Sun 141109 黄色い一日にしたい まず春日部ラホールへ 黄色い銀座線で神宮外苑へ  | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 141109 黄色い一日にしたい まず春日部ラホールへ 黄色い銀座線で神宮外苑へ 

 12月2日、2014年もとうとう残り1ヶ月になってしまったことだし、故・菅原文太についてもタップリ書きまくった後は、「よし、忘れないうちに今年もすべきことをキチンとやってこよう」と思い立って、0時半、オウチを出て地下鉄千代田線に乗り込んだ。

 「すべきこと」とは、「黄色い一日」である。「は?何ですって? 黄色い一日とは、何ぞや?」であるが、まず向かった先はカレー屋である。初冬の一日を鮮やかな黄色に彩るには、①カレー屋、②銀座線、③神宮外苑と、ニオイまで黄色く染め上げていかなければならない。

 カレー屋にもこだわりがあって、そんじょそこらのカレーでは、心は黄色く染まらない。向かった先は、もちろん埼玉県春日部。もう30年間食べ続けている「ラホール」の「ジャンボハンバーグ・インドカレーの辛口」を貪らないと、2014年の黄色い締めくくりにならないのである。

 千代田線で40分、北千住に到着する。ここで日光ゆきの特急「スペーシア・きぬ」に乗り換える。「きぬ」とは、もちろん鬼怒川のことであって、万が一口を開けて眠りこけてしまえば、列車は鬼怒川をどこまでも溯って、日光東照宮まで北上してしまう。
いてふ1
(神宮外苑。秩父宮ラグビー場のあたりは、真っ黄色に染まっていた)

 最近何かのハズミで、家永三郎の岩波新書「日本文化史」を書棚の奥から発見。トイレで夢中になって読んでいるのだが、いやはや昭和30年代の日本の知識人の舌鋒にはマコトに鋭いものがある。日光東照宮についてはヒトコト「愚劣」と切り捨てられ、陰陽道も「意気地のない無力感に満たされた迷信」「消極的な厄よけ」と一蹴されてしまう。

 しかしこの本が書かれたのは、半世紀以上も前の1959年。著者・家永三郎自身が日本文化史の一部分と化している。文化史が書いた文化史、実はこういう読書こそ面白いので、戦前の歴史教育に対する彼の強烈な嫌悪を1行1行感じながら読み進むと、トイレに座っていることさえふと忘れてしまうほどである。
カレー
(春日部ラホール、ジャンボハンバーグとインドカレー辛口)

 20分ほどの乗車で春日部に到着。爆弾低気圧がオホーツク海で急速に発達し、今日の北海道や東北は暴風雪になっている。こういう日の北関東は、北西の「からっ風」にさらされ、山を超えて流れてくる千切れ雲から斜めに陽が射すと、マコトに冬ざれた寂しい気持ちになるものである。

 駅からカレー屋「ラホール」までは徒歩7~8分であるが、ちょっと脇道に入ると、もう人影がパッタリと途絶えてしまう。「冬ざれた気分」はますます冬ざれて、人っ子ひとり見当たらない裏道にボリュームを最大にしたラジオの音が響きわたるアリサマは、ブエノスアイレスやサンパウロの裏町を髣髴とさせるほどである。

 春日部の街の隆盛のピークは、もう30年近く溯るのではないか。バブル景気の真っただ中、40歳代前半のエネルギッシュな壮年のヒトビトが、大挙してこのあたりに移り住んだ。
 都市銀行の支店長とか、上場企業の部長代理ぐらいに昇進して、夫婦ともに意気軒昂。息子は15歳、娘が13歳、兄も妹も有名高校を目指して、親としても塾にたくさんのオカネを費やしただろう。

 だからあの頃の春日部は、そこいら中のテナントビルを塾が占拠した。5階建て、250坪もあるビルを一棟借りして、1号館・2号館・3号館、ズラリと巨大な看板を掲げていたし、それだけでは足りなくて、焼き鳥屋の2階や3階、不動産屋の2階、そういう雑居ビルのベランダにも中学生がスズナリになっていたものだった。
銀座線
(真っ黄色の地下鉄銀座線)

 しかし諸君、30年も経過すれば、街の様子はガラリと変わる。かつて意気軒昂だった40歳代夫妻はすでに年齢70歳に達している。息子も娘もとっくに独立して、今度は東京湾岸あたりのマンションでスズナリになっている。

 旦那はとっくに定年退職。することがないから、朝から晩までテレビ漬けで、ニュースショーにツイッターで書き込みをするぐらいが暇つぶし。奥方は1週間に1度イトーヨーカドーの地下かシマムラでお買い物に励み、公民館のカルチャー教室通いが楽しみという状況に至っている。

 中学生対象の塾は次第に規模縮小して、一棟借りも止め、雑居ビルからも撤退が相次いで、いやはや、春日部の街自体が40歳から70歳へと高齢化した感覚。三越ギフトショップも撤退、メガネのチェーン店も撤退。冷たい北風が身にしみる道路の脇に、誰も顧みない清涼飲料水の自動販売機が5台、茫然と立ち尽くしている。
いてふ2
(神宮外苑のイテフ)

 その向こうに「ラホール」が見える。質屋の大きな看板があって、その下に「かつカレー専門店 ラホール」の文字。「かつカレー専門」では全くないので、この看板は明らかに何かの間違いなのだが、おそらく「メンドーなのでそのままにしてあります」「看板なんかどーでもいいんで」ということである。

 この店に通いはじめて30年。今井君は必ず「ジャンボハンバーグ インドカレーの辛口で」である。「どのぐらいジャンボか」は実際に目の当たりにしないとわからない。とりあえずは写真でトマト一切れと比較してくれたまえ。このジャンボなヤツを、注文を受けてから店主自らコネ上げてくれるのである。

 「辛口」についても、どのぐらいの辛口かは食べてみないとわからない。この上にさらに「極辛」「極々辛」があって、10年ほど前からは「激辛」やさらにその上の辛さが加わった。

 そのぶん「辛口」の辛さはソフトになったようであるが、インドカレー独特のサラサラカレーが今井君は大好き。1年に1度コイツを食べなくては、「チャンと1年を過ごした」という実感が湧かないのである。

 カレーを満喫した後は、駅前の「カフェ・ド・ラペ」で時間を潰す。諸君、「カフェ・ド・ラペ」とは、パリのオペラ・ガルニエ脇で140年も前から営業を続けるウルトラ有名店である。臆病な日本人だと、入店する服装にも神経質になるらしい。そういう超有名店と同じ名を名乗り、この春日部西口で堂々と半世紀近く営業を続けている。

 今井君は別に「常連」というわけではないが、昨年も一昨年も年末にはパリにいて、ホンモノの「カフェ・ド・ラペ」の入っているホテルに宿泊した。ま、別に威張るわけではあるが、だからこの名前には若干のこだわりがある。

 では何でこの店で「時間を潰す」必要があったのかと言えば、贅沢きわまりない今井君が「春日部から特急に乗って浅草へ」という欲望を抑えきれなかったからで、別に春日部のカフェドラペに用事があったわけではない。

 15時40分、日光からはるばるやってきた特急「きぬ」に乗り込み、温泉から帰ってきた温泉臭いオバサマ軍団とともに、ひたすらふんぞり返って浅草を目指した。
ねぎ
(新宿「魚民」で「めっちゃ旨いネギ」を食す。翌日の午後になっても、クマ君は目いっぱいネギくさい)

 浅草からは「