Sat 150718 孔子に納得できない 心の欲する所に従いてノリを超えよ ついにハンバーグ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 150718 孔子に納得できない 心の欲する所に従いてノリを超えよ ついにハンバーグ

 万が一読者諸氏の中に儒学者がいらっしゃったらマコトに申し訳ないのだが、高校生の頃から愚かなクマ助は、「孔子」のどこがどう偉いのかちっとも分からない。

「論語」なんかを読んでいると、今井君の人生哲学と真っ向から対立するお言葉ばかりであって、申し訳ないが「なるほど、こういう文章に夢中になっていたせいで、近世までの日本はあんなに停滞していたんだな」と、濃厚&濃密に納得させられてしまうのである。

 そもそも「われ十有五にして学を志す」が、「おやおやずいぶん遅いねェ」である。学を志すのなんか、15歳では遅すぎるというか、どうせ志すならせめて12歳であってほしいじゃないか。

「学」などというカネにならないことをホンキで志すんだったら、出来れば10歳ぐらい。小学3年か4年で、「オレに勝てるヤツなんか誰もいない」「教師の思考が遅すぎ&愚かすぎる。あんなんでよく人前に立てるね」とウソブイて、父親に殴られた瞬間であるべきである。

 いや、それとは真逆の考え方も出来るので、中2とか中3とかでいきなり学に志すより、23歳か24歳、または36歳か37歳、シューカツや会社勤めに疲れてウンザリした瞬間でもいい。

「自分がホントにやりたかったのは、こんなツマラン仕事じゃなかったはずだ」と心で絶叫したその時が、「学に志す」の絶好機。とにかく孔子さまみたいに「十有五」だなんてのは、①遅すぎて②早すぎて、箸にも棒にもかからない気がするのである。
ダブル
(佐賀県唐津「キャラバン」、360グラムの巨大&絶品ハンバーグ。こんなに旨いと、そのうち「ハンバーグとステーキのためにだけ九州に日帰り」などという企画を立てかねない)

「30にして立つ」「40にして惑わず」「50にして天命を知る」なんてのも、要するに「絵に書いた餅」であって、人間というものは、特に男子というものは、むしろ40歳にして「惑うことだらけ」なんじゃないんだろうか。

 あっちでも迷い、こっちでも迷い、まさに迷い道の真っただ中。1つ曲がり角 ☞ 1つ間違えて、迷い道ウーネウネ。そういう姿こそ40歳の真骨頂なのであって、迷いのすべて消え去った40歳だなんてのは、要するに欲望も夢も消え去った抜け殻みたいにしか見えないのだ。

 一番いけないのは「70にして、心の欲するところに従いてノリを超えず」の一行である。「ノリ」を漢和辞典で調べてみると、「法」「経」「典」「則」「度」「式」「程」「規」「範」「律」「儀」「軌」「刑」「矩」であって、うぉ、今井君みたいな乱暴なクマ男子が、一番嫌う類いの感じが勢揃いした感じである。

 「身の程を知れ」の類いの発言。「度を越した」「規範と規律を守れ」「軌道から外れるな」など、どの漢字をつかっても、使えば使うほど、ダイナミックな人生の醍醐味が次々と崩壊していく。ノリとは糊であって、ダイナミックな人生を常識に固定する凝固剤に過ぎない。

「矩形」とは長方形を意味し、柳生十兵衛のパパ☞柳生宗矩は、春日局やと組んで江戸幕府の鎖国政策を完成させちゃったヒト。「ムネ」☞「矩」とは、元気な人間の自由自在な現在や未来を厳格な四角でくくり、そのオリの中に人間を縛り付けようとする束縛の概念ないし欲望であるらしい。
うなぎ
(唐津はウナギも旨い。路上でウナギを焼いて売っている)

 ところが諸君、このクマ助だけは、そんな束縛の発想に絶対に従わないのである。周囲が束縛しようと包囲網を狭めてくればくるほど、「クマどんは負けないよ」と、イタズラな男子のイケナイ笑顔で昂然と宣言するのである。

 だから8月6日、福岡滞在中のクマ助は、普通の人ならおそらく決して企画しないであろう「唐津の巨大ステーキ2日連続!!」を、世界中のすべての「ノリ」を乗り越えて実行に移そうと考えた。

 だって諸君、あんなに旨いステーキを、あんなに旨そうに楽しく焼き上げる「キャラバン」のマスターである。そのマスターが、「ステーキも旨いですが、ハンバーグは絶品ですよ」と自信の太鼓判を押すハンバーグだ。試しにいかないほうがおかしいじゃないか。

