2015年05月12日(火)

Sat 150418 台風接近 玉コンニャクと「奥の院」が好き 秘儀荘(ナポリ滞在記8)

テーマ:ブログ
 5月12日、台風6号の接近に伴い、首都圏では午後7時過ぎから強い雨が降り始めた。さすが台風だけあって、朝から渋谷区には暴風警報が発令。台風それ自体は奄美大島付近にあっても、朝の東京には「おお、アイツが接近しつつあるな」という緊迫感があったのである。

 午後7時、何となく「今日は晩飯を省略するかな」と投げヤリな気分だったのだが、それではあんまり寂しいので、オウチから一番近い駅前の居酒屋に出かけた。大好きな玉コンニャクを4皿、合計20個も平らげ、日本酒を4合空っぽにして午後8時。店を出たら、ベチャベチャしたイヤらしい雨が降りしきっていた。

 なんでこんなに玉コンニャクが好きなんだか、自分でも首を傾げるほどである。おそらく幼児体験の継続であって、クマ助は幼い頃、父・三千雄に連れられて、しょっちゅう山形県の蔵王温泉にスキーに出かけた。

 熱い醤油ダシの中で浮き沈みを繰り返す玉コンニャクは、山形蔵王の名物である。「今井君がコドモの頃」というのだから、おそらく平安時代か鎌倉時代のことであるが、一皿50円で10個ほど、芯まで醤油ダシの滲みた玉コンニャクだけが楽しみで、年に5回も6回も蔵王に通った。
肖像
(2000年前の女の肖像)

 そういうことを思い出しながら、胃袋の中を20個のコンニャクが浮き沈みするのを、渋谷区の店で体感できる。こりゃ素晴らしい。夜8時、居酒屋を出ると、亜熱帯を思わせるベチャベチャした雨が東京を包んでいる。天気予報によれば「これから明朝3時ごろまで警戒が必要」なのである。

 「不謹慎」と叱られるのを覚悟で言えば、クマ助はこういう荒天が大好き。3時までお部屋で起きていて、暴風のうなりを聞き、降りしきる夜の雨の景色を眺めて、夏の入口の風情を満喫しようと思う。駅前からオウチまで歩いたら、諸君、酔いもすっかり醒めるほど、全身ズブヌレなのであったよ。

 何しろ諸君、「夏は夜」であることは清少納言どんにズバッと断言されて以来、勇ましいニッポン♨ダンジの中にも、平安のヤマトナデシコの発言を否定する勇気のあるヤツは存在しない。夏と言えばアラシ。アラシと言えば夜。そのへんは「四季」のヴィヴァルディおじさまも、おそらく異論のないところだ。

 「衰えたり」「温帯低気圧に変わりました」とは言え、つい一昨日までは910ヘクトパスカルの猛烈だったヤツだ。こういう上級台風に対しては、我々人間の側でもそれ相当の敬意を払うべきであって、「大したことないじゃん」などという罵詈雑言のないように、クマ助からも若い諸君にご忠告を差し上げておきたい。
轍
(ポンペイ中心街「アボンダンツァ通り」から、郊外の「秘儀荘」に向かう曲がり角。2000年前のクルマのワダチが一番目立つあたりである)

 さてと、2日ほど旅行記をサボっていたが、そろそろ3月28日のナポリのクマ助に戻らないと、読者諸君が混乱する。
「あれれ、クマどんは今どこにいるの?」
「ナポリじゃなかったの? ポンペイじゃなかったの?」
「何で連日、速読の話なんかしてるんだ?」
であって、全く、初夏のクマがこんなに自由奔放に行動していると、地元猟友会オジサマたちのエジキになりかねない。

 というわけで3月28日のクマ助は、正午すぎにようやくポンペイの遺跡に到着。ポンペイ駅のホームにズラリと居並んだのは、クマ助もビックリな韓国オバサマ集団であった。

 ウーン、200名ほどもいらっしゃただろうか。そろいのサンバイザー、そろいのサングラス、そろいの昭和チリチリパーマ。なかなかよく統制のとれた軍団であった。

 彼女たちの行動は、マコトに素早い。意地でも電車の席を奪おうと他の客を出し抜き、まず1人の身軽なオバサマが、小さいカラダをクネらせて一気に電車の奥深くにクサビを打つ。その後からドヤドヤと空席に殺到する姿は、まさに「他山の石」。「あんなふうになっちゃいけないよ」の見本と言っていい。
円形劇場
(グラディエーター宿舎のすぐ横、大劇場跡)

