Tue 150616 大阪梅田の深夜1時 中途半端はつまらない 弥生会館と昭和が消えていく | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 150616 大阪梅田の深夜1時 中途半端はつまらない 弥生会館と昭和が消えていく

 こうして、7月8日深夜(スミマセン、昨日の続きです)、正確には7月9日に日付の変わった頃に、山賊サトイモは(スミマセン、昨日の記事を参照してください)奈良の仕事を滞りなくやり遂げて大阪に帰ってきた。

 難波で近鉄から地下鉄に乗り換え、梅田に到着する頃には、周囲はみんな大阪のヨッパライ。いやはや、幼稚園に通っていた頃の今井君は「近鉄」を「ちかてつ」と読み、「ほほお♡大阪の人はみんな地下を疾走するんだな」と感激していたものである。

 しかし諸君、日付が変わろうと変わるまいと、今夜の今井君は生酔いだ。「生酔い」と書いて「ナマヨイ」と読むが、ナマヨイほど気分の悪い状態はない。酔うならトコトンがいいので、中途半端な酔い方をすると、肉体にも精神にもロクなことがない。

 これは若い諸君もぜひ記憶にとどめておいた方がいい。酔って、人にカランで大失敗するのは、たいていナマヨイの時なのだ。今井君が授業中に「中途半端じゃつまらない」と力説するのは、実はここから来ているのである。
テムジン1
(大阪梅田グランフロント「テムジン」で餃子ナイトを満喫)

 メシだって、中途半端なところでヤメてしまうから不快なので、せっかく吉野家の牛丼を貪るなら、特盛×2でポンポンをパンパンに膨らませるぐらいじゃなきゃイカン。特盛×2に、生タマゴ×2。「もうこれ以上入りません」と涙目になるぐらいでないと、「青春しちゃった感」を満喫できないじゃないか。

 部活動もそう、受験勉強もそう。「もうこれ以上はとても出来ません」と、涙を流しながらコーチや塾の担任に訴える。しかし、そのキミにコーチは熱く語りかける。
「まだまだ自分を追い込めるはずだ」
「まだ中途半端なんじゃないか?」
「あと4~5日、今のペースで続けてみろ」

 うぉ、美しいじゃないか。確かグルジェフが力説していたはずだし、コリン・ウィルスンも同意していたと記憶するが、「もうダメだ」「これ以上は進めない」と諦めかけた後のanotherな2歩&3歩こそが、人を天才たらしめるのである。
テムジン2
(深夜のテムジン風景)

 そこで諸君、7月9日になったばかりの大阪梅田で、「中途半端はいけないね」「今こそ天才たらん」と、クマ助はさらなる一歩を踏み出したのである。何のことはない、奈良で貪ったアボカドサラダだけではポンポンが満足してくれないから、「ならば餃子でもワシワシやるか」と決意しただけである。

 先々週の深夜、梅田の新名所「グランフロント」の6階で、博多の名店「テムジン」の大阪支店を発見したばかりだ。グランフロント6階の全フロアが「午前4時まで営業中」であって、日付が変わったばかりなら、クマであろうと山賊サトイモであろうと、その闖入を阻止する者は存在しないのである。

 しかし諸君、「午前4時まで営業します!!」という宣言には、さすがにムリがあるんじゃなかろうか。山賊サトイモの侵入は、午前0時20分。この段階で、広大な6階フロアはすでに「ほぼ無人」。ゴーストタウン化していて、客よりもガードマンの数の方が多いぐらいだ。
午前1時
(午前1時、「残るはワイン1杯だけ」の風景)

 店の人も、「テモチブサタ」という状態を具体化して絵に描いたかのような苦笑を浮かべている。「ガラーン」「ガラーン」という音さえ聞こえてきそうなほどガラーンとしたフロアを突き進んで「餃子のテムジン」にたどり着くと、大阪サラリーマン集団が6名、全員すでに熟睡状態に入り込んでいる。

 この店で、中途半端が大キライな今井君が注文したのが、まず「生ビールセット」。生ビール中ジョッキ1つに、餃子15個がセットされている。ついでだから、赤ワインもボトル1本。この時間帯になって「ワイン1本」の一言は、さすがに店の人をビックリさせたけれども、何しろ諸君、中途半端はイカンのだ。

