Sun 150215 「オジャン」とは何か 撮り鉄に負けない 標茶の90分をホッコリ過ごす | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150215 「オジャン」とは何か 撮り鉄に負けない 標茶の90分をホッコリ過ごす

 3月6日午前11時半、豚丼と雪見ラーメンを満喫して「ぽっぽ亭」を出た獰猛クマ助は(スミマセン、昨日の続きです)、「なんにもすることがない」という現実に、しばし茫然と佇むしかなかった。

 美しい霧の摩周湖はすぐそばに存在するが、クルマで30分の距離。幻のような美しさに魅せられて湖に接近すれば、その段階で今夜の釧路でのお仕事は完全にオジャンになる。

 すると諸君、勉強好きな今井君は、そもそも「オジャン」ってどんな意味なのか、語源は何なのか、そういうことを調べずにはいられない。昔なら国語辞典に語源辞典に百科事典、書棚のホコリにまみれて調べるところだが、今やグーグル先生がいらっしゃる。

 語源としては、「江戸時代の半鐘の音」が有力。火事とケンカは江戸の花、その火事が鎮火したときに半鐘が「ジャンジャン」「ジャンジャン」と連打される。せっかくの江戸の花があえなくオシマイになっちゃうから「オジャン」。「火事が終わっちゃって、ガッカリ」という江戸っ子の気持ちを示すわけだ。
蒸気1
(白い雪原の中、蒸気機関車が接近。昭和のNHK「新日本紀行」冒頭を思わせる光景である)

 ところが、グーグル先生もなかなか気難しい。「そうじゃない」「そんなのは俗説だ」と頑張るセンセもいらっしゃる。そこで持ち出されるのが、動詞「じゃみる」である。

 マ行上一段活用の動詞であって、その活用は「じゃみず・じゃみたり・じゃみる・じゃみる時・じゃみれば・じゃみよ」。確かに古語辞典では「物事が途中にダメになること」とあって、「オジャンになる」はもともと「おジャミになる」だったというのである。

 いやはや、コムズカシイでござる。しかし諸君、語源がどうあれ、とにかく今ここで幻の摩周湖なんかに魅入られたら、夕暮れ18時半からのお仕事がオジャンないしオジャミになるので、今井君は厳しい表情で、自らに語りかけた。

「いいかクマ助。美しいものにフラフラ魅せられていくようではダメだ」
「人が「魅せられて」と言う時は、必ず先に『南に向いてる窓をあけ』『一人で見ている海の色』と歌いあげなきゃイケナイんだ(スミマセン、昭和歌謡史から『ジュディオング』をヒモトイてください)」
「スケスケ衣装の裏側からライトを当てて、大きく両腕を広げてみせなきゃイケナイんだ(スミマセン、YouTubeで『ジュディオング』を検索してください)」
蒸気2
(蒸気機関車はいよいよ標茶駅構内へ)

 こうした地道な語りかけの努力が実って、3月6日の今井君は摩周湖の魅惑から無事に逃れることができた。やれやれ、この世は恐ろしい。あんなに賢いオデュッセウスだって、トロイからの帰り道、イヤになるほど多種多様な魅惑から逃れられなかった。

 オウチに帰るのに、10年。諸君、10年でございますよ。ちょっと世界地図をとりだして、トルコのエーゲ海岸からギリシャのイサカまで、ホントに10年かかるかどうか考えてみてくださいまし。誰が考えたって、この世のありとあらゆる魅惑やら蠱惑やらに、10年延々とかかずらあっていたとしか考えられない。

 ま、いっか。クマ助は無事にスゴスゴ帰り道をたどることにした。摩周から、とっとと帰りマシュウ。ラーメンと豚丼を満喫しただけで、素直に釧路に戻りマシュウ。そういうわけである。
蒸気3
(跨線橋から、SL大接近を激写する)

 摩周駅の待合室で一緒だったのは、2~3歳の男児を連れた若い母親。これから男児は初めての列車の旅で、釧路のジージ&バーバに会いにいくんだそうだ。

 あと、可愛い男児に目をつけた65歳ぐらいの「知らないオバサン」。男児はなかなか知らないオバサンに笑顔を見せないが、オバサンのほうはもう夢中であって、キャンディをあげたり、手をつないで一緒に跨線橋を渡ろうとしたり、すっかりデレデレの様子であった。

