Tue 150319 ネバネバしつこい記憶力 やっと探し当てた(イタリア冬紀行15・2481回) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 150319 ネバネバしつこい記憶力 やっと探し当てた(イタリア冬紀行15・2481回)

 前回のローマ訪問は、2005年2月末。ほぼ10年ぶりであるから、いくらジェイソン・ボーン並みに「地図が頭の中に入っている」と豪語したって、さすがに限度がある。

 何しろ世界有数の大都市なんだから、ローマ自体が生きて動いている。アメーバみたいに周辺都市や近郊農村を吸収するだろうし、都市の内部でも崩壊と再生とメンテナンスが常に続いている。

 前回あったはずの建物がなかったり、日光にさらされて壁の色が微妙に変わっていたり、新しい地下鉄が開通していたり、頭の中に残っている10年前の地図では、とても対応できない部分が多い。

 もちろん、今井君自身の能力の問題もある。20歳を過ぎれば、脳細胞は急速に減少を始め、今井君の誇る「5頭身」「いや、4頭身なんじゃないか?」というぐらい大っきな頭の中でも、昔の記憶はどんどんドロドロ腐臭を放つようになる。
クリスマスツリー
(カトリック総本山・サンピエトロ前のクリスマスツリー)

 一応、多くのヒトビトが認めてくれているように、クマ助の記憶力は何故か抜群であって、何でもかんでも記憶してしまうし、その記憶はマコトにネバネバ粘着力が強くて、いったん記憶したことは、カンタンには忘却のカナタに去ってしまわない。

 諸君はビックリするだろうし、「ホントかいな?」「またまたホラ吹きクマどん登場♡」と眉にツバをつけるヒトも多いだろうが、この今井君は今もなお、山川出版の日本史や世界史の教科書をスミズミまでよく記憶している。

 高3の11月から受験勉強を開始し、まず日本史と世界史を片付けた。やり方は同じで、
① まず教科書を1度通読して、どこに何が書いてあるかをオオマカに把握する
② できるだけ難問の掲載されていない標準的問題集を買ってきて、教科書と首っ引きで解いていく。
以上。キレイなノート整理なんか作るより、ずっと効果的である。

 ホントは「繰り返し繰り返し」「何ども解き直す」が理想なんだろうけれども、何しろ受験勉強の開始が高3の11月末なんだから、日本史や世界史にそんなゆっくり時間をかけている余裕はない。問題集をやるのは「1回きり」である。

 問題集は基本的なものにかぎるけれども、あんまり薄っぺらだと何となく信用がおけないから、手に取ってシットリするぐらいの厚さも大切。250ページぐらいあれば、「おお、安心だ」と心も落ち着くものである。
テヴェレ河
(テヴェレ河とカステル・サンタンジェロ。サンタンジェロの壁の色が、10年前に比べて何だかクスんでしまったような気がした)

 日本史が終了したのが、12月中旬。世界史が終了したのが1月上旬。
「ふーっ。間に合った!!」
☞「早稲田の政経と法は、軽くイタダキ♡」
☞「後は数学をやるのみ!!」
☞「ということは、東大合格も見えてきたな」
という、マコトにお気楽&ゴクラクな見通しの中で、1月後半から2月前半を遊び暮らし、気がつくと「第1志望はゆずれない」「東大めざして浪人」が決まっていた。

 当時、「東大のために浪人する者は、ナンピトたりとも駿台予備校を選ばなければならない」と憲法で規定されていたから♨、今井君も当然のように御茶の水に通った。「ナンピトたりとも」とは、漢字では「何人たりとも」の法律用語である。

 しかし諸君、秋田の田舎でさえフマジメ高校生を3年間も貫いたツワモノが、東京・御茶の水なんかに通ったら、どうせロクなことはない。フマジメぶりとツワモノぶりが、あっという間に露骨に際立ちはじめた。

 あの頃の池袋と飯田橋、三鷹と五反田と高田馬場には、「貧乏な学生にたった300円で映画を2本見せてあげよう」という趣向の「名画座」というシロモノが林立していて、駿台の授業なんかよりそっちのほうが、圧倒的な魅力で若きクマ助を引きつけたのである。

 そういう状況で1年が過ぎたから、日本史や世界史は結局ほとんど触れずに終わった。後で友人たちに尋ねてみると、
「駿台の大岡師にホレた」
「日本史の安藤師の授業にシビれた」
というヒトがあんまり多くて唖然としたが、それと同じ1年、クマ助は来る日も来る日も池袋文芸座と三鷹オスカーで時間をつぶしていたのである。
教会1
(ナボナ広場近くのサンタマリア・デラニマ教会。オルガンを中心に、クリスマス音楽の練習が進行中だった)