 しかもこの場合、餃子とビールとワインを相手にモタモタやっているなんてのは、秋田のクマの沽券にかかわる。「あれよ&あれよ」と言う間に全てをカラッポにしなきゃいけないので、ビアは3分でカラッポ、餃子軍団は5分で姿を消し、ワインも30分かからずにカラッポにしなきゃ、体育会系グマの名折れである。
ムジン
(テムジン以外はみーんなムジン。「朝4時まで営業」は、そろそろ見直しの時期が来ているようだ)

 入店が0時20分、最後のワインがカラッポになったのが1時チョイ過ぎ。こうでなくちゃイカン。テーブルに居並んで熟睡の度をさらに深めている大阪のサラリーマン諸君を横目で睨みすえながら、支払いも「Edyで♡」。秋田グマはどこまでもスマートなのであるよ。

 店を出てインターコンチネンタルホテルまでは、本来なら「大阪駅直通」のはずであるが、0時30分を過ぎるとドアが自動でロックされ、宿泊客でも雨の中エントランスまでトボトボ歩いていかなければならない。今年2月には我がクマ助も「締め出し」の苦難を味わい、厳重に抗議したけれども、今も一向に改善の気配はないのである。

 そうやってこの夜も「雨の中 ☞ トボトボ」をやっていたのだが、諸君、その今井君の目の前に「弥生会館」が姿を現した。「弥生会館」とは、昭和の国鉄マンの宿泊施設。出張の多い国鉄マンのために、国鉄サイドが全国各地に準備した福利厚生施設が「弥生会館」なのである。

 だから日本全国どこに行っても、鉄道のある街なら今も「弥生会館」は必ずどこかに存在する。子供時代の今井君は、父・三千雄に連れられて頻繁に国内旅行を楽しんだから、そのたびに弥生会館を利用した。

 青森県弘前の弥生会館にも泊まったことがある。小学校3年生の時のこと、真冬の岩木山百沢に1泊でスキーをしに出かけたのである。初めて食したナマコが驚きだった。岩手県盛岡にも、埼玉県大宮にも、北海道にも兵庫県にも新潟県にも福岡県にも「弥生会館」はあって、疲れた国鉄職員を癒し続けた。
大阪弥生会館
(大阪・弥生会館)

 国鉄がJRに変わっても、全国の弥生会館は立派に営業を続けた。大阪・梅田の弥生会館はその中でも「別格」と言ってよくて、現在もJR西日本本社ビルからも目と鼻のところにある。父・三千雄どんも、大阪出張のたびに宿泊はココであった。

 いやはや、「父が生前お世話になりました」であって、ブログにも写真ぐらいは掲載しておきたい。2015年7月9日未明、大阪駅北の弥生会館は、シトシト降り続く梅雨の雨に濡れていた。

 父が亡くなって間もなく20年になる。息子 ☞ ヒロシ君が大阪弥生会館の目の前の高級ホテルに、デカい顔をして毎週のように宿泊している事実を知ったら、あの苦虫をかみつぶしたような顔で「オメエも偉くなったもんだな!!」と喜んでくれることだろう。父とは、そのようなものである。

 ところが諸君、伝統に彩られたその弥生会館から、マコトに残念なお知らせがあった。「9月で営業を終了いたします」というのだ。諸君も「大阪弥生会館」のHPをクリックしてみてくれたまえ。

「昭和47年10月から営業を続けてまいりましたが、諸般の事情により、本年9月末で営業を終了いたします」
「ビア・ビッテをはじめ、ランチ営業も縮小してまいります」
とのことなのである。

 父の記憶をたどりながら、今井君は熱い涙が止まらない。こうして懐かしい昭和が、諸君、また静かに姿を消していくことになったのである。
 
1E(Cd) Furtwängler:BEETHOVEN/SYMPHONY No.7
2E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
3E(Cd) Akiko Suwanai:INTERMEZZO
4E(Cd) Gladis Knight:JUST FOR YOU
5E(Cd) Anatoly Grindenko:RUSSIAN MEDIEVAL CHANT
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