Fri 150522 明石での出会い 絶好調の与野 目蒲線と多摩川園 蒲田の時代が到来か | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150522 明石での出会い 絶好調の与野 目蒲線と多摩川園 蒲田の時代が到来か

 6月10日、明石の店を出たところで(スミマセン、昨日の続きです)、「むかし代ゼミでお世話になりました」という男性にサインを求められた。10年以上むかしの生徒であるが、「いま今井先生が明石に来てるって、情報が駆けめぐっていますよ」とのことである。

 いやはや、情報化時代というものは、ホントに恐ろしい。通りがかりの人が「お、今井だ!!」とツイートする。お店の従業員も「今井先生が来てるぜ」と誰かに電話する。

 この場合、もしも今井が有名なタレントとかスポーツ選手であれば、SNSのマナー違反になるらしいけれども、何しろ今井君はマコトに中途半端なお立場。10歳代後半から30歳代の人々には恐ろしく顔が売れているが、40歳代以上のオトナにとっては完全に無名の普通のオヤジに過ぎない。

 だから、電話で友達に「今井先生が来てるぜ」ぐらいは許容限度内である。すると、電話をもらった友達の友達のそのまた友達あたりが、「来てるらしいぜ」とツイートする。こうして情報が駆け回った。ツイートはマコトに恐ろしい。十分に注意して利用しないと、いろいろ厄介な問題も発生しかねない。
与野1
(埼玉県与野でお仕事)

 23時すぎの新快速電車で大阪に戻ったクマ助は、疲労のせいか珍しく意気消沈して、「さてと、梅田か福島あたりで、シブい店にでももう1軒いくかな」という元気すら出ない。何だかヤタラにタメイキばかり出て、深いタメイキをつきながら気がつくと翌朝を迎えていた。

 「この意気消沈は何なんだ?」というに、要するに久しぶりのお仕事から来る疲労のせいである。さすがのウルトラ♨ベテラン:クマ助も、2ヶ月半ぶりの仕事だと最初のうちはどうも調子が出ない。グイグイ調子が上がってくるのは、シリーズ3回目か4回目ぐらいである。

 6月11日は埼玉県与野、12日は大田区蒲田でお仕事。地名を眺めるだけだと、どちらもマコトに小さな町であって、「小規模校舎」のイメージを免れない。しかし諸君、講師としての醍醐味は、こういう規模の小さい校舎でどれだけの大熱演を繰り広げられるかという所にもある。

 大阪のホテルで13時までゆっくり過ごした後、ヒコーキで羽田へ。ヒコーキの中で竹中平蔵どんをお見かけした。というか、今井君が最前列左、竹中どんが最前列右。慶応義塾大学教授、モト国務大臣でいらっしゃる偉人と同じ空間を共有して、今井君も思わずツブヤキたくてたまらなくなっちゃった。
ケーキ1
(与野でいただいたケーキ)

 オウチには立ち寄らずに、羽田からまっすぐ与野に向かう。今年3月「上野東京ライン」が開通したから、京急線で品川まで出れば、品川から浦和・大宮方面には乗り換えなし&グリーン車で一気に行けるのである。

 与野でのお仕事は、19時半開始、21時終了。出席者115名。まあ写真を見て、その人口密度を推測してくれたまえ。教室それ自体は「机つきなら50名入るか入らないか」という規模。そこへ「椅子だけで115名」だから、ホントに立錐の余地もない。

 しかも、冒頭ですでに立錐の余地がなくなっている教室に、「部活動のせいで遅刻」という受講生が後から後から詰めかける。ある高校の野球部の高2生がほぼ全員やってきたりして、入口付近はおしくらまんじゅう状態になった。
与野2
(与野の大盛況。諸君、「この真剣さを目撃せよ」である)

 というか、野球部生30名が一度に入室してくる光景は、まさに甲子園の入場行進を見る思い。今井君も思わず教壇でその入場行進に同調してしまい、「ああ栄冠は君に輝く」を熱唱。おやおや、こんなことじゃ、また「ムダに歌が上手い」のツイートが飛び交うかもしれない。

