Thu 150611 さあ太陽を呼んでこい タクシーでびっくり 「お多福」のきりたんぽ鍋 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 150611 さあ太陽を呼んでこい タクシーでびっくり 「お多福」のきりたんぽ鍋

 どんなに焦りまくって「どげんかせんといかん」と繰り返しても、まあそんなにカンタンに「どげんか」なるものではない。しかし、駅前ホテルに1泊したクマ助は「どうしたらいいか」「どうしたら『どげんか』になるか」を考えて、地球を7回り半する思いだった。

 なお、「地球を7回り半」というのは、昭和の流行語。光の進むスピードは、太陽から地球まで8分20秒、月から地球まで2秒弱、1秒で地球を7回り半する。ただし最近は冷笑的な発言も多くて、「光は直進するんだから地球をグルグル回るはずがない」と、ニヤッと笑って勝ち誇る人もいる。

 ま、そんな冷たいことを言ってないで、YouTubeで昭和の歌「地球を7回り半」でも聞いてごらんなさいよ。阪田寛夫作曲・越部信義作曲の力感溢れる歌の響きに身を任せて見たまえよ。ついでに「光は直進しかしない」というんなら、是非その素晴らしいオツムで、光を曲進させる方法を考えてくれたまえ。

 かくいう今井君は、YouTubeをポチポチやりながら「地球を7回り半」のすぐそばに、昭和40年代の名曲「さあ太陽を呼んでこい」を発見。欣喜雀躍の思いである。山本直純作曲、作詞は諸君、当時まだ20歳代の石原慎太郎どんである。
川反1
(秋田の繁華街はシンプルだ)

 一応ここに歌詞を紹介しておくが、諸君もぜひYouTubeをクリック。昭和のヒトビトや子供たちの熱い鼓動を、その耳で実感してくれたまえ。朝日を仰いで感極まっていた昭和のヒトビトの熱情は、諸君、まさにタダゴトではないのだ。

   夜明けだ 夜が明けてゆく 
   どこかで誰かが口笛を 
   気持ち良さそうに吹いている
   最後の星が流れてる
   あかつきの空 明けの空
   もうじき若い日が昇る

以上が 1st コーラス。続く2番で「流れる雲が輝くぜ」「若いみんなの歌声で 素晴らしい朝を作ろうよ」と燃える歓喜を歌い上げた後、クライマックスとなる3番では、みんなで声を合わせて以下のように歌い上げるのだ。

   この世に夜はいらないぜ
   みんながこの手で 
   暁の扉を空に開くんだ
   さあ太陽を 呼んでこい
   暁の雲 朝の雲
   望みの鐘を 鳴らそうよ

 諸君、いま必要なのはまさにこの歓喜であり、感極まった絶唱である。
「模試の成績がなかなか伸びません…」
「自分をもっと追い込んでいきたいんですが…」
「どうして自分のやる気が引き出せないんでしょうか…」
とか、そういう愚痴をブツブツ呟いて力なく打ち萎れ、暗くうつむいているヒマなんかないはずだ。「さあ太陽を呼んでこい!!」であるよ。
川反2
(川反の風景。どことなく京都風ではある)

 そういえば、当の石原慎太郎氏はその60年後に「太陽の党」というのを立ち上げて、「たちあがれ日本!!」と、彼に続くダラしない世代にハッパをかけたわけである。「少年老い易く学成りがたし」であると同様、人間は老いやすく、夢は実現しにくいものであるらしい。

 この真っ暗闇の秋田駅前の風景を見ながら、鎌倉に召喚された静御前よろしく「昔を今に」と涙を流す今井君ではあったが、今こそ「さあ秋田に太陽を呼んでこい」であって、もう一刻の猶予もない。かつてあれほど繁栄していた秋田の昔を今に復活させたいのである。

 ついては、まずホンモノのきりたんぽ鍋を賞味したい。他県の経営者によってアレンジされたヤツじゃなくて、繁栄した昭和の時代からキチンと守り抜かれた秋田の味を味わい直しておきたいのである。

 翌朝早くクマ助は、「ランチできりたんぽ鍋を出している店」を物色。秋田男児の聖地「川反通り」の一角、名門「濱乃家」から徒歩1分のあたりに「お多福」というお店を発見した。11時半開店なので、当然11時半に予約。一刻の猶予もナシに「さあ太陽を呼んでこい」の世界を実現しようじゃないか。

 駅前からタクシーに乗り込んで、「さあ出発だぜ」「いよいよこれから始まるぜ」「不安も躊躇もいらないぜ」「さあきりたんぽを呼んでこい!!」と、気持ちも若き石原慎太郎どんよろしく熱く高揚する。高揚グマは「大町4丁目、『お多福』まで」と告げた。
お多福
(秋田川反、「お多福」ののれん)

