Fri 150123 エグ・モルトの城塞を1周 塩漬けのブルゴーニュ人(夏マルセイユ滞在記32) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 150123 エグ・モルトの城塞を1周 塩漬けのブルゴーニュ人(夏マルセイユ滞在記32)

 思い出したように、1週間に1回、ないし10日に1回、ポツリポツリと続けられる「夏マルセイユ滞在記」。前回は2月2日、「死んだ水=エグ・モルトの町にクマ到着」の模様を書いた。

 こんなに不承不承にしか進まない旅行記では、読まされるほうもさぞ迷惑だろうが、まあ許していただきたい。ブログとして何より優先しなければならないのは「日々の記録」「身辺雑記」らしくて、そういうところをチャンとしないと、忙しい人々から「何のブログだかわからない」と文句を言われてしまう。
エグモルト1
(エグ・モルト、中世のコンスタンス塔とカマルグ観光船)

 というわけで諸君、2014年9月10日、マルセイユ滞在12日目のクマ蔵は、ニームから完全ジモティなローカル電車に乗り継いで、お昼前の眠たげな湿原の町に到着した。盲腸線の終着駅、行き止まりの線路を覆う夏草の光景は、2月2日の記事を参照してくれたまえ。まさに「夏草やツワモノどもが夢のあと」な風景であった。

 海なのか、陸なのか。ローヌ河口の大湿原(カマルグ)の西の果ての町は、13世紀の夢の中に今も深く沈んでいる。ドロリと澱んだ水も空気も、「南フランス」とか「プロヴァンス」とか、燦々と降り注ぐ夏の陽光のイメージからはおよそ懸け離れている。

 ここはプロヴァンスの西の果てであって、イタリアのリヴィエラから、☞ コートダジュール ☞ プロヴァンスと続いた花やかな高級リゾートが、とうとうここでホントに終点になる。もうその向こうはスペインであり、海岸はイベリアの猛々しい赤土にかわる。

 ピンクのフラミンゴが飛び交うローヌの河口に、13世紀初頭、フランス王ルイ9世が、ほぼ長方形の城塞に囲まれた都市を建設した。「聖王ルイ」の別称をもつ名君である。町の港は地中海への貴重な出口となり、1248年、十字軍遠征の大艦隊がここから出航している。

 十字軍は、1270年にもこの港から出航する。考えてみれば、元の大軍が九州に押し寄せたのもほぼ同時期。13世紀とは、西洋でも東洋でも海軍大遠征時代の幕開けの世紀だったのだ。
エグモルト2
(エグ・モルトの城門)

 15世紀になって泥沼の「百年戦争」が始まると、1424年、この城塞都市に裏切り者マルピュが出現。ブルゴーニュからの侵略者を城塞に引き入れて、町を彼らに売り渡す。

 城塞都市は、その城塞が堅固であればあるほど、いったん敵に侵略されると味方の援護を受けにくい。フランスの救援軍はあまりに堅固な城塞を攻めあぐみ、侵略者ブルゴーニュを打ち破るのに数年を要した。

 シャルル7世による救援軍がついに城塞を破って町になだれ込むと、町は元通りフランス側へ。ただし、今度は殺戮されたブルゴーニュ軍団の死骸が町を埋め尽くし、まもなく耐えがたい死臭で息もできないほどになってしまった。

 そこで諸君、さすが肉食の国民性だ。四角い城塞の四隅を守る塔のうちの一つに、無数の死骸をどんどん投げ込んで、それで処理が済んだことにしちゃった。

 塔はもちろん死骸で満杯になったけれども、考えてみると死臭というものは、塔にギューギュー詰め込んでも、ホンの少しのスキマがあれば、容赦なく外に漏れだしてくる。
エグモルト3
(長方形の城壁の上を一周する)

 そのとき活躍したのが、塩。近くの大湿原地帯は、地中海の海水が南の太陽で熱々に熱せられて煮詰まっちゃうので、素晴らしい塩田になっている。今でも塔の上からは巨大な真っ白い塩の山が見えている。

 この塩を、例の塔にたっぷりとぶちまけた。「腐敗防止」ということであって、ハムやソーセージを作ろうと思ったら似たようなことをするのである。エグ・モルトの町は塩のおかげで濃厚な死臭から救われた。

 何だか異様に残酷な物語ではあるが、ま、600年も前のことだ。少なくともフランスではすっかり笑い話になって、「塩漬けのブルゴーニュ人」という歌まで出来たという。

 どんな歌詞なのか。どんな節回しで歌われたのか。知りたくなってグーグル先生の門をたたいてみたが、うにゃにゃ、滅多なことでは見つからない。「塩漬けのイワシを重ねて乾燥させたもの」とか「塩漬けの豚肉」とか、そういうのしか出てこない。

 しかし例え600年も以前のことであろうと、何だかきわめて不謹慎な感じがして、それ以上の検索を諦めた。9月10日のクマ助は、13世紀に完成した長方形の城塞に上り、細い通路の上をグルリと一周したから、その「塩漬けの塔」の間近も通ったことになる。
カマルグ1
(城壁の上から、中世の町並みと遠くの塩田の塩の山を望む)

 どの塔がそれなのか、説明はどこにもないから、笑い話にして歌にも歌っちゃった現地の人々も、いまだに少し後ろめたさを感じているのかもしれない。

 城壁の上からは、大湿原地帯の沼地が赤く染まって見えるが、これは別に600年前の兵士たちの血が滲みだしたというワケではなくて、大量の微生物が発生しているのである。

 中世の港湾都市として栄えたエグ・モルトだが、ローヌ河が運んでくる堆積物のために、やがて港は浅瀬にかわり、草ボーボーの湿原に成り果て、港としての使用は不可能になった。水は死に、町は15世紀の姿のまま城壁に囲まれて孤立した。

 だから、町の名が最初からエグ・モルト=「死んだ水」だった訳ではない。もともとの名は、これまたグーグル先生に頼ってみたが分からずじまい。意外にグーグル先生も頼りにならないじゃないか。こりゃ一度、久しぶりに図書館にでも籠って、カビ臭い文献をめくってみるしかないでござるね。
カマルグ2
(薄赤く染まった湿原の水と、その向こうの塩の山・拡大図)

 町をめぐる観光船も存在する。微生物のせいでピンクや赤や薄紫に染まった不気味なカマルグの水をかき分け、船は3時間ほどかけて町の外縁の水路を一周する。

 マコトに残念なことに、次のお船の出航は午後3時。なんと諸君、1日に3回しか船は出ないのである。午後3時なんかに出て、返ってくるのが午後6時じゃ、この町に宿泊するしかなくなってしまう。何しろニームまで帰る最終バスが4時発なのだ。

 もちろん、エグ・モルト宿泊もヤブサカではない。見れば、城門を入ってすぐ、サン・ルイ広場の手前に「サン・ルイ」という名の小綺麗なプチホテルもあるし、もう少し奥に入ると隠れ家風の高級ホテルが1軒見つかった。

 しかし諸君、何もそんなに頑張ってまで、赤く染まった不気味なトロトロ水をかき分けていかなくともよさそうだ。丁寧に誘ってくれる観光会社の青年に、「ちょっと考えてみます」と頭を下げ、要するに「お船はケッコーです」と冷たく断ってしまったクマ助であった。

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13A(γ) A TREASURY OF WORLD LITERATURE 25:Jules Vallès:中央公論社
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