Thu 150521 瓶入り黒インクを使い切る 因幡の白うさぎ 兵庫県明石でお仕事 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 150521 瓶入り黒インクを使い切る 因幡の白うさぎ 兵庫県明石でお仕事

 6月10日、今日も今日とて、また夕方からお仕事。しかもそのお仕事が兵庫県明石市であるから、子午線東経135度、日本標準時の町に向かってお空をビューンと飛んでいかなければならない。

 久しぶりのヒコーキは、羽田発13時。朝5時起きの勤勉な今井君にとっては、午前中たっぷりデスクワークに励む余裕があった。クマどんは昭和生まれだから、デスクワークに「手書き」の占める割合も大きい。「万年筆でサラサラ」などという昭和の文豪みたいなことだって少なくない。

 というわけで、この日はまず万年筆部門で特記事項があった。諸君、驚くなかれ、「瓶の黒インクを全て使い果たす」という快挙の達成である。平成生まれの若い諸君には、「万年筆」というモノの存在だって十分に驚きだろうが、「瓶入りのインク」となると、これはもう19世紀のオハナシにしか聞こえないかもしれない。

 かく言うワタクシだって、さすがに普段からマジメに瓶入りインクを使っているのではない。昔はよくマンガなんかで「インクの瓶をひっくり返しちゃった」という大失敗が描かれたものだが、今井君がこの黒インクを購入したのは、もう30年以上も以前のことである。

 その証拠に、瓶に書かれた文字をみてくれたまえ。Pelikan社製のインクだが、一番下に「Made in W.-Germany」の文字が見える。West Germany、つまり懐かしや「西ドイツ」であって、このインクは東西ドイツに分断されていた時代、おそらくヘルムート・コール首相時代の製品なのだ。
インク
(ペリカン社製、黒インク。West Germanyの表示がある)

 学部生時代の若き今井君は、「バッグじゃなくて、風呂敷包みを持ち歩く」「授業のノートもペンでとる」という変わり者。ペンもボールペンじゃイヤだから、奮発してペリカンの万年筆を購入。高校生時代から使用していた国産の万年筆と併用して、「日本語で行われる授業のノートを英語でとる」などという暴挙を続けたものだった。

 その当時はすでに万年筆は「スペアインク」という便利なものの全盛期。瓶入りのインクからスポイトでインクを吸い上げて使う形式は、やっぱりホントに戦前戦後の時代に置き去りになっていたのである。

 しかし諸君、奮発して手に入れたPelican万年筆には、スポイト式も健在。「それなら、おーし、やってみるか」とイタズラ心を起こし、スポイト(正式名称は「コンバーター」であるらしい)と一緒に購入したのが、この黒インクである。

 あれから幾星霜、万年筆も古び、今井君自身も鏡で見るとすっかり古びてしまった。しばらく万年筆も使うことがなかったが、3年前だったか、久しぶりに新しい万年筆を購入したのを機会に、引き出しの奥の奥のそのまた奥から、このインク瓶を取り出してみたのである。
ペン
(20年使ってきたボールペンも、ついに退職)

 丹念に使い続けて、6月9日午前10時、ついにインクが底をついた。30年かけてカラッポにしたのであるが、おしまいの頃には水分がだいぶん蒸発してしまったらしく、濃厚でドロドロ、脂肪分をとりすぎた中年オジサマの血液みたいに、危険なほどにドーロドロなアリサマになっていた。

 そして諸君、「ボールペンも同じ日に使い切る」という奇跡が起こったのは、その30分後のことである。写真に示す通り、何の変哲もないごく普通のボールペンであるが、これだって故事来歴には事欠かない。大昔、バイト気分で小さな塾の校長をやっていたころに購入したものである。

 ということは、このボールペンの年齢もすでに20歳を超えている。なのに、健康状態はカンペキであって、「若い者にはまだ負けんぞ」と意気軒昂。6月9日、20年の年月を経て、ついにインクが全部なくなった。
明石
(兵庫県明石で熱演するクマ助)

