Tue 150505 梅雨のような雨 大噴火の日に、遠慮しつつエルコラーノ(ナポリ滞在記23) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 150505 梅雨のような雨 大噴火の日に、遠慮しつつエルコラーノ(ナポリ滞在記23)

 東京は昼から雨が降り出して、夜になっても止む気配がない。梅雨入りしたようなイヤな雨で、見たところ強く降ってはいないのだが、ちょっと歩いただけで傘はビッショリ濡れる。乾くまで、時間がかかりそうだ。

 傘からはみ出ていたわけでもないのに、腕やお腹や胸までジットリ濡れて、水気をハケでベタベタ塗りたくるような鬱陶しさは、まさに梅雨の雨である。

 あれれ、朝のニュースでは「パラつく程度」と言っていた。7時41分の女・渡辺サンも「折り畳み傘があると安心」という程度だったのに、やっぱりこの時期の予報は難しいようである。

 天気図を見ると梅雨前線がクッキリしていて、「梅雨入り宣言したほうがよくはないか?」であるが、気温は20℃そこそこだ。昨日まで30℃の日々を体験した直後だと、思わず「寒いね」のヒトコトが口をついて出る。というか、思わず「息が白くなってないか?」と確認するクマ助であった。
モザイク
(ナポリ近郊・エルコラーノの遺跡にて。イカ&タコ&イルカどんが楽しそうだ)

 鹿児島・口永良部島で爆発的な噴火があって、噴煙は9000メートルに達し、今後はヒコーキへの影響が懸念される。大きな火砕流も発生して人々は屋久島に避難。こういう日に、果たして「ナポリ滞在記」を続けていいものかどうか、正直迷うところである。

 しかし旅の順番からして、今日は3月31日のエルコラーノ訪問について語らなければならない。紀元79年、ヴェスヴィオの大噴火でポンペイのカタストロフィが始まったが、もちろんポンペイ周辺の街も同様の悲劇に襲われた。

 当時のエルコラーノは、ティレニア海屈指の港町。ポンペイほどの大都市ではないが、キチンとした都市計画のもと、海上交易の経済力を生かして文化水準の高い街を形成していた。

 ポンペイは降り注ぐ火山灰に埋め尽くされたが、エルコラーノは火口から流れてきた真っ赤な溶岩流の下に沈んだ。何しろ溶岩だから、冷えて固まった後は硬い岩盤となり、遺跡の発掘は困難をきわめた。

 しかしそのぶん、その後2000年の長きにわたって盗掘や洪水による流失の被害に遭うこともなく、家具・衣服・食料・木材などが当時の姿のまま発見されたりした。街の規模はポンペイの1/4程度であるが、遺跡の密度と充実度は高く、保存状況もいい。こりゃ行ってみなきゃいかん。
頭像
(エルコラーノにて)

 3月31日、朝早く起きたクマ助は、
① 午前は、エルコラーノ
② 午後から、ソレント
という団体ツアー顔負けの忙しい計画を立て、破裂しそうなほどビンビンに張り切っていた。

 どういうのかね。いつもの外国旅行中は出来るだけ怠惰に過ごし、どこまでも怠惰が優先で、「昼まで部屋ですごす」「スヤーッ」なんてのをむしろスタンダードにするのだが、今回の旅は初日から様子が違う。

 初日がポンペイ、2日目がカプリ島、3日目がカゼルタ。あまりに濃密度の旅を続けているせいで、まだ滞在3日目が終わった所なのに、旅行記の方はもう23回目だ。

 ナポリ滞在は12日間だから、このまま行くと旅行記が100回に達する可能性すら出てきた。いやはや、たいへんだ。何事も簡潔でないと怒りだす気短かな御仁も多いから、そのうちきっと叱られる。でも諸君、簡潔なんてのはちっとも楽しくないんじゃないかね。
炭化
(エルコラーノにて。当時の木材が黒く炭化して残っている)

