Sun 150104 橋本でお仕事 橋本スミ子など ☞ 様々な橋本の思ひ出 俵センセと田原町 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150104 橋本でお仕事 橋本スミ子など ☞ 様々な橋本の思ひ出 俵センセと田原町

 1月27日、今井君は神奈川県の「橋本」という街で夕方からお仕事。もうずいぶん長い間人生をやっているが、橋本を訪れるのはこれが初めてである。新宿から京王線に乗ると、「急行・橋本ゆき」をしょっちゅう目撃することになるが、ではそのしょっちゅう見かける「橋本」を実際に訪ねることがあるかといえば、それは全く別問題である。

 「南栗橋」「中央林間」「小手指」、関西なら「新開地」みたいな終着駅は、その場所があることは熟知していても、なかなか「その駅で降りる」ということにはならない。終着駅とは一種の現象みたいなものであって、具体的な形やニオイや手触りのある街として認識されることはマレなのである。

 21世紀の標準的日本人が「ハシモト」という発音を耳にすれば、まあ例の大阪のオカタの顔が浮かぶのが一般的。ただし今井君というクマさんは「標準」から甚だ懸け離れた生物であって、「ハシモト」で連想するのは以下の5者である。
橋本駅
(橋本にやってきた)

 はるかな昔、バイト気分で校舎長をやっていた埼玉県の塾で、第1の橋本君に出会った。北海道出身、立教大学文学部の3年生。探検部に所属していて、スキーの名人。連れ立って山形蔵王までスキーに出かけたこともある。

 担当は国語。中学生の国語に飽き足らず、「校舎長、高3の現代文もやらせてください」と直訴してくるツワモノであった。小さな塾だから「高3現代文」と言っても1クラス4~5名しかいない。学部生に高3を担当してもらうのは躊躇ったが、他に適任者がいなかったので、思い切って任せてみた。

 橋本君は浪人生時代に駿台予備校に通っていたらしい。何しろ20世紀の駿台現代文は「記号読解」という驚きのシステムをとっていたから、橋本君の現代文もやっぱり記号読解。文章の中にAとかBとか、A’とかB’とか、たくさんの記号を書き込んで、まるで数学みたいに文章を読み取る、よく分からない方式である。藤田修一師というロマンスグレーなカッコいいセンセが開発した。

 でもまあ、橋本君はなかなかの人気者であった。記号読解の評判はともかく、何しろ彼は探検部だ。日本のスミズミや世界各地で珍道中を繰り返しただけあって、雑談はなかなか面白い。日焼けした笑顔、小柄な肉体のキビキビした動き、校舎長としても「任せてよかった」と実感する授業だった。

 宴会での彼の得意技が「シンクロナイズドスイミング」。エア・ギターならぬ、エア・シンクロは、宴会のクライマックスに相応しかったし、受験生を送り出す前夜の壮行会でも、目玉の1つになった。
橋本
(橋本の大盛況)

 第2の「橋本」は、石坂洋次郎の小説「若い人」の登場人物・橋本スミ子。ミッションスクールで地理と歴史を教える教師である。舞台は昭和10年ごろの港町。「おそらく函館がモデル」と言われている。

 何しろ大昔の小説だ。石坂洋次郎は、かつて一世を風靡した作家であって、昭和のころは新潮文庫で20冊も出てたんじゃないかね。今や彼を知っている若者はググッと少数派になっちゃってるだろうけれども、昭和20年代から30年代に高校生だったヒトビトにとっては、押しも押されもせぬ大流行作家だったらしい。

 その彼の代表作が「若い人」。橋本スミ子先生が勤めている女子校に、25歳の男性教師・間崎慎太郎が赴任してくる。担当教科は、国語。ところがこの学校にはお決まりの「エキセントリックな」美しい女子生徒がいて、間崎センセの心は、橋本スミ子とこの生徒の間で揺れ動くことになる。

 これ以上は書いていて恥ずかしいから、諸君、ググってくれたまえ。女子校での男女のスッタモンダは、日本人のお好みであるらしくて、調べてみたら映画化が4回、テレビドラマ化も4回。女子生徒「江波恵子」は、むかしむかしの若者たち(今の受験生のジーチャン&バーチャン世代)の憧れの名前になった。

 以来、おんなじようなスッタモンダ小説が日本に溢れ、女子生徒はみんな「エキセントリック」で、センセは必ずどこかから「赴任」してくる。これはもうカンペキに定番といってよくて、日本の小説の世界は「よくもまあエキセントリックな女子生徒だらけになったもんだ」と、唖然とするほどである。

