Fri 150410 フランクフルトが優しくなった 若山牧水と白楽天のこと(ナポリ滞在記2) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150410 フランクフルトが優しくなった 若山牧水と白楽天のこと(ナポリ滞在記2)

 この10年、すっかり旅慣れたせいなのか、どんなに窮屈なエコノミー座席でも「ヒコーキで眠れなかった」などという経験はなくなった。この4~5年は、普通のエコノミーで「縮こまって12時間」ということもない。ほぼ確実にプレミアムエコノミーで無料アップグレードしてもらえる。

 ついでにエコノミー席それ自体も、ずいぶん改善されたような気がする。特に日本のエアラインは楽になった。10年昔、スカンジナビア航空やアリタリアのエコノミーは、ほとんど難行苦行の趣きがあったし、4~5年前になってもまだ、ブリティッシュエアウェイズはキツかった。

 何がキツかったと言って、客室乗務員の対応がとってもキビシかったのである。どこの国の航空会社かは言わないおくが、機内食のプラスチックケースを回収中に通路に落としたまま、最後まで知らん顔を貫いたCAもいた。眠っているのを叩き起こしてでもドリンクを手渡すオカタもいた。

 何だか叱られているような、小突き回されているような、「護送中の気分」と言っても過言ではないことも少なくなくて、クマ助は4年前から「可能な限りANA」と決めている。あれ以来、海外旅行から苦しみは消滅した。
アルプス
(フランクフルト発、ナポリ行きのヒコーキは、まだ冬のアルプスを越えていく)

 アムステルダムに行くならKLM、ローマならアリタリア、ウィーンならオーストリア航空。そういう選択をすれば、目的の街に一発で飛べる直行便があるけれども、12時間小突き回されるのはどうしてもイヤだから、エコノミーを選ぶ以上はANAで行く。

 諸君、まあこれも「Buy Japan」の一環だ。しかしそれ以上に、楽しい旅のストーリーにホンの少しでも難行苦行の影が差すのがイヤなのだ。ミュンヘンやフランクフルトやパリで乗り継ぎがあっても、乗り継ぎは乗り継ぎで大いに楽しいから、それをメンドーに思うこともない。

 今回の乗り継ぎは、フランクフルトである。その昔、この空港はスコブルつきの悪評があって、それこそ乗客を小突き回すことにかけては天下一。特に手荷物検査場には「意地でも乗客をイジメずにはおかない」ぐらいの迫力があった。

 ジャケットを脱ぎ、ズンボのベルトを外し、靴も脱げと言われ、ポケットから現金もクレジットカードも全部出さなきゃいけない。それでも「遅い」と言って叱られ、舌打ちされる。そのうち「パンツ一丁になれ」と言われそうな勢い。誰だったか日本のサッカー選手が、高価な時計を没収された事件もあったはずだ。
湖水地方
(北イタリア、湖水地方の上空を飛ぶ)

 フランクフルトが濃霧に包まれたある日、乗客数百名を置き去りにして、アジアゆき数便を見切り発車で出発させたこともある。スペインからの到着便が着陸できなかったせいであるが、今井君自身が置き去りにされた1人だった。ルフトハンザのカウンターには、3時間経過しても解消されない長蛇の列ができた。

 しかし諸君、やっぱりライバルの存在はヒトや組織をグンと成長させる。2015年、今やフランクフルト空港でイヤな思いをすることはほとんどない。ミュンヘン空港が本格的に稼働しはじめて数年、フランクフルトも格段に優しく、使い心地がよくなった。

 ドイツ国内に2つの巨大ハブ空港が並び、しかもフランクフルトとミュンヘンでは目と鼻の先である。ミュンヘンのほうは当初から乗客にマコトに親切。「同じドイツでも天と地の差だ」と感心していたのだが、この1~2年のフランクフルトは、ミュンヘンに遜色のない優しい対応が目立つ。

 3月27日午前5時、羽田発の深夜便で9時間近くタップリ眠ったクマ助は、まだ真っ暗なフランクフルト空港に到着。ここでルフトハンザに乗り換えてナポリに向かう。ナポリ便の出発は11時。乗り継ぎに5時間もあるから、やっぱり頼りになるのはここでもラウンジである。
ジャポ
(ナポリ空港で発見の寿司屋「愛 ジャポ」。ヨーロッパの「日本食ブーム」とは、要するにこういうことである)