「長き年月にわたり、よくこの今井クマ左衛門に忠義を尽くしてくれたのぉ」な世界であり、「じい、このとおりじゃ。礼を申すぞ」であって、正式な署名などの場でしか彼を使わなかったことが長寿の原因であるが、それだけにまた思い入れが深い。

 こういう感動の別れが2つ、ある1日の午前中に集中するのは、まさにウルトラなミラクルであるが、諸君、あんまり感激しているとヒコーキに遅刻する。ヒコーキに遅刻すれば、論理的に言って公開授業にも遅刻するから、感激と感動はほどほどに、さっさとタクシーに乗り込んだ。

 右手にぶら下げるのは、これまた16年目の長寿バッグ。すでにこのブログで何度も紹介している「予想の5倍重いカバン」である。珍しいZegna製であるが、さすがのZegnaも今はもうこのタイプのカバンを製造していない。

 つまり「超レア物」であって、クマ助はますます「丁寧に使ってやらなきゃな」と覚悟を決める。ネコでも犬でも、カバンや靴やスーツや筆記具でも、「丁寧に丁寧に」と心を込めていれば、予想の3倍も5倍も長生きするものである。
たこ
(兵庫県明石、明石のタコのしゃぶしゃぶ)

 今日は素直に伊丹空港からホテルに向かい、今井の定番・大阪駅前のインターコンチネンタルホテルにチェックイン。夕暮れにホテルを出て、鳥取県倉吉ゆきのディーゼル特急「スーパーはくと」で明石に向かった。

 「はくと」とは「白兎」であって、要するに「因幡の白ウサギ」。意地悪ワニさんたちにつかまって「皮を剥かれて赤ハダカ」という乱暴狼藉を受けた、哀れな白ウサギさんにちなんだ命名である。

 だから大阪駅を発車した直後、車内にはマコトに哀れなメロディーが流れる。「大黒サマの言う通り、キレイな水に身を洗い、ガマの穂綿にくるまれば、ウサギは元の白ウサギ」。「因幡の白兎」のお歌は、幼児が歌うにはちょっと残酷シーンが多すぎる。

 今井君は昔から最後のところが浦島太郎の歌とこんがらかるクセがあって、「ガマの穂綿にくるまれば、太郎はたちまちオジーサン」と、ワケの分からない歌詞にして、幼稚園の先生にたいへん評判が悪かった。

 ディーゼル列車の懐かしいエンジン音に聞き入るうちに、さすが「スーパーなウサギ」であって、あっという間に明石が近づいた。白砂青松の須磨の海岸 ☞ 淡路島への明石大橋も左側の窓に展開し、初夏の夕陽がうっとりするほど美しかった。
蕎麦
(大阪伊丹空港「関亭」で「びっくりそば」をすする)

 明石のお仕事は、駅南口の「子午線ホール」にて。何故かド派手なオネーサマがたくさん颯爽と歩いていらっしゃる駅前風景にビックリしながら、18時半に会場入りした。

 19時半開始、時間ピッタリで21時終了。出席者120名。「ターゲット校で明日が文化祭なので」ということで、出席者は予定を若干下回ったけれども、出席した120名の反応はマコトに濃厚&高密度。クマ助としても大いに楽しかった。

 終了後の懇親会は、明石料理のお店で。新鮮な刺身、明石のタコのしゃぶしゃぶ、名物&大好物の鯛めし、どれもたいへんおいしゅーございました。昨年秋の明石での仕事の後、「トリンドルに似てるって言われます」という発言で周囲を歓声の渦にした女子のアルバイト君も健在。楽しい夜がグングン更けていった。
 
1E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.9
2E(Cd) Ricci:TCHAIKOVSKY/VIONLIN CONCERTO・PAGANINI/CAPRICES
3E(Cd) Maazel & Wiener:TCHAIKOVSKY/SUITE No.3  R.STRAUSS/TOD UND VERKLÄRUNG
4E(Cd) Dorati & Washington D.C.:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.4
5E(Cd) Barenboim & Chicago:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.5
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