 小説の中の女教師にも定番が発生。橋本スミ子に倣って必ず「きわめて知的」ということになってしまった。こっそりマルクスの読書会を開いて、それが特高警察にバレてしまい「アカ」として連行される。いやはや、やっぱりこれ以上は、諸君がググってくれたまえ。

 ただし、「橋本スミ子」だと思っていたのはクマ助の記憶違いかもしれない。調べてみると、「子」が抜けて「橋本スミ」になっている。うーん、オウチにあった日本文学全集で読んだのは、何しろ中2の時。はるかな昔であるから、そりゃ記憶も定かではない。
東京タワー
(1月28日、快晴の東京タワー。大阪へ移動の途中で)

 第3の橋本は、俵万智センセの短歌集「サラダ記念日」。1987年、300万部近くが売れた大ベストセラーであるが、表題のモトになった
 「この味がいいね」と君が言ったから
  七月六日はサラダ記念日
はあまりにも有名でござるね。

 ついでに話題になったのが
   万智ちゃんを「先生」と呼ぶ子らがいて
   神奈川県立橋本高校
である。俵センセは橋本高校で国語を教えていらっしゃったのですな。

 その橋本に、とうとう生まれて初めてやってきた。この辺のハナシは、今井君世代のオトナならみんな熟知していることだが、さすがにもう30年近くが経過して、「万智ちゃん」というわけにもいかなくなったかもしれない。

 Mac君も彼女のことを知らないらしくて、いくらがんばって「タワラマチ」と入力しても、変換は「田原町」。次の候補が「俵町」。いやはや、歳月の流れるのは速い。歳月はヒトを待つものかい? 「しばし、かのこと果てて」とか逃げ腰になってないで、早く出家しちゃいなさい。おっとこれは吉田兼好どんだ。
スープ
(羽田空港ダイアモンドラウンジで。今月のスープはマコトに旨いクラムチャウダーである)

 第4&第5の橋本もあって、むかしジャイアンツの中継ぎエースとして大活躍した橋本投手を忘れてはいけない。「サラダ記念日」が出た1987年、橋本清はピッチャーとしてPL学園の甲子園春夏連覇に貢献する。

 ジャイアンツ入りして、1993年 ☞ 94年ごろには中継ぎエースに成長。橋本から抑えのエース石毛に繋ぐリレーを、「メークミラクル」の頃の長嶋監督が「勝利の方程式」と命名した。

 しかし諸君、ピッチャー橋本の勇姿は、当時なんとなく「臼」を思わせた。「臼っぽいよね」「うーん、あの存在感は、やっぱり臼だね」だったのである。サルカニ合戦で傲慢不遜なサルを見事に懲らしめた立役者が、臼。堂々としたマウンドさばきには、まさに臼っぽい充実した迫力があった。

 ちょっとちょっとクマどん、橋本龍太郎を忘れちゃダメざんしょ。1994年、橋本清がマウンドで大活躍したちょうどそのころ、村山富市内閣で通商産業大臣に就任。1996年、内閣総理大臣。もちろん、こんなエラいオカタについて、今さらクマ助なんかが言及する必要は皆無だろう。
フルーツ
(大阪梅田のインターコンチネンタルホテルに到着。サービスのフルーツも旨そうだ)

 こうして、ただ単に「京王線の終点・橋本にやってきた」というだけで、今井君の頭脳は20世紀を端から端まで駆け抜ける。マコトに忙しい。

 橋本でのお仕事は、19時半から21時まで。出席者、約150名。若干おとなしめの生徒諸君が多かったけれども、「爆笑の連続 ☞ 酸欠状態」という定番を今晩もまた確保して、滞りなく終了した。

 外は冷たい雨が降り始め、「早朝には雪になる」という天気予報も当たった。「首都圏でのお仕事の後は、公式な祝勝会はナシ」が原則であるが、今日は例外として、会場すぐそばのキレイな中華料理店で23時近くまで歓談した。

 ビリビリ辛い中華料理の数々、おいしゅーございました。橋本の先生方の中に「むかしエクシブ系ホテルのフランス料理屋を担当していました」というオカタがいらっしゃって、おいしい赤ワインをセレクトしてくれた。そういうワインだから当然だけれども、マコトにおいしゅーございました。

 帰りは23時。橋本始発の「区間急行」に乗って、オウチには24時すぎに到着。まるまる1時間かかったけれども、こういう楽しい祝勝会の後は、1時間ぐらいの電車の旅もちっとも苦にならないものである。

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