 しかし諸君驚くなかれ、年老いた運転手さんの答えは「それは、何だ?」だったのである。そのむき出しの秋田弁を、もしも文字にするなら「そうぉうぇわぁ、なんだぁ?」であるが、タクシーの運転手さんのその種の受け答えは、サンパウロでもイスタンブールでもアテネでも、世界をノシ歩く今井君でさえ初めての経験である。

 運転手さんが窓を開けて仲間を呼び集めると、駅前にズラリと並んで立ち話に耽っていたタクシーのオジサマたちがワラワラと寄ってきた。「お多福って、何だ?」の問いに、集まったオジサマ全員が首を傾げた。

「知らねェ」「オレも知らねェ」「大町4丁目だんば、川反あたりの店でねぇか」「そだべ」「そだべ」「まず川反さ行ってみれ」と、薄笑いを浮かべ、低い声で囁きあうのである。クマ助が秋田人だからいいが、そうでなければ間違いなく恐ろしい状況である。

 結局は、見切り発車。信号が青に変わった瞬間、目的地の見当もつかないままにクルマは一気にスピードを上げた。右側は、かつて秋田のお城を守っていたお堀。左は、秋田一の繁華街「広小路」である。

「昔を今に」も何も、「とっくに全てが終わっちゃった感じ」と言っても決して過言ではない。太陽を呼んでこようと思っても、太陽さんがなかなかウンと言ってくれそうにない。例の熱い笑顔に分厚い雲がかかって、旅人のマントを脱がせることも難しそうである。
きりたんぽ鍋
(川反「お多福」のきりたんぽ鍋。どことなく「違う」というのが秋田人♨クマ助の印象であった)

 クルマはあっという間に広小路のシャッター街を抜け、秋田市を南北に貫いて流れる旭川を渡った。秋田男児の夜を彩る「川反通り」であるが、さすがに午前11時半では、ここもまた閑散としている。というか「ランチ営業で少しでも稼ごう」という気概が全く感じられない。

 地元人に気概がなければ、当然のように他県の人や他国の人が入り込んでくる。他県はかまわないが、近隣各国の勢力が遠慮なくグイグイ侵入しているようであって、江戸初期から続く伝統の街に似合わないド派手な看板に、近隣各国の文字が目立つ。

 つい一昨日は大阪で、道頓堀に溢れる同じような光景を見たが、大阪なら地元のヒトビトも負けず劣らず元気いっぱいだからかまわない。地元の気概の消滅しかけた秋田・川反の場合、まもなく近隣各国勢力が「やりたい放題」を始めそうだ。

 結局、ランチをやっているのは予約した「お多福」のみであるらしい。すると当然お客もランチに来ないから、お店は最初から最後までガラガラ。「そろそろ帰るかな」という頃になって、地元のオバサマ3人組が現れ、クマ助は心からホッとしたものだった。
一疋寿司
(ハタハタ1匹寿司。秋田人の肌が白いのは、発酵性食品をたくさん食べているからのようである)

 もちろんクマ助が注文したのは、きりたんぽ鍋。少しでもいいから秋田にオカネを落として、「さあ太陽を呼んでくるぜ」の勢いをつけたいところだが、「夏の真っ昼間にきりたんぽ鍋」とはマコトにフシギなお客であるから、その辺の事情も縷々説明に努めなければならない。

 さらに、「ハタハタの一匹寿司」と言ふものも注文してみた。「昭和の秋田地元民でなければとてもノドを通らない」という類いの厳しい食品であって、店の人も「大丈夫ですか?」という苦笑を漏らしたものだった。秋田の食べ物は強烈な発酵性を伴うことが多く、その発酵性こそ秋田人独特の美肌のモトであると思われる。

 さて、きりたんぽ鍋であるが、うーん、この店でもまた「他県勢力がかなり入り込んでいるんじゃないか?」と思わざるを得ない。

「温かい日本酒をチビチビやりながら、鍋の中の比内地鶏やキノコ、ネギやセリを賞味するのが理想」と昨日書いたが、今日の「お多福」でも残念ながら、やっぱり大きなお椀に一気によそってしまおうというやり方なのである。

 きりたんぽが分厚すぎて、中まで出汁がチャンと滲みないのも昨日と同じ。「ヤタラ漬け」という漬け物が出てきたが、これはお隣・山形県の名産であって、秋田の食卓ではあまり見かけない食品である。

 うにゃにゃ、予備校講師が秋田に太陽を呼んでくるには、「消費者として」「たっぷり消費することによって」という道は、すでに遅きに失しているようだ。ではどうするか。それは明日の記事に詳細を書くことにしたい。

1E(Cd) Casals:BACH/THE 6 CELLO SUITES①
2E(Cd) Casals:BACH/THE 6 CELLO SUITES②
3E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE
4E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE
5E(Cd) Luther Vandross:SONGS
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