 3日間有効のアルテカードを持っていれば、「どこの美術館でも遺跡でもチケットなしで入場できる」と説明されていたが、どうやら説明と実態とは違っていたらしい。

 入場口でアルテカードを提示すると、「何をバカなこと言ってんだ?」という表情でチケット売り場をアゴで示され、「チケット、チケット」と笑われる。諸君、アルテカードを持っていても、ナポリではやっぱり列に並ばなきゃならないし、あらかじめそのことは知っていた方がいい。

 ありとあらゆるスッタモンダを経て、午後1時近くなってクマ助はようやく人口1万5千の大都市、ポンペイの遺跡に入った。都市として隆盛の真っただ中、ティトゥス帝の紀元79年、間近に聳えるヴェスヴィオの大噴火と大火砕流によって壊滅した街である。

 奈良や京都に旅行に出かけ、そこに「本殿」と「奥の院」が存在した場合、諸君はどちらを選ぶであろうか。おそらく99%は「本殿」と答えるのであるが、アマノジャクなクマ助は「奥の院」派なのである。

 清水寺でも鞍馬寺でも、本殿ならガイドブックに詳細が書かれているが、奥の院はまさに謎だらけ。誰でも訪れる本殿は何となく他の人まかせで、クマ助はいつでもズンズン、入れるだけどこまでも深く「奥の院」に入り込んでいくのである。
壁画1
(秘儀荘 1)

 だからポンペイの遺跡の場合でも、クマ助に「定番コース」をたどらせるのは困難をきわめる。スタートライン、「フォロ」「アポロ神殿」「ヴェスパシアーノ神殿」を過ぎれば、普通の人なら右に曲がって、2000年前のジムに浴場に居酒屋に売春宿が軒を並べる市街中心部に足を向けるのである。

 しかしその方面は、団体ツアーの皆様でごった返している。成長著しい中国の皆さまの中国語が席巻し、イタリアの小学生の遠足が中国軍団に絡みつき、中国語にロシア語が絡む。

 こんなところまで来て、人々はまだ他人を出し抜こうとし、何としてでも他者より先に見るべきものを見終わって、
「よーし、ポンペイは終わり」
「次はどこだ、早く行こうぜ」
「何をグズグズしてんだよ。時間ねーんだぜ」
と口々に絶叫しているのである。

 クマ助は、そういう行動をどうしても好きになれない。見るべきものに「ランキング」を作成して、トップ1から3までを怒濤の如くカメラに収め、トップ4から10までなら何とかガマンするが、「奥の院」なんかいくら眺めてもムダ。そんなおいそがしいスタンスじゃ、遺跡に埋まった古代の人々にも失礼だと思うのだ。
壁画2
(秘儀荘 2)

 そこで諸君、クマ助の足はみんなとは逆方向に向かう。ほぼ全員が右に曲がって、2000年前のカタストロフィを迎えた繁華街に向かうのに反し、クマ助だけは同じ交差点を左折。グッと人の減った古代都市を、郊外へ郊外へと「奥の院」目指して進むのである。

 マコトにホコリっぽい道のその先にあるのは、「ダイオメデス荘」と「秘儀荘」。諸君、「秘儀荘」であるよ。いかにもボードレールや谷崎潤一郎が大好きそうな世界じゃないか。

 建設は紀元前2世紀。「ディオニュソスの秘儀」への入信の様子が描かれたフレスコ画が残っている。79年、ヴェスヴィオ大噴火の際には、その大カタストロフィのまさに最前線。人類史上最悪の火砕流の最前線にありながら、それでも「秘儀荘」の赤いフレスコ画は、こうして見事に生き残った。

 秘儀荘のそばには、無数にハーブの花が咲き乱れ、ハーブの香りに誘われて無数のミツバチが乱れ飛ぶ。「おお、これこそ古代から続く春の風景ナリネ!!」と、クマ助は突如として「キテレツ大百科」のコロ助クンに変じ、2000年前と同じ清々しい空気を、丸いお鼻をピクつかせて深々と吸い込むのであった。

1E(Cd) Anne-Sophie Mutter:VIVALDI/DIE VIER JAHRESZEITEN
2E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 1/2
3E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 2/2
4E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3
5E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3
total m102 y745 d16069
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