 こうして「小規模校舎」のはずの与野校はパンパンのパン。夏の大花火大会みたいにボンボン盛り上がって、盛り上がりはもう止まるところを知らない。使用したテキストはマジメな授業中心の「Cタイプ」だったけれども、それでも大爆笑が止まらない。そろそろ夏のエンジンがかかってきた証拠である。

 与野の校舎長は「高校時代は福島県立双葉高校の野球部にいました」というヒト。双葉高校はごく普通の公立高校だが、甲子園出場3回を誇る。この校舎長のモト、与野校は快進撃を続けているらしい。生徒数は昨年比150%。今井君はこれからもこういう校舎を全面的に応援していきたいと考える。
蒲田
(蒲田の大盛況)

 6月12日は、この勢いを駆って大田区蒲田に向かう。映画「蒲田行進曲」の蒲田、シネマの天地の蒲田、今はなき「東急目蒲線」の蒲田。東京都の南の端っこ、池上線と目蒲線の終点のあの蒲田である。

 目蒲線の名称が消滅したのは、すでに15年も前のこと。塩辛い昭和の味がタップリ染み込んだ目蒲線は、「多摩川線」という味も素っ気もない名前に変えられてしまった。

 東京と川崎の境界、多摩川べりの鄙びた景色の中を、3両編成だか4両編成だか、マコトに短い電車がのどかに走っていく。「蒲田で仕事」と決まった時から、クマ助は「よし、田園調布から目蒲線で行こう」と決めていた。

 正確に言えば、「多摩川駅から多摩川線で行こう」であるが、諸君、昭和の人間にとってあの駅は、「多摩川」じゃなくてあくまで「多摩川園」である。大正末期に「温泉遊園地・多摩川園」として開園、1979年に閉鎖されるまで、お化け屋敷あり、メリーゴーランドあり、大規模な花火大会もあった。

 すぐそばには伝説のテニスコート「田園コロシアム」もあった。田園調布・田園コロシアム・多摩川園。今井君みたいな地方出身の人間が、東京の高級住宅地に熱い憧れを居抱く場合、この3つはまさに3点セット。この高級感とどうもマッチしないのが「目蒲線」というのどかな電車であったのだ。

 東急の蒲田駅は、池上線と多摩川線の終点である。南海難波駅、西鉄天神駅、西武新宿や西武池袋と同様に、最近の相互乗り入れブームのせいでグングン少なくなりつつある「終着駅タイプ」の駅の1つだ。
ケーキ2
(蒲田でいただいたケーキに感激する)

 蒲田でのお仕事は、19時半開始、21時終了。諸君、蒲田の控え室でもまた豪華ケーキセットが登場した。どこの校舎でもあんまりクマ助を大事にしてくれるので、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 「フルーツ・ババロア・ジュレが三種の神器」とか、贅沢なことを書いていたら、どこの校舎もビックリするぐらい頑張って、こんなにスゴいのを用意してくれるようになっちゃった。これから今井君を迎えてくれる校舎のみなさん、くれぐれも無理をなさらんように。

 涙が溢れそうになるほど感激して、もちろんお仕事にもモリモリ真夏の入道雲みたいな力コブができた。出席者約80名は、蒲田としては前代未聞の数。数年前ならちょっと考えられない数字であって、「さて、いよいよこれからは蒲田の時代♨」の予兆を感じる。

 校舎スタッフ、生徒諸君の勢いもなかなかのもの。使用したテキストは、大爆笑が止まらないバージョンの「Bタイプ」。開始から終了まで、「これがホントに蒲田?」と言うぐらい、激しい大爆笑の大波に小さな教室は揺さぶられ続けたのであった。

1E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’
2E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
3E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK VIOLIN CONCERTO & SARASATE
4E(Cd) Tommy Flanagan Trio:SEA CHANGES
5E(Cd) Martinon:IBERT/ESCALES
total m111 y926 d16248