 12時00分。釧路方面の上り「快速しれとこ」は定刻で到着。一面真っ白な雪の原を、首を振りつつあえぎあえぎ接近してくる1両のディーゼルカー。何とも懐かしい光景である。

 列車は25分ほど雪原を走って、標茶の駅に到着。このまま釧路まで帰ってもいいのだが、今井君はここでいったん下車して、14時発の「SL湿原号」を待つことにする。

 もちろんMac君によれば「失言号」であって、うっかり失言して進退きわまるヒトは、歴代の内閣の中にも、むかしむかしの佐々木ゼミ講師にも、それなりに存在した。それにしても「失言号」、諸君も想像してみたまえ。言いたい放題な何ともヤカマシイ暴走列車であって、ちょっと乗ってみたい気もするじゃないか。
蒸気4
(標茶駅に到着した蒸気機関車 1)

 昼の標茶は、「乗り鉄」「撮り鉄」の皆さんにすっかり占拠された感じ。かく言う今井君は「乗り鉄かもしれないが、撮り鉄ではない」という難しい生き物だ。それでも跨線橋上の絶好の位置を占め、南から接近してくる蒸気機関車を見事に連写したのである。

 この写真の腕は、まさに「どんなもんだい!?」。安く見積もっても30万円は下らない高級カメラを構えるヒトビトの中で、クマ助のカメラはマコトにお恥ずかしい「コンパクト」。しかし「三脚」なんてのを広げて悪戦苦闘しているオジサマより、撮れた写真はずっと迫真力があるんじゃないかね。

 釧路から標茶まで来たこの下りSLが、この標茶で折り返しになって、14時から釧路失言(諸君、もちろん正確には「釧路湿原」である)を南下する。今井君が乗り込む予定なのは、その折り返し列車である。

 すると、この標茶の町で1時間半を何とか生き抜かなければならない。90分とは予備校の授業1本分であって、チャイムからチャイムまでのあの長い長い時間が、いま今井君の目の前に横たわっている。
接近
(標茶駅に到着した蒸気機関車 2)

 見つけたのは、地域のヒトビトのNPOでやっているカフェ。かつて地域の中心だったらしい婦人洋品店の建物を改装して、高校の文化祭の模擬店みたいなものをやっている。

 だからまだ建物の中には、化粧品販売コーナーもあるし、バーチャンたち向きの洋服やボーシも売っている。カフェコーナーでは、手打ちそばやカレーや蕎麦&うどんも出す。

 地域のバーチャンたちがボランティアで働いていて、お客の多くも地域のバーチャン。要するに「バーチャンたちのたまり場」という和やかで微笑ましい雰囲気であるが、その和みの中に乗り鉄チャンと撮り鉄クンが大量に闖入した図である。

 もちろん、乗り鉄チャンも撮り鉄クンも、相当な年齢の人が多い。「地元のバーチャン」が平均75歳な感じ。鉄の諸君は、平均60歳というところか。おやおや、日本の高齢化をマザマザと目の当たりにする午後であった。

 今井君が注文したのは、コーヒー。昔の北海道の人は、コーヒーの「コ」のアクセントを置いて発音した。日本語のコーヒーは「ヒ」にアクセントがあるが、「コ」にアクセントの北海道コトバのほうが、英語としては正確じゃんか。

 コーヒー200円。紅茶100円。何で2倍の違いがあるのか分からないが、これも「まあいいじゃんか」である。この店にも、勝手がつかめずに困っている中国人カップルが1組。それを助けようと、懸命にお茶を次いであげている女子が1名。マコトにホッコリ暖かい道東の午後なのであった。

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3
2E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:RAVEL/DAPHNIS ET CHLOÉ
3E(Rc) Solti & London:HAYDN/SYMPHONY No.101 & 96
4E(Rc) Collegium Aureum:VIVALDI/チェロ協奏曲集
5E(Rc) Corboz & Lausanne:VIVALDI/GLOLIA・ KYRIE・CREDO
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