Sun 150628 なかなか調子に乗れない 開講式 富士登山の明かりの列 竹本源大夫死去  | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150628 なかなか調子に乗れない 開講式 富士登山の明かりの列 竹本源大夫死去 

 こんなふうにして(スミマセン、昨日の続きです)、今年の河口湖合宿が始まった。今井君としてはいろいろ例年と違うことが起こって、「ハプニング」とは言わないまでも「うーん、どうもスムーズに行かないな」な感じである。

「いろいろいつもと違うこと」とは、
① 渋谷から乗ったバスがノロすぎた
② おなじみ「こなみ」のうなぎを味わえなかった
③ クーラーなしの店の石焼カレーで汗みどろになった
④ そもそも開始当日からのこれほどの猛暑は記憶にない
など、まあ些事ばかりであるが、些事ではあっても違和感が残っては困る。早めに調子に乗りたいところだ。

 7月21日午後13時、大広間で全体開講式。たくさんの宿舎に分散して第1期だけで1500人の参加者があるが、美富士園の全体開講式はそのうち300名が出席する最大の開講式である。始まる前から激しい音読の合唱がホテル全体に響きわたっている。

 数年前、何の間違いだったか、この東進合宿のさなかに中国人家族3人連れが美富士園を訪ねてきたことがあった。個人で宿泊の予約をしてしまったようなのである。「いったい何が起こっているんだ?」というパパの驚きの表情が今も忘れられない。
全体開講式
(壮観!! 全体開講式)

 開講式では、今井君も挨拶する。と言っても、挨拶と言えるかどうか、例年通り「ポンッ!!」「ポンッ!!」と2回叫び、最後に「トァーッ!!」の絶叫で〆る。挨拶と言うより、恒例行事のようなものである。

 もちろん生徒たちもこの絶叫に唱和する。もし自分だけ絶叫して終わりだったら、単なる表六玉である。今井君の「ポンッ!!」の後で生徒たちも「ポンッ!!」、次の「ポンッ!!」にも「ポンッ!!」。最後の「トァーッ!!」にも「トァーッ!!」で続いて、全員の大拍手とともにクマ助がステージを降りる。

 このタイプの挨拶ないし恒例行事は、もうこの7~8年変わらず続いている。そろそろ飽きてきていないこともないので、「今年は何か違うことでもしてみっかな」と考えていたのだが、いやいや、ヤメておいた方がいい。

 今日の記事冒頭で示した通り、すでにいろいろ違ったことを試みて、その全てで大きな違和感を感じている。長いバス・大汗をかいたカレー、最初から猛暑の夏。そのうえ何か変わったことをすれば、違和感がさらに大きくなる危険性だってある。
夕暮れの富士山
(21日、夕暮れのクッキリ富士)

 全体開講式のあと、約1時間の余裕があって、クラス開講式となる。美富士園には3クラスあって、今井君の担当は95名。いつもの宴会場「よいまち草」に教室形式に黒板と机と椅子を並べ、生徒諸君はここで5日間、授業と独習と音読と確認テストの繰り返しに耐える。

「私語厳禁」はあまりにも当たり前なので、メシと風呂の時間以外の自由時間はすべて音読にあてられる。「もし私語をするなら英語で」「英語での私語なら許してあげるかも」というマコトに厳しい世界が続くのである。

 クラス開講式では、スタッフ諸君も実に熱く語る。あんまり熱いので、今井君みたいな超ベテラン講師は少々恥ずかしくなるぐらいだが、中には高校生時代に合宿に参加し、「しかも今井先生のクラスでした」などという人物もいる。今井君もずいぶん長く合宿に参加しているのだと実感する一瞬である。
クラス開講式
(クラス開講式)

 クラス開講式は、そのまま授業第1講になだれ込む。つまり、「今井先生からの挨拶」がいつの間にか「授業の進め方」「諸注意」「テキストの使い方」の話に変わり、30分ほど話したところで、「ではそろそろ始めますかね。では第1講のページを開いて…」となるのである。

 生徒たちは30分前にテキストを配布されたばかりだから、もちろん予習はしていない。授業中に問題演習の時間をとって、テストゼミ形式で授業が進む。90分の中にそういう演習時間も小刻みに入れられるから、初日にはそうカンタンには疲れない。
初日の夕食
(初日の夕食)

 第1講が終わると晩飯、晩飯が終わると入浴、そのあと9時過ぎから第2講が夜11時まで続く。10年前には、「盛り上がりすぎて初日から徹夜で勉強」などという生徒も少なくなかったし、その勢いに講師まで引きずられて「深夜1時まで授業を延長」みたいなヒトもいた。

 しかし諸君、何しろここから5日も続くのだ。初日は飛ばしすぎないのが原則。この種の合宿としては珍しいが、スタッフみんなで「早く寝るように」と呼びかける。確かに授業中に居眠りは本末転倒だ。「時間厳守で寝るように」と、睡眠にも厳しい注文が入る。

 部屋に帰ってきてみると、快晴の深夜、富士山に登るヒトビトの明かりが長い列をなしている。富士山の斜面に一列に並んで、あれじゃさぞかし大渋滞だろう。中国のヒト、欧米のヒト、アジアの南の方のひと。お昼の駅前もごった返していたから、富士山の大行列は今ごろさぞかし賑やかであるに違いない。
翌朝の富士山
(翌朝22日、もっとクッキリ富士)

 さて、さっきふと読んでしまったヤフーニュースに「竹本源大夫が死去」とある。なんてことだ、文楽の世界では豊竹嶋大夫が人間国宝になったばかり。それと入れ替わるようにして、竹本源大夫が遠いあの世に旅立ってしまった。

 今井君が文楽を見始めたのは大学1年の夏だが、当時は竹本越路大夫と竹本津大夫の2枚看板の時代。後の大看板・竹本住大夫だって当時はまだ「文字大夫」、源大夫も当時はまだ竹本織大夫を名乗り、低くよく響く声で堅実な語りを披露していた。

 織大夫はその後、大看板の竹本綱大夫に昇格。さらにそのすぐ後、いくらも経たないうちに源大夫に再昇格した。綱大夫になっただけでもスゴいのに、まだその先がすぐに続くなんて、いやはや、どえりゃースピード出世であった。

 昨年だったか一昨年だったか「源大夫が病気で休演いたします」ということになる直前、今井君はいつものように「文楽をみるためだけに大阪に行く」という贅沢をした。源大夫が目当てのお客さんがズラリと並んだ中、語りだした源大夫の声がどうも小さすぎる気がした。

 若き織大夫の時代を知っている身としては、あんなに低くよく通る声がどこに消えてしまったのかフシギになるほどだったし、終演後の帰り道でも「どうしちゃったんだろう?」と首を傾げている観客が少なくなかった。

 結局あの直後に病気休演ということになり、そのまま舞台に帰ってくることはなかった。豊竹嶋大夫が人間国宝となったのとほとんど同時のことだけに、寂しさもヒトシオである。ご冥福をお祈りしたい。

1E(Rc) Corboz & Lausanne:VIVALDI/GLOLIA・ KYRIE・CREDO
2E(Rc) Elly Ameling & Collegium Aureum:BACH/HOCHZEITS KANTATE & KAFFEE KANTATE
3E(Rc) Backhaus:BACH/ENGLISH SUITE・FRENCH SUITE
4E(Rc) Ewerhardt & Collegium Aureum:HÄNDEL/オルガン協奏曲
5E(Rc) チューリッヒ・リチェルカーレ:中世・ルネサンスの舞曲集
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