Fri 150515 サレルノから船 岬めぐりの船はゆくよ ラヴェッロへ(ナポリ滞在記30) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150515 サレルノから船 岬めぐりの船はゆくよ ラヴェッロへ(ナポリ滞在記30)

 ホントならサレルノも、せめて丸1日かけて散策したい街である。日本ではイマイチ認知度が低いけれども、イタリアでは新しい新幹線網のカナメの一つ。ミラノを出発した新幹線は、ボローニャ ☞ フィレンツェ ☞ ローマ ☞ ナポリを経由して、一路サレルノを目指す。

 これを日本になぞらえれば、ボローニャが名古屋、フィレンツェが京都、ローマが大阪・神戸、ナポリが広島、サレルノが博多に該当する。サレルノから新幹線はさらに南下して長靴のカカトのレッチェまで走るけれども、それはちょうど九州新幹線の鹿児島に相当するのである。

 サレルノは、ジェノヴァ・ピサ・ヴェネツィアと並んで中世イタリアの4大海洋都市に数えられることさえある。一般にはサレルノじゃなくてアマルフィを入れるが、それはサレルノとアマルフィが近すぎるせいである。

 岬を2つか3つ隔てただけで大きな海洋都市が2つ並べば、「どっちか1つにしよう」ということになるのは致し方ないことである。サレルノとしては、
「どうして我々が除外サレルノ?」
「何でアマルフィが優先サレルノ?」
という悔しい数世紀をガマンしただろう。
小さな町1
(サレルノ ☞ アマルフィの船から 1)

 しかし21世紀の新幹線網整備のオカゲで、ようやく自らの地位に相応しい待遇を受けることになった。もちろん「何でこんなに待たサレルノ?」という思いは強いだろうが、今やイタリア国民の誇りである「フレッチャロッサ」も「イタロ」も、サレルノにはみんな停車する。

 むしろ外国人から見れば、「どうしてこんなに優遇サレルノ?」であって、その思いは4月2日のクマ助も同じことである。大昔の日本で、旧国鉄の特急電車はみんな「水上」と「黒磯」に停車したのであるが、サレルノの優遇ぶりは何となくあの頃を想起させるものがある。

 国鉄サレルノ駅からサレルノ港までは、徒歩で10分もかからない。そもそも「駅前の雑踏」というものさえないのだから、「雑踏をかき分けて」と書けば、それ自体がウソになる。

 閑散とした駅前を海に向かって降りていく。今井君は生まれも育ちも海辺の町だから、海や港の方角を日光の密度だけで嗅ぎつける動物的な勘を持っている。山側と海側では、明らかに陽光の濃度が違うのである。
小さな町2
(サレルノ ☞ アマルフィの船から 2)

 かつて4大海洋都市の1つに名乗りを上げるほどであったとは信じがたいほど、サレルノ港は閑散としている。岸壁のすぐそばに漁船を引き上げて、4~5人の男たちが寄ってたかって船底のフジツボをシャカシャカ削り落としたりしている。いやはや、マコトに穏やかな田舎の漁港の光景である。

 岸壁の端っこにチケット売り場があって、今井君は10時40分の船のチケットを買った。プレハブの小さな小屋の看板に「アマルフィ」「ポジターノ」「ソレント」など世界的観光地の名が並び、愛想の悪いオジサンが無言でチケットを売りさばいている。

 岸壁には地元のオジサマや若者がタムロして、釣り糸を垂れている。「釣れても釣れなくてもどうでもいい」という投げやりな釣りであって、遥か遠くの山の頂上には、かつてサラセン海賊の襲撃を見張った城塞がそそり立っているが、いやはや、ホントに素晴しく平和な世の中になったものである。
アマルフィ
(海の都アマルフィの勇姿は、海の側から満喫すべきである)

 サレルノからアマルフィに向かう船では、進行方向右の席を確保すべし。進行方向左は、アルジェやチュニスの方向に向かって果てしないティレニア海が広がるだけであるが、右側ならサレルノ⇔アマルフィ間の可愛らしい町や村の姿を間近に堪能できる。

 このレベルの村や町になると、もうガイドブックもほとんど触れていない。町の名前は「ミノーリ」に「マイノーリ」。何となく英語の「minor」とのつながりを感じさせる名であるが、夏には地元の海水浴客が多数集まるとのこと。この規模の町でさえ、海賊監視用の中世の砦が残っている。

 サレルノから40分ほどの航海で、アマルフィの町が見えてくる。クマ助は船に先頭で乗り込んだから、船の中でも先頭の席を確保した。海の景色は堪能できたが、さすがに4月上旬の海風は冷たかった。

 クーラーのききすぎた夏の教室で「寒い」「寒い」を連発して震えているようなヒトは、この船に乗る時は夏でも厚手の服を持参した方がいいかもしれない。南イタリアとは言っても、さすがに海の風の冷たさは格別である。
ドゥオモ1
(ドゥオモ前広場のカフェから、中世のドゥオモを仰ぎ見る)

 ま、北国生まれのクマ助は別格なのだ。5月とはいえ3000メートルのドイツ最高峰に、かつてワイシャツとベストだけの姿で登頂したツワモノである。1000年に及ぶ海洋都市アマルフィに入港する船の舳先の甲板上で、まさに直立不動。「寒い」の「さ」の字さえオクビにも出さず、海の英雄の気分を味わったのである。

 アマルフィで船を降り、そのままポジターノ☞ソレントに向かう船を見送って、これからクマ助が目指すのはラヴェッロの町である。アマルフィからバスで20分ほど、断崖絶壁を喘ぎながら登りきった先に、天上の楽園のような町がある。

 さすがにグリーディーなサラセン海賊も、これほどの断崖絶壁の上では襲撃の対象には選ばなかっただろう。例えばフランス・ニース周辺の「鷲の巣村」エズと同じことである。

 ラヴェッロに行くにも、SITA社のバスとHOP ON HOP OFFのバスが競合している。老舗SITAの方が運行本数は圧倒的に多いし、運賃もずっと安いらしいが、すでに書いた通り、乗務員の愛想も悪ければ、臨機応変さにも欠ける。
ドゥオモ2
(アマルフィ、ドゥオモのキリスト)

 今井君は「1ユーロか2ユーロの違いだったら、気持ちよく乗れる方を選ぶ」派。赤いHOP ONバスの近くをウロウロしながら、必殺の「困ったな」ポーズと「どうすればいいんだろ」の表情をやってみた。

 効果は抜群、あっという間に係員のオネーサンが寄ってきて、「ラヴェッロですか?」「大丈夫、チケットはバス車内で買えますよ」と請けあってくれた。バスまでの時間が1時間弱あったけれども、そんなのはドゥオモ前のカフェに座れば何とでもなるだろう。

 選んだカフェは、ドゥオモを正面に眺められる絶好の店。このまま天国まで一気に駆け上がれそうな絶妙な角度の階段に見惚れ、ファサードのキリスト様を拝んで「アリガタヤ」「アリガタヤ」と合掌しつつ、グラスの赤ワイン2杯を軽くクイクイ飲み干した。

 諸君、時間の経過するのはマコトに速いものであって、団体ツアーの観光客がドゥオモ前で写真に収まるのを眺めているうちに、あっという間にバスの時間がやってきた。

 この直後、一気に標高350メートルの断崖の上に上がり、その空気の冷たさに一驚を喫するのであるが、その話はまた明日の記事に詳述することにしたい。

1E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2
3E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
4E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
5E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN
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