「こまっちゃうナ」でデビュー。当時はデートに誘われると、「こまっちゃうナ」と微妙なカタカナでその嬉しい困惑を表現したのである。

 デートに誘われてこまっちゃった彼女は、「まだまだ早いかしら?」と迷いに迷った挙句、「ママに聞いたら笑っているだけ」という無責任なママをキツくなじってみせたのである。おお、そういう態度をバーチャン世代は「カマトト」と呼び、ママ世代は「ぶりっ子」と呼んだ。

 同じ「ぶりっ子」でもカタカナで「ブリッコ」と書けば、我が故郷♡秋田県では「ハタハタの卵」というマコトに不気味なシロモノと化す。今井君みたいな秋田のクマ助は、ブリッコは何よりの大好物。秋田料理屋に行けばまず必ずブリッコを注文し、生臭い魚卵をバリバリと噛み砕く。「食べてごらん」ならぬ「食べてギョラン」である。
ケーキ
(福岡大橋でも、和室でケーキをいただく)

「こまっちゃうナ♡」と、初デートに躊躇していたカマトト&ぶりっ子な山本リンダ嬢は、ブームも終息しかけた6年後の1972年、実は本名が「稲葉あつ子」であることを痛感させるような激烈なセクシー歌手ぶりを発揮して登場。それが名曲「どうにもとまらない」であった。

 若い男子を「どうにもとまらない」な衝動に駆り立てつつ、稲葉あつ子の快進撃は続く。翌73年にかけて「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」「燃えつきそう」「ぎらぎら燃えて」「きりきり舞い」と、大ヒットの怪進撃はもうどうにも止まらない。

 もっとも、「オリコンチャート」という無慈悲な世界があって、そこでは「どうにもとまらない」の3位がピーク。これほど甲子園の定番になった「狙いうち」は、最高14位止まりである。高校生たちは知ってか知らずか、今日もまた甲子園スタンドで「ね・ら・い・う・ちー」と狂喜乱舞を続けている。

 今井君なんかは、「狙って撃つのは当たり前だろ?」「狙わないで撃つなんてあり得るの?」と、もうどうにも腑に落ちない。狙いをつけない射撃なんてのはマコトに自暴自棄な行動であって、とても正気の沙汰とは思えない。

 「狙いうち」の反対概念は、さっき確認した通り「メッタギリ」であって、高校生集団が甲子園スタンドで「め・っ・た・ぎ・りー♨」と乱舞するような国にならないことを、今はマジメに祈念するばかりである。
唐津城
(真夏の靄の中に立つ唐津城の勇姿)

 おやおや、読者諸君、すっかり置いてきぼりにして申し訳なかった。タクシーの運転手さんの激トークがもうどうにも止まらなくなったので、今井君は聞いているようなフリをして完全に耳を塞ぎ、自ら以上のような思考に埋没していたのである。

 なお、「置いてきぼり」なのか「置いてけぼり」なのかは地域と時代によって異なるだろうが、もともとは江戸・本所の七不思議のうちの1つ「置いてけ堀」が語源。詳しくは岡本綺堂「置いてけ堀」を参照のこと。

 釣ったお魚を持ち帰らずに「置いてけ」「置いてけ」とお堀の中から声がするという怪談話であるが、それがどうして現代語の「置いてきぼり」と関連するのか、クマ助は怠惰だから調べるのがイヤである。

 こうして諸君、18時、渋滞を抜けてようやく福岡・大橋に到着。なぜか今回の福岡では「控え室は和室」の日々が続き、和室にアグラをかいてケーキを貪っているうちに、カラダが言語道断に固いクマ助は、背中や腰がメリメリ音をたてて痛み始めた。
もつ鍋
(今夜の祝勝会は、博多名物もつ鍋であった)

 見かねたスタッフが椅子のある別の控え室に誘導してくれたおかげで元気をすっかり取り戻し、19時ちょうど、クマ助は大熱演の舞台に猛然と駆け出した。

 使用したテキストは「Cタイプ」。福岡3連戦はすべて「C」で揃え、大爆笑と授業本体を絶妙のバランスで配置した授業構成で、最高の満足度を達成した。出席者140名、うち新規生70名。おお、入塾ラッシュが楽しみでならない。

 終了後、タクシーで福岡・天神に戻り、大祝勝会になだれ込んだ。会場は天神ど真ん中の「博多弁天堂」。マコトに由緒正しい鮮魚料理店であり、これもまた由緒正しい「大名小学校」の真ん前にある。

 築およそ100年の一軒家は「福岡都市景観賞」の受賞歴あり。個室を予約してくれたので、周りを気にせずオシャベリに盛り上がれる最高の祝勝会になった。玄界灘の天然地魚が市場から直送され、店内の生簀で元気よく泳いでいらっしゃる。

 メニューには「イカ活造りも楽しめる」とあるが、実はこの翌日にイカ活造りの店をコッソリ予約してあったので、本日は遠慮。やがて登場した「博多もつ鍋」を満喫することにした。
弁天堂
(名店「博多弁天堂」のコースター。跳ねるお魚がカワイイ)

 「夏に鍋物ですか?」と肩をすくめる諸君。分かっていないねえ。猛暑の夏に、クーラーをギンギンに効かせたお部屋でカラダを寄せあい、「旨いですね」「旨いですね」と頷きあうことこそ、夏の祝勝会の醍醐味じゃないか。

 左隣には、早稲田大学教育学部を卒業した直後の熱意あふれる新入社員。昨日の天神会場で司会も務めてくれた。正面には、福岡南地区の総責任者。天神を中心とする中央地区の総責任者も後から駆けつけて、これから先10年の展望に話の花が咲いた。

 いやはや今夜もまた痛飲した。赤ワインのデキャンタを合計10個も注文して、最後はもうもつ鍋の味なんかちっとも分からない。築100年だろうが200年だろうが、もうどうだってかまわないし、もうどうにもとまらない。

 イケメンの店員さんに「イケメンですね」とお世辞を言うと、彼はイケメンであることを自ら全く否定せず、「日サロにマジメに通ってます」とニッコリ、自らのイケメンぶりの秘策だか秘密だかを正直に告白するのであった。

 23時すぎ、「閉店のお時間です」のコトバに促され、さすがに今夜は大人しくホテルで熟睡することにした。福岡の3日間はこんなふうに異様に楽しく過ぎたのである。あとは締めくくりあるのみ。〆は、明日のイカ活造り。それに備えて、今はグッスリ眠るだけである。

1E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION
2E(Cd) John Coltrane:SUN SHIP
3E(Cd) John Coltrane:JUPITER VARIATION
4E(Cd) John Coltrane:AFRICA/BRASS
5E(Cd) Bill Evans:GETTING SENTIMENTAL
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