Wed 150306 東京の桜満開をナポリで聞く ピッティ宮で地震に遭遇(イタリア冬紀行3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 150306 東京の桜満開をナポリで聞く ピッティ宮で地震に遭遇(イタリア冬紀行3)

 これを書いている時点で3月30日午後1時半。ただし今井君自身はイタリアのナポリに滞在中であって、時差の関係でナポリはいま午前6時30分。やっと朝の光が目の前の海を照らしはじめた時刻である。

 東京都心と福岡で桜が満開になったという知らせも、「間もなく復活祭」という浮き立った気分のナポリで聞いた。今年の東京の桜は見られそうにないが、ナポリにも桜は咲いている。

 もちろんナポリの桜じゃ、日本の桜みたいにテンコモリのモワモワ、「霞か雲か幻か?」というほどにはならない。ちょうど2月の田舎の梅みたいにポツリポツリ「3輪咲きました」「5輪の花が開きました」という程度であるが、それがまた可憐で美しい。
ピッティ1
(フィレンツェ、ピッティ宮)

 大学を卒業して、いよいよ入社式を2日後に控えた諸君も読んでくれているだろう。大学入学を決め、何となく脱力した状況でボンヤリ桜を眺めている諸君もいるだろう。

 みんな嬉しい時期のはずなのに、桜を眺めて泣きそうじゃなかろうか。いま思い出してみると、卒業式が終わって就職の準備をしている頃が、クマ助のこれまでの人生の中で一番悲しかった。

 「もう1年」と決意してすでにスタートを切り、9ヶ月後の目標に向かって目いっぱい真剣に受験勉強に励んでいるヒトだって、少なくないはずだ。その決意や熱意が、中年グマにはホントに羨ましいかぎりである。

 20年前なら浪人なんかごく当たり前だったし、30年前は1浪を「ひとなみ」と読み、それに「人並み」の字をあてて暢気に笑っていたものだが、さすがに21世紀の浪人生はそうもいかないだろう。諸君、スタートから全力で突っ走りたまえ。
ピッティ2
(ピッティ宮、正面図)

 日本は午後1時半、ナポリは午前6時半、そういう難しい時間帯にマコトに申し訳ないが、いま書いているのが冬のイタリア旅行記である関係上、12月19日の今井君は、午前11時のフィレンツェにいる。

 同じ記事の中で時間の流れが3つも交錯すると、ちょっとやそっとの小説愛読者では追いつけないかもしれない。読者を混乱におとしいれるといけないから、ここからはしばらくクリスマス直前のフィレンツェに集中することにする。

 まあ諸君、「12月19日」という響きに耳を傾けてくれたまえ。クリスマスイブが24日、23日はクリスマスイブイブ。そうやって指折り数えていけば、12月19日は、クリスマスイブイブイブイブイブイブだ。

 思い出してみて、「あの頃はよかったな」とウットリしてしまう人は少なくないんじゃないだろうか。大学に合格してしまって暢気に桜なんか見上げていると、あんなに熱くなって日々のノルマをこなしていた追い込みの時期の緊張感を、懐かしく思うのは当たり前だ。
アルノ河
(ポンテ・ヴェッキオからアルノ河を望む。左がウフィツィ)

 おっと、フィレンツェに集中するんだった。あの日のクマ助は、前日の深夜便から乗り継いで、フィレンツェのホテルにチェックインしたのが朝10時。すぐに荷解きを済ませてフィレンツェの街に出た。

 シニョーリア広場を横切り、明日の大半を過ごす予定のウフィツィ美術館を確認し、ポンテ・ヴェッキオをわたってピッティ宮の前に立った。イタリアルネサンス最盛期、フィレンツェの商人ピッティが建設を始め、コシモ・ディ・メディチに売却。現在に至る。

 宮殿内部は、背後にある「ボーボリ庭園」も含めてまさに広大。ラファエロを11作品収蔵する「パラティーノ美術館」を中心に、銀器博物館・陶磁器博物館や、近代美術館も並んでいる。

