Fri 150329 旅行記はお休みして、大阪で文楽 2代目吉田玉男の襲名披露(2491回) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150329 旅行記はお休みして、大阪で文楽 2代目吉田玉男の襲名披露(2491回)

 本来なら一気に旅行記を仕上げてしまうところであるが、クマ助はパリゆき夜行列車の個室に収まって、あまりの狭さに驚嘆しながら憮然とした表情でミラノを去っていった。

 パリまで8時間、あの狭さではさすがに太ったクマ助の丸い肉体も、個室に合わせて四角く変わってしまうのではないか。パリ・リヨン駅で夜汽車から降りてくるヨレヨレなクマどんが、直方体のヨーカン状に変じている可能性は低くないのである。

 我々としては、それを楽しみにみんなでクツクツ笑いながら、いったんクマ助を列車の中に放置してしまおう。どうせクマ助のやることだ、深夜まで列車の四角い部屋で焼酎やウィスキーを痛飲し、あたりめだのチー鱈だのを食い散らかして、車掌サンに「ヨッパライだねえ♨」と呆れられる程度が関の山だ。

 そこで諸君、万歳三唱でクマ助の見送りを済ませた我々としては、いったん12月のミラノ・チェントラーレ駅をあとにして、半年後 ☞ 4月20日の今井君が何をやっているのかを見に行こう。
のぼり
(大阪・国立文楽劇場。ノボリは「吉田玉男」一色である)

 4月20日の日本列島は、まるで梅雨明け近い頃を思わせる積乱雲に頭からシッポまで覆われて、テレビのお天気オネーサマたちも、朝からたいへんな緊張の面持ちであった。それなのに、今井君は何故か羽田空港へ。お昼過ぎのヒコーキで大阪・伊丹空港に旅立った。

 ヒコーキが巡航高度に達すれば、普通なら雲の上に抜けて周囲はまばゆい青空になるのであるが、さすが4月20日の日本は大荒れ。どこまで行っても雲はなくならず、大阪までの1時間、ヒコーキは今井史上マレに見る大揺れが続いた。

 こんな天気の悪い日に、いったい大阪に何をしに来たのかというに、「またまた文楽を見にきました」というのだから恐れ入る。古くさい人形浄瑠璃なんか見て、いったい何が楽しいのかよく分からないが、このごろの今井君は1年に3回も大阪に出かけて、文楽を見ただけで翌日にはホクホク帰京する。

 4月の大阪・文楽公演は、「吉田玉男・襲名披露」を兼ねている。初代・吉田玉男が亡くなったのが2006年。文楽の世界は、大夫も三味線も人形遣いも人間国宝が目白押しだが、この10年ほどは引退や死去が相次ぎ、舞台はすっかり寂しくなってしまっていた。
初代
(初代・吉田玉男の勇姿)

 今回、2代目吉田玉男を襲名することになったのが、吉田玉女(たまめ)である。玉女から玉男へ、女から男への大変身であるが、初代の吉田玉男が余りに大きな存在だっただけに、「ええっ、大丈夫なんですか?」という声も若干あがったようである。

 「名前負け」ということもある。2代目の精神的負担ははかりしれない。竹本津大夫や竹本越路大夫が退いて20年も経過するけれども、大夫の中からこのウルトラ名人の名を継ぐ者は出てきていない。次の住大夫候補はいないし、伊達大夫も綱大夫も文字大夫候補もいない。

 こういうふうだから、今回の玉女 ☞ 玉男襲名は、今井君としてもなかなかの驚きであった。さすがに「左遣いを25年もやりました」という努力のヒトだけのことはある。

 「左遣い」とは、まあ助手のような役目。文楽の人形は1体を3人で遣うが、主役は右側、助手が左側、そのまた助手が人形の足を受け持つ。「左遣いで25年」とは、「係長で25年」「課長補佐で25年」に該当する。よほど忍耐力のある努力の人じゃなきゃ無理なのだ。

 特に今井君みたいな努力と執念が何より苦手な人間、昨日の記事に書いた通りの「あたりめ人間」とか「いいちこ人間」にとって、「左遣い」は一番苦手な役回り。「何でもいいから主役になりたい」「とにかく早くトップクラスになりたい」みたいなケーハク男子から見ると、その忍耐は賞賛に値する。