 度♡程♡規♡範♡律♡儀♡軌♡刑♡矩の類いがコワくなって、長方形のワクの中に大人しく収まっているわけにはいかない。というか、四角い常識のワクに収まってカラダも心も四角くなっちゃうのはクマの沽券に関わるし、そんなクマじゃ授業もつまらなくなっちゃいそうだ。

 そこで、「昨日1ポンドの巨大ステーキを貪ったばかりじゃないか」「昨夜はキョーザ50個を暴食したばかりじゃないか」など、臆病な内心の叫びをすべて無視して、10時40分福岡天神発&唐津ゆきの高速バスに乗り込んだのである。
ステーキ
(今日はハンバーグがメイン。ステーキはこの大きさにしておく)

 矩・限度・四角いワク、そういうものはむしろ「乗りこえるためにある」と考えるべきである。「乗りこえる」とは「ノリを超える」ということであって、メスシリンダーで測定されたオノレの限界を超え、それで初めて「乗り超えた」と胸を張ることができる。

 8月6日の今井君が「よおし、また唐津に出かけよう」「2日連続で巨大ステーキを貪ろう」「ステーキの後は意地でもハンバーグ ☞ ライスやパンの代わりにハンバーグを召し上がろう」と決意したのは、あくまで「ノリを超える」という熱い思いの具体化なのであった。

 だから理想としては、「熱いゴハンに明太子を乗っけて」「ゴハンに海苔の佃煮を乗っけて」みたいな日本人のノリを超え、「ステーキをハンバーグに乗っけてワシワシ」「肉塊をヒキ肉のカタマリの上に乗っけて貪る」という、まさに獣の中の獣、絵に書いたようなケダモノに変身することである。
マスター
(しゃべりまくりながらも、一瞬ポーズをとってみせるマスター)

 8月6日午前10時40分、両方の目玉をメラメラ赤く燃え立たせたクマ之助は、心もアタマも「肉!!」「肉!!!」「ひたすら肉!!!!」の欲望に燃え上がり、気がつくと昨日と同じ唐津・大手口に向かっていた。

 車窓右には真夏の玄界灘。博多の熱い男たちの夢を、江戸期にも鎌倉期にも平安期にも、常に広大な世界の舞台に向かって育んできた海が広がる。クマ助だってノリを超え、限界を打ち破り、肉の上に肉を乗せて高く飛翔するチャンスである。

 唐津大手口に到着、11時50分。デジャビュみたいにステーキ「キャラバン」の暖簾の前に立ったのが、11時55分。要するに「肉まっしぐら」だったのであって、マスターも、マスターの奥方も、最初は「おやおや」と少し困った表情でクマの来襲に対応したのであった。

 今日の注文は、① オージービーフ200グラムと、② 360グラムのハンバーグ。とにかくメインはハンバーグであって、昨日のお昼に躊躇して後悔のカタマリになった反省から、「我、ポンポン能力のノリを超えんと欲す」「何が何でもハンバーグ」のリベンジの炎は、まさに店の天井を焦がす勢いである。
炎
(ボッと火をつける。こういうパフォーマンスも悪くない)

 マスターのオシャベリもまた、昨日に続いて天井を焦がす勢い。奥方の困りきった表情、というか、呆れ果てた表情も昨日に同じ。マコトに細身の奥方であるが、「私はもう慣れました」または「もう諦めました」な感じなのである。

 そもそも男子と言ふものは、何であれ自己のノリを超えて広大な外の世界に溢れ出すことにしか興味を示さない存在であるべきじゃないか。まずステーキ200グラム、続いてハンバーグ360グラム、次々と焼き上がるウシの肉を眺めながら、クマ助はどんどん限界を超えていくのであった。

 午後1時、何故かマスターの態度が急変して、いきなりクマ助を「先生」と呼びはじめた。おや、バレましたかな? こちらからは一度も自分が「先生」と呼ばれる類いのクマであることを告白していなかったが、「先生」「先生」を連呼、態度もウヤウヤしく変貌してしまった。

 きっと誰かがコッソリ耳打ちしたのである。または、奥方がググっちゃったか。「カウンターの真ん中に居座ったクマは、実は『先生』なのである」「要注意」「警戒警報発令」。そういう窮屈な状況を楽しみつつ、カウンターで午後2時まで過ごし、欲望のすべてを満たして、博多行きのバスに乗り込んだ。

1E(Cd) Santana:AS YEARS GO BY
2E(Cd) Gregory Hines:GREGORY HINES
3E(Cd) Holly Cole Trio:BLAME IT ON MY YOUTH
4E(Cd) Earl Klugh:FINGER PAINTINGS
5E(Cd) Brian Bromberg:PORTRAIT OF JAKO
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