 それなのにあれから幾星霜、すでに数百年の月日が流れたが、いまだにクマ助の灰色の脳細胞には、山川出版の教科書の中身がネバネバこびりついて離れない。いま予備校のセンター模試を受験しても、思わず満点がとれそうで恐ろしい。

 せっかくこびりつかせるんだったら、法律とか医学とか心理学とか、もっと役に立つ知識をネバネバさせればよかった。人生後半を迎え、反省しきりである。諸君、ネバネバのカテゴリーをうっかり間違えないことが、人生のスタートではマコトに大事なのである。

 「ではいったいどうやってそんなにネバネバこびりつくの?」であるが、それは自分自身でもよく分からない。どうやら「問題を解く」というのがキメテらしいのだが、ハッキリしたことは言えないのである。

 読書の場合もそうで、クマ助は読書した後で必ず「もし同じ内容でオレ自身が書くとしたら、どんなふうに書くだろうかな」と、何時間もかけてニヤニヤ&ニタニタ夢想する。

 自分では「反芻」と呼んでいるが、反芻の時間が一番楽しいので、ヨーロッパに向かうヒコーキ12時間、ずっとそういうことを夢想していれば、実際の本を手に取らなくても、時間は瞑想ないし妄想の中で過ぎていく。

 うぉ、日なたでクチャクチャやっている牛さんや水牛さんと同じことである。正直ダラしない光景かもしれないが、そうやって反芻するからこそ消化がいいので、キチンと消化し尽くした養分はネバネバ率もグーンと高まっていく。

 たった一度読んだだけの本の中身をイヤというほど記憶しているのも、「問題集を解く」のと同じ感覚で、「オレならどう書くか?」と反芻に反芻を重ねるからだと信じている。
自分撮り
(12月23日、パンテオンにて自分撮り。紀元前30年ごろアグリッパが創建。120年ごろハドリアヌスが再建。多神教の古代ローマで、全ての神に捧げられた神殿である)

 さて12月22日、そういう記憶に頼った夕暮れのローマ散策は、バルベリーニ広場まで来て迷走に陥った。「10年前の懐かしいレストランを訪ねたい」と熱望していたのだが、何しろイタリア人の夕食時間にはまだ早すぎたので、レストランの明かりがまだ灯っていなかったのである。

 諸君、飲食店というものはマコトに厄介な性質をもっていて、「明かりが灯っているか否か」でその外見も雰囲気も全く違ったものに感じられる。ホッコリ温かな明かりが灯り、中から陽気な笑い声が漏れているお店と、暗く冷たく静けさに包まれた店とでは、同じ店とは認識できないほどである。

 探していた2軒のうち、全面ガラス張りの温室みたいな店のほうは、すぐに発見できた。10年前にこの店で夕食中、今井君の姿に気づいた元代ゼミ生がいた。

 今井を知らないらしい友人1名を相手に、彼は声をひそめて「代ゼミの英語四天王だった先生なんだぜ」と自慢げに語っていた。それに対する彼の友人の反応は、「バーカ、そんな有名人が、こんな店に来るワケないだろ!!」という冷酷なもの。「この程度の店」と決めつけられたお店が可哀そうだった。
教会2
(パンテオンの近くには、ソプラ・ミネルヴァ教会。教会前広場には目印の「象さんのオベリスク」。内部にはミケランジェロ「あがない主イエス・キリスト」がある)

 だから12月22日の今井君が探していたのは、ガラス張りの温室の「こんな店」のほうではなかった。昨日の記事に写真を掲載した、石段の上の暗がりにヒッソリ佇んでいたお店のほうである。

 疲れた足を引きずって石段をのぼり、やっとお店を発見してみると、いやはや、10年前にはあんなに感激したはずだったのに、平凡この上ないファミレスみたいなお店に過ぎなかった。

 他のお客は、ベビーカーを押した地元の若い夫婦と、70歳に近いと思われる外国人の大人しい老夫婦。この場合、「外国人」とは「イタリア人以外」ということであるが、聞き慣れないその言葉がどの国のものであるか、ちょっと判断がつかなかった。

 注文したのは、ミネストローネとピザと赤ワイン1本。最近ミネストローネに凝っている。店によって味も中身も熱さも全く違っていて面白いからだが、うーん、やっぱりこの店はイマイチ。明日からのお店に期待をかけた方がよさそうである。

1E(Cd) Lee Ritenour:WES BOUND
2E(Cd) Marc Antoine:MADRID
3E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
4E(Cd) Michael Davis:MIDNIGHT CROSSING
5E(Cd) Santana:EVOLUTION
total m95 y418 d15742