 中はすべて撮影禁止であって、ブログ上にラファエロ作品の写真を掲載することは出来ない。しかしまあそんなのは、美術全集を眺めてもらえば済むことであるし、「画像検索」1発で狂喜乱舞するほどのラファエロ作品がズラズラ出てくる世の中だ。何もクマ助なんかが頑張る必要はない。

 だから、あの気持ちよく晴れた日のクマ助は、「そっか、今日はクリスマスイブイブイブイブイブイブか♡」と指折り数えながら、パラティーノのラファエロを無邪気に眺めて歩いた。

 「これはブログに掲載しよう」「あれもいいな」「これもいいな」と、最近はどうもカメラのほうに注意が向いて、旨いメシを食べていても、旨い酒を飲んでいても、何となくブログのことが頭をよぎる。これがツイッターなどということになったら、いま目の前にあるものに集中できなくて困るんじゃなかろうか。
ピッティ3
(庭園側からのピッティ宮)

 パラティーノ美術館に収蔵されているラファエロは、「大公の聖母」「小椅子の聖母」など。ティツィアーノ「コンチェルト」もある。高校生のころ使っていた世界史参考書では、ティツィアーノのことが「チチアン」とゴシックで印刷されていたものだが、まあそういう思い出も今やご愛嬌だ。

 ルーベンスにカラバッジョ、日本の美術展だったら黒山の人だかりが出来るような作品群が、まさに「ジッパヒトカラゲ」の状態で、一部屋に30枚も40枚もぶら下げられている。美術館はガラガラ、どの展示室も1人か2人の人がいるだけである。

 「ジッパヒトカラゲ」を漢字で書けば「十把一絡げ」。どれもみんな同じ程度のものなんだから、いちいち特別扱いなんかしていられないという状況を指す。英語で言えばtreat … alikeであって、…の所に目的語を入れる。

 フィレンツェの人々にとってはルーベンスもカラバッジョも、ティツィアーノもフィリッポ・リッピも、等しくジッパヒトカラゲの対象。奈良や阪南の人にとっての古墳、ローマの人にとっての古代遺跡と同じことで、「ああまたか」というタメイキの対象でしかないのかもしれない。

 しかし諸君、まさにその時である。まず足許の床に軽い衝撃が走った。いわゆる「縦揺れ」であり、「P波」であって、地震の国に住むわれわれ日本人にとっては「お、地震だ」と身構える一瞬である。

 続いて、少し大きめの横揺れがきた。要するに「S波」、これもまた日本人にとっては「きたか&きたか」の対象。すでに最初の縦揺れで地震の大きさを判断しているから、特に驚くほどのこともない。
ピッティ4
(ボーボリ庭園からピッティ宮を望む)

 しかしイタリアの人にとって、地震はそれほどの日常茶飯事ではないらしい。係員のオバサマは、すぐに今井君のところに寄ってきて、不安な眼差しで「なんだったんでしょうかね」「近くで鉄道の工事をやってますから、そのせいかもしれませんね」と、不安げにその場を離れていった。

 お昼前の静寂に包まれた美術館の中で、ジッパヒトカラゲにされた大家の肖像画に囲まれてクマ助は立ち尽くしていた。豪華なシャンデリアのガラスがまだ細かく震え、互いにぶつかってはカチカチ固い音を立てていた。

 「震度3か、まあそれより少し弱いぐらいだったな」という地震だったが、肖像画に描かれた400年も500年前のオジサマやオバサマも、口々に今の地震へのオドロキと軽い恐怖を語り合っている様子である。

「おお、コワかった」
「この数十年、こんなの経験してないね」
「もっと揺れて、部屋の中に散乱してゴチャゴチャ積み重なるのはイヤですな」
「クワバラ&クワバラ」
と、彼ら彼女らが語るうちに、やがて展示室は数百年の時空を超えた深い哄笑に包まれていくのだった。

1E(Cd) Tomomi Nishimoto:TCHAIKOVSKY/THE NUTCRACKER(2)
2E(Cd) Pešek & Czech:SCRIABIN/LE POÈME DE L’EXTASE + PIANO CONCERTO
3E(Cd) Ashkenazy(p) Maazel & London:SCRIABIN/PROMETHEUS + PIANO CONCERTO
4E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 1/3
5E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 2/3
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