 いくらウルトラ♡ベテラン講師になっても、いまの今井君が「2代目・伊藤和夫」とか「2代目・奥井潔」なんかを名乗ったりしたら、日本全国から非難の嵐が襲ってくるに違いない。いやはや、そんな恐るべきプレッシャーには、チータラ人間は耐えられません。中身のチーズがドロッと出てきちゃいますよ。
ポスター
(ポスターも「吉田玉男」一色だ)

 というわけで、今井君は大阪を訪れた。いつものように「貯まったマイルでヒコーキ」&「貯まったポイントでホテルはインターコンチ」、人形浄瑠璃を眺めに大阪に来る時は、チケット代以外の諸費用を出来るだけ抑えることに決めている。

 大阪も強い雨が降り続いていたが、千日前というか日本橋というか、国立文楽劇場に何とか傘なしでたどり着いた。ノボリも吉田玉男、看板もポスターも吉田玉男、何でもかんでも吉田玉男であって、ご本人の緊張の胸中は察するに余りある。

 16時、公演開始。演目は、① 靭猿 ② 一谷嫩軍記 ③ 三十三間堂棟由来。①と②の間に「吉田玉男襲名披露口上」があり、豊竹嶋大夫をはじめ文楽の世界の重鎮が舞台にズラリと花やかに勢揃いして、ユーモアも交えた挨拶を行う。

 こういう世界のシキタリで、本人はずっと平伏したまま、一度も自ら口を開かない。そういうのも、「もしオレだったら耐えられないな」と感じるところであって、今井君というのはとにかく何でも最前列にシャシャリ出てツベコベ口を開かないと、それだけで激しい欲求不満に陥る生物である。
チケット
(本日のチケット)

 なぜ襲名披露の場で口を開かないかというに、「芸の力は舞台で見せるもの」だからであって、ツベコベ言い訳するよりも、「吉田玉男を名乗るだけの芸の力をつけたのだ」という事実を、舞台の芸そのもので、高らかに宣言すればいいからである。

 言い訳なし、マッタなし、芸だけで観客を唸らせてみようじゃないか。口うるさい観客を、芸の力だけで黙らせてやろうじゃないか。マコトに強烈に性根が座っているのであって、まあ「予備校講師なら授業だけで生徒をウットリさせてみなさい」「授業だけで合格させてみなさい」ということである。

 この日の2代目が遣ったのは、「一谷嫩軍記」の熊谷直実。「クマガイ♡ナオミって、誰ですか?」みたいな問いは論外だ。一ノ谷の戦いで、組み伏せた平敦盛にどうしてもトドメを刺すことが出来ず、身代わりとして我が息子・小次郎を斬ってその首を取り、自らは出家して墨染めのコロモを纏う。

 その大役を、2代目吉田玉男として見事に演じきった。初代・吉田玉男は優しいオジーチャンながら舞台では厳しくコワーい人として有名だったが、2代目は、「左遣い25年」で培った温かい人間味が身上。文楽を見続けて35年が経過するベテラン今井としても、惜しみなく喝采を送りたい熱演であった。
NHK
(今日の公演は、NHKの中継録画があった。近い将来、襲名披露とともに「熊谷陣屋の段」が放映されることと思う)

 劇場で、なつかしい人と出会った。駿台・福岡校に週1度ずつ出張していたころ、大いにお世話になった先生である。ほぼ20年ぶりだったが、お互いすぐに思い出した。あのころは関西の駿台古文科主任でいらっしゃった。わざわざ大阪まで文楽を見るためだけにやってくる熱心なクマ助に、かなりビックリなさっていたようである。

 終演は、20時30分。その後はもちろん太古の昔からの友人との大宴会が待っている。クマとかイノシシとかしシカとか、一般には食欲の対象となりにくい哺乳類の肉を食べるのが今井君は大好き。大阪にもそういう店はたくさんあって、この日も雨の中、哺乳類の成仏を手助けする宴会ということになった。

 大阪は安くて旨い楽しいお店が多い。その後は梅田から近い「福島」の駅周辺で〆ということになったが、店の選択に困るほどである。このごろの大阪は閉店時間がずいぶん早くなってしまったが、それでもラーメン屋ぐらいならまだ十分に間に合う時間帯。何もかも、たいへんおいしゅーございました。

1E(Cd) Brian Mcknight:BACK AT ONE
2E(Cd) Ann Burton:BLUE BURTON
3E(Cd) Harbie Hancock:MAIDEN VOYAGE
4E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE
5E(Cd) Weather Report:HEAVY WEATHER
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