Sat 150309 ウフィツィ探訪② 国鉄大変身 フレッチャでボローニャへ(イタリア冬紀行6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 150309 ウフィツィ探訪② 国鉄大変身 フレッチャでボローニャへ(イタリア冬紀行6)

 12月20日、ウフィツィ探訪はまだまだ続いたのである。最上階の一番端っこでは、苦悩のラオコーンちゃんが相変わらず巨大なカラダをよじらせていたし、ラファエロの聖母は500年にわたって、奇跡的なほど優しい視線を幼子キリストに投げ続けている。

 弟子としてヴェロッキオの「キリストの洗礼」を手伝ったダヴィンチは、キリストのローブを捧げ持つ天使を描いて、師匠ヴェロッキオを圧倒。「衝撃を受けたヴェロッキオが、2度と絵筆を持たなかった」というのもまた、あまりにも美しい逸話である。

 師匠とは、弟子に追い抜かれるためにこそ存在する悲しい存在である。しかし諸君、それじゃあまりに悲しすぎないか。思わず器量を100%発揮して、師匠をそんな立場に追い込んでしまった若きレオナルドの気持ちはどんなものだったのか。
ラファエロ
(ラファエロどん。ウフィツィの感激は続く)

 とか、まあそんなふうで、未熟なクマ助は油断するたびに「1枚1枚丁寧に」の世界に陥っていく。気がつくと足は棒のようになり、腰のあたりももうヘトヘト。まだ旅は始まったばかりなのに、これではとてももちそうにない。

 冬の午後の太陽は早くも傾きかけ、疲労のクマ助は迷うことなく「完全に別種の行動でリフレッシュするしかない」と決めた。ならば、ボローニャあたりに小旅行を企てるのが一番いい。

 諸君、クマ蔵君ももちろん遠慮はしたのだ。ウフィツィというのは、世界中のヒトビトの憧れの場所。いったんここに足を踏み入れたら、丸1日でも2日でも立ち去るあたわず、日の暮れるのにも気づかないぐらいじゃなきゃいけないはずである。

 気がつくとフィレンツェ滞在を1週間も延長して、
「帰国してみたら、職場に自分のデスクがなくなっていた」
「私物をまとめられてしまっていた」
「しかし、それでもちっとも構わない」
「ウフィツィでの感激は何ものにも代えがたい」
と、そのぐらい底知れぬ感動で「人生を棒に振っても嘆くにあたらない」ぐらいでなければならないのだ。
フレッチャ1
(イタリア国鉄ご自慢のフレッチャ・ロッサ)

 それなのに、今井君のこの落ち着いた抑制ぶりはなんだ? 「文明とは、抑制のたゆまぬ蓄積なのだ」とは、ある高名な哲学者のコトバであるが、あまりに高度な文明人・今井クマ蔵は、ウフィツィにおいてすら抑制を忘れず、激烈な感激もしっかり抑制して、「疲れたからボローニャへ」などと澄ました顔でヌカしている。

 ホントなら、ボローニャ小旅行のことはあくまで秘密にして、
「は? そんなことするわけないじゃないですか」
「ウフィツィでの感激でヘナヘナ腰を抜かし、ホテルの部屋で眠れぬ一夜を過ごしました」
「あんなに深く大きな感動の後で、人間にまだ何かする精神力が残っているとでもおっしゃるんですか?」
と、相手を責めるような視線を向けるべきなのである。
フレッチャ2
(イタリア国鉄、こだまタイプのフレッチャ・アルジェント)

 しかし今井君は、歴史上マレにみる正直者なのである。「こっそり秘密裏にボローニャへ」などという姑息な行動は、バカ正直なワタクシには不可能。ウフィツィの後でボローニャに行ったというなら、「ハイ、すんまへん。実は行ってめえりやした」と、世間にチャンと公表せずにはいられない。