 今井君はスターアライアンスも「ゴールドメンバー」であるから、外国の空港でもふんぞり返っていられる。「普通のラウンジ」より1段と高級な「セネターラウンジ」に案内され、いやはや、朝っぱらからまたまたオチャケが楽しめる。諸君、旅の最中ぐらい、朝のオチャケを許してくれたまえ。

 歌人・若山牧水は松尾芭蕉以上に「日々旅にして旅を住処」としたが、彼の常軌を逸したオチャケ好きは有名。その心境たるや、
  それほどに うまきかとひとの 問ひたらば 
  何と答へむ この酒の味
というのだから恐れ入る。

 宮崎の医師の息子であったが、早稲田大学文学部に入学。うーん、やっぱり早稲田が絡んできましたな。あまりの酒好きに自分でも業を煮やし、あるとき母親に問うて曰く「ワタシは酒をヤメようと思いますが、どんなものでしょうか」。

 その時、母親がたちどころに答えたという返答が物凄い。「オマエのカラダは、酒で焼き固めてあるのじゃ。決して酒をヤメたりしてはいかん」。こうして諸君、やがて彼は幻覚を見るようになり、「そこいら中にクモがたくさんいてイヤだよー」とツブヤキ、やがて肝硬変で亡くなった。
ベスビオ
(ホテル・ヴェスヴィオのエントランス。何と1882年の開業だ)

 いやはや、アルコール依存は「緩慢な自殺」とさえ言われているほどであるから、賢明な今井君はもちろんそんなことはしない。白楽天みたいなことをするのは、せいぜいで10日に1回、しかも仕事のない時だけである。

 唐の詩人・白楽天は、朝6時ごろからお酒を飲むのが好き。正式名・白居易、自ら「酔吟先生」と号し、泥酔してはスンバラシイ詩を書き続けた。朝起きて、まず最初に口にするのがお酒、そのうち天地と1つに溶け合ったような悠然とした境地に至り、陶然と詩を作り、異界や冥界をも自在に旅した。

 そこへ行くと今井君の酒はあくまで「旅の友」程度であって、ヒコーキの時間がくれば、品行方正にたちまちサカズキを置いてゲートに走る。5時間もあったのに、飲み干したのは赤ワイン4杯だけ。酒仙のレベルには遠く及ばない。

 この日のナポリ便は、何の断りもなしにまず30分遅れ、もう15分経過したところでいきなりゲートが変更され、「駐機場までバス」ということになった。諸君、緻密で厳格なはずのドイツ人も、やることはケッコーいい加減。日本人ほど几帳面な国民は、やっぱり世界に類を見ない。
窓からの眺め
(ホテルはスイートルームにアップグレードされていた。窓を開ければサンタルチア港、タマゴ城も目の前だ)

 ヒコーキは、12月のイタリア旅行の時とほとんど同じルートで南下、まずアルプスを超える。コモ湖やマッジョーレ湖など、北イタリアの湖水地方を眼下に望むあたりから進路を若干西に向け、ジェノヴァの上空から地中海上に出る。

 正確にはティレニア海。エルバ島その他たくさんの小島を線で結びながら、ブーツの形のイタリア半島を、ちょうどそのスネのあたりを撫でるように進んでいく。雲の間からヴェスヴィオの勇姿が見えてくれば、大きく旋回しつつナポリに向かって降りていく。

 ナポリ到着。午後1時。「暑い」というイメージがあるだろうが、諸君、まだ3月だ。午後の太陽はキツいが、気温は東京とほとんど変わらない。すぐにタクシーに乗って、12連泊する「ホテル・ヴェスヴィオ」に向かう。

 この場合、運転手さんに「定額運賃で」と言わないと、
「ボラれたり遠回りをされたり、トラブルの元になります」
「悪質な運転手が多いです。ご用心」
ということになっている。ガイドブック上では、ナポリは物凄く危険な街で、日本人なんかがボヤボヤしていると、すぐに身ぐるみ剥がされちゃうみたいなイメージである。

 しかし諸君、10年前と違って、ナポリはそんなにコワい街ではない。「定額運賃で」とコチラがオズオズ言いだす前から、運転手さんは「定額ですね」とニッコリ笑ってくれた。「タリッファ・プレデテルミナート(tariffa predeterminato)ペルファヴォーレ 」であるね。

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