Wed 150506 天変地異の連続 エルコラーノの狭い街 ソレントへ(ナポリ滞在記24) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 150506 天変地異の連続 エルコラーノの狭い街 ソレントへ(ナポリ滞在記24)

 どんな饒舌にも「あれれ、どうも調子が出ないな」という気分は必ずあるもので、昨日から今日にかけての今井君がまさにそれにあたる。昨夜ちょっと酔って書いたものを今朝になって読み返し、「おやおや」とガッカリして書き直したりしているうちに、調子はますますおかしくなっていく。

 そこへまたいろんな天変地異が襲ってくるのでいよいよ調子が狂い、「そもそもこんなの書いてて大丈夫?」という躊躇から、いっそう気持ちが萎えていく。だって諸君、昨日は大噴火、今日はM8.5の大地震。いくら噴火や地震に慣れっこの国民だって、「次は?」と心配にならずにいられない。

 何しろ我々はいま何よりも「南海トラフ巨大地震」を恐れなければならない。さっきの地震は600km近い大深度で発生したこともあり、津波もナシ、余震もナシ、まあ不幸中の幸いであるけれども、そんなに深い所が震源だからこそ、今後の影響も広範囲に及ぶんじゃないか。
遠足
(エルコラーノの遠足軍団。この規模の集団が同時に10団体以上訪れ、遺跡はどこも飽和状態になる)

 クマ助は何しろシロートだから、心配でならないのである。一応念のために記録しておくが、5月30日8時24分の地震は、ハッキリ2段階に分かれていた。最初の揺れと本震の間に1分ほどのタイムラグがあったはずである。

 まず中規模の地震があって、テレビ画面にも「地震がありました。小笠原で震度4」の表示が出た。東京都渋谷区のクマ君のオウチも、「震度2ぐらいかね」な揺れがあって、瓶の中の焼酎がゆらゆら揺れているのを確認した。

 大きな揺れが襲ってきたのはそのおよそ1分後であって、中3の理科の時間に習った「P波とS波」にしては、ずいぶん長いタイムラグだった。ということは、小笠原では「P波なのに震度4」だったんですかね。うぉ、さすがM8.5であり、さすが600kmの大震度である。

 津波なし、交通機関にも大した影響なし。いやはや巨大地震だったワリに、やっぱり日本は大したものであって、人々の平静さも間違いなく一流である。

 「公開授業中でなくてホントによかったな」と胸をなでおろすのであるが、諸君、万が一の時にも、ぜひ今夜みたいに落ち着いて行動しようじゃないか。明日からいよいよ「夏シリーズ」が始まるが、そういう意味での決意も、やっぱり固いクマ助なのである。
全体図
(エルコラーノ、全体図。マコトに狭い街であって、ゴシップもさぞかしグングン拡散したことだろう)

 で、今日もまたどういう巡り合わせか天変地異の真っただ中で、ヴェスヴィオ大噴火の話を書かなければならない。紀元79年、ヴェスヴィオの大噴火に伴う溶岩流に埋め尽くされたエルコラーノを、2000年後に訪ねた旅の記録である。

 遠慮しいしい書いていると、その遠慮のせいで饒舌に調子が乗ってこない。調子が出ないから何となく時間帯も遅くなり、気がつけば午後10時半。焦りもあって、ますます調子が悪くなる。

 だって諸君、エルコラーノの街は、あまりに狭苦しいじゃないか。ほぼ長方形の街は、南北方向に180m程度、東西方向に約150m。これほど狭い街の中に、大邸宅もあれば倉庫もあり、大規模な公衆浴場も複数並んで、「何でこんなにうギュッと集中しちゃったの?」である。
料理屋
(エルコラーノ、2000年前の居酒屋。丸い穴の上で食べ物を温め、奥の壷から酒を注いだ。街中のウワサ話が大いに盛り上がったことだろう)

 むかしむかし昭和の真っただ中、今井君がまだ小学生だった頃、まさにこういう狭苦しい街の中で生活していた記憶がある。秋田市土崎港の国鉄職員宿舎である。

 エルコラーノと同様に公衆浴場があり、お風呂のお湯はバスクリンの黄緑に染まっていた。カホリもまたバスクリン。その浴場を取り囲むように、国鉄職員の家族3000人が密集して生活していた。500人もの独身男性がヒトカタマリの「独身寮」などというムサクルシイものも軒を連ねた。

 主婦たちのお買い物は、みんな「物資部」という名の官製スーパーマーケット。同じ時間帯に一斉に買い物に出るから、
 ① どこのオウチの夕食の献立は何か
 ② ダンナのお酒の好みは何か
 ③ どの家庭でどんな問題が発生しているか
 ④ 子供たちは学校でどんな評価を受けているか
人々はあっという間にそういう余計な情報を共有したものである。

 おお、まさに「団地ともお」な世界。「みんな知り合い」「プライバシーほとんどゼロ」なあの異様な暑苦しさ。エルコラーノの遺跡を歩き回りながら思い出したのはそれである。あらゆる情報が一晩のうちに街全体に拡散し、「ヒミツ」などという贅沢が許されることは考えられなかった。
ソレントの海
(ソレントの高台からティレニア海を望む)

 気温の上昇、観光客の人口密度、遠足の子供たちの大騒ぎなど、あらゆる意味で暑苦しくなってきたし、記憶の中でも「狭い街での情報伝達の暑苦しさ」が蘇ってムカムカしてきたから、正午すぎ、そろそろエルコラーノを出て、今日の第2の目的地 ☞ ソレントに向かうことにした。

 エルコラーノからソレントへは、ナポリからやってくる私鉄チルクム・ヴェスヴィアーナ線に乗り、途中ポンペイを経由して1時間ほどの道のり。いやはや、各駅停車の旅は長く、お互いの視線がこれまた暑苦しい。田舎とは、要するに全てにおいて暑苦しい土地のことである。

 ソレントが近づくにつれて、電車は深い山地の中を突っ切っていく。海からの暖かく湿った風が山にぶつかるせいだろうか、濃厚な霧が発生して、空は快晴なのに山は乳白色の濃霧に包まれる。こういう霧の中から中世の海賊が急襲してくるとしたら、その恐ろしさは計り知れない。
オレンジの樹
(ソレント到着。オレンジの並木が美しい)

 ソレント到着、午後2時。ナポリは大都会だが、ソレントは完全にリゾートの雰囲気。Mac君、いちいち「ソレント」を「ソ連と」に変換するの、ヤメてくれないかな。それでなくても昨日からの天変地異の連続で、クマ助は調子が悪いのだ。

 そもそも21世紀も15年が経過して、「ソ連」などはとっくに死語になっている。「ソ連と」一緒に何をすると言うんだね? コルホーズ?ソフホーズ? それとも中国みたいに人民公社? Mac君の頭の中も、そろそろ未来志向に切り替えたらどうかね。

 春のソレントの街は、大きな赤い実をタワワにつけたオレンジの並木が美しい。カプリはレモン、ソレントはオレンジ、さすが「君知るや南の国」であって、Mac君みたいに「君汁屋」だの「南野国」だの、クダラン変換にウツツを抜かしているヒマはない。

 ただし、ソレントで困るのは「トイレが見つからないこと」。駅のトイレは「使用禁止」、そのせいで駅前のカフェには行列ができ、エルコラーノ以来のモヤモヤになかなか埒があかない。ま、とりあえず海の見える所まで散策して、モヤモヤ解消はその後にしますかね。

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