 ホテルから地下鉄TOREDO駅まで、今日も徒歩で25分。簡潔好きの人に叱られる恐れさえなければ、実はこの道のりについてもいろいろ書きたいことが山積みなのである。

 犬5匹を連れたオジサマについて。王宮のチケット売り場のオネーサマについて。王宮前の超有名カフェについて。でも、まあいいか。気難しいヒトビトに叱られないように、そのへんの面白い話題はとりあえずカットということにしよう。

 しかし諸君、ナポリ中央駅で地下鉄1号線を降りてすぐ、今井君が間近に目撃した銃の乱射については、やっぱり記録しておかなきゃいけない。私鉄チルクム・ヴェスヴィアーナ線の始発駅に向かっていた時のことである。

 乾いた銃声は、映画やテレビドラマでお馴染みのものよりも、さらに乾燥度が高い感じ。中央駅を背に右手2時の方角、黒く汚れた雑居ビル群の屋上で、銃口からの白い光が続けざまに閃いた。200mほど先だろうか、ビルは7~8階建て。銃声は10回を超えて、ナポリの青空に白い硝煙が立ちのぼった。
壁画
(邸宅のモザイク壁画。モチーフはネプチューンであるらしい)

 まさか日常茶飯事ということはないのだろうが、ナポリのヒトビトは驚いた様子もない。まずクマ助が銃声と閃光に気づいて立ち止まり、それにつられてようやく地元の人々も同じ方向を見守ったのである。

 「銃撃戦」ではない。あくまで一方的に撃ちまくっているだけであって、誰かが応戦する気配はない。15秒、20秒、そのぐらい続いただろうか。あとは水をうったように静まり返り、凍りついていた駅前の人々も、「何事もなかった」という表情でそれぞれの目的地に向かって動き出した。

 キツネにつままれた気分であるが、そんな危険な場所にいつまで立ち尽くしていても仕方がない。中央駅から徒歩10分、すでに一昨日も右往左往してお馴染みの私鉄駅から、ソレント行きの各駅停車に乗り込んだ。

 ポンペイまでなら40分かかるが、エルコラーノは20分ほど。ナポリからポンペイまでのちょうど中間地点である。いかにも日本人が「治安が悪い」と顔を顰めそうな薄汚れた駅であって、駅前の雰囲気もやっぱり日本人観光客向きの花やかさはない。
全体図
(エルコラーノ。その上に立つ無計画な現在の街と比較すると、整然とした都市計画ぶりを実感する)

 しかし諸君、さすが2000年前の港町だ。目の前には真っ青なティレニア海が広がり、海岸のあたりには松林が続いているのが見える。何のことはない、これは今井君の故郷 ☞ 秋田県土崎港の風景だ。

 遺跡には、駅前から海に向かって大通りの坂道を降りていけばいい。ドーナツ屋、バーガー屋、ババも売っているパン屋、土産物屋、要するにイタリアのありふれた田舎町であって、そんなにビクビク怖がる必要はない。

 整然とした碁盤の目状にまとまった街は、昔の都市計画のお手本みたいである。2000年後の21世紀、遺跡の上にはマコトに雑然とした無計画な街が乗っかっているが、昔の人なら「爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいんじゃないか」と、辛辣な顔で呟きあいそうである。

 昼近くなって、日差しがどんどんキツくなってきた。「遺跡」ということは、つまりどこまでも石と砂の世界なのであって、ポンペイでもそう、エルコラーノでもそう、フォロロマーノやパラティーノの丘もそう。南イタリアの遺跡を歩き回るなら、冷えたミネラルウォーターは必須でござるね。

 イカとタコの絡まりあうモザイク画が有名な浴場跡。炭化した木材の残る2階建ての邸宅跡など、どこを見ても2000年前が横たわる。楽しげな古代の都市生活の姿が、まさに美しい標本のように今もそこに固定されているのであった。

1E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 3/5
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3E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 5/5
4E(Cd) COMPLETE MOZART/DIVERTIMENTI・SERENADES 1/11
5E(Cd) COMPLETE MOZART/DIVERTIMENTI・SERENADES 2/11
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