 すでに午後遅い時間であったが、クマ助はフィレンツェ中央駅に姿を現した。正式名称フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ。「何でイタリアの駅はこんなに長ったらしい名前なの?」であるが、近くにある教会の名がいちいち駅名にくっついていたりするんだから致し方ない。

 おそらくイタリア人もメンドーと思うんだろう、ふだん駅名は「フィレンツェSMN」と略称で書かれる。ヴェネツィアも、ヴェネツィアSL。正式名称ヴェネツィア・サンタルチアである。

 ナポリからソレントへの海岸を走る私鉄Circumvesuviana(ヴェスヴィオ周遊鉄道)の駅に、「San Giorgio Cavalli di Bronzo」なんてのもある。「青銅の騎士・聖ジョルジョ」というわけだが、諸君、こんな物凄い名前をつけてもらっているのに、落書きだらけの私鉄の準急も止まらない。
ビア
(駅のカウンターで一息つく)

 そのフェレンツェSMNで、あろうことか今井君はまずビールを注文。本来なら、ウフィツィでの感激のせいで4~5日は食べる物も飲む物もノドを通らないほどでなければならないのに、フィレンツェのクマ助は平気でカウンターでビールを痛飲し、そのままボローニャに向かうのである。

 ホンのひと昔前までのイタリアなら、「午後遅くからボローニャへ」などという大胆な行動は考えられなかった。列車のダイヤは常態的に乱れ、キップを買おうにも、いつ果てるとも知れぬ長蛇の列に並ばなければならなかった。

 列車の乗り降りは、いつだって「我先に」なヒトビトのおしくらまんじゅう。指定席を買っても、とっくに誰か他の人が占領していて必ずひと悶着もちあがり、そもそも指定席のあるはずの車両が連結されていなかったりした。

 ところが諸君、イタリアはこの数年ですっかり生まれ変わったのである。在来線を走るとは言え、いちおう十分に「新幹線」の名に値する高速鉄道網が完成。ミラノ・ボローニャ・フィレンツェ・ローマを結んで、200km台で走る高速鉄道があれば、そりゃ国民性だっていくらか変わるというものだ。

 驚いたことにこの高速鉄道は、さらに南のナポリを目指す。ナポリからサレルノ、サレルノからレッチェまで。いやはや、「は? そんなところまで?」であるが、イタリア国鉄はホンキである。
ボローニャ
(ボローニャ。駅もすっかり生まれ変わった)

 10年前に混沌のイタリアを旅してウンザリしちゃったオカタも、久しぶりにどうですか、イタリア? 新幹線に感激しまっせ。駅には「フレッチャクラブ」というラウンジもあって、マコトに快適である。

 「のそみ」タイプのフレッチャ・ロッサ(赤い矢)から、「こだま」タイプのフレッチャ・アルジェント(銀の矢)まで、ちょっとネーミングは恥ずかしいけれども、「各種取り揃えて皆さまのおいでをお待ち申し上げております」な感じは、昔のイタリアを知っている人には信じられないほどだ。

 ローマ・ナボナ広場近くのレストランでの「日本人ボッタクリ事件」が朝日新聞で報じられたのは、5~6年前のこと。あの頃からイタリアのイメージはググッと低下して、日本人はイタリアに行かなくなってしまった。

 その代わりに浮上したのがドイツやフランスであるけれども、いまやパリのカフェでさえ、日本人のタレントさんが「アジア人蔑視」の被害をブログで訴える世の中だ。それなら、あったかいイタリアのほうがいいんでないかい?

 というわけで、12月20日のクマ助はフレッチャ・アルジェントの指定席に収まった。ボローニャまでたった30分。座席が窮屈なのと、荷物の置き場所がなくて右往左往するのが欠点であるが、今日の今井君は手ぶらの小旅行、その辺は「カンケーネー」で済む。

 2007年春以来、ボローニャもまた7年ぶり。ホンの5時間のボローニャ散策を、目いっぱい楽しんでこようと思う。

1E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
2E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
3E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
4E(Cd) Joe Sample:SWING SWEET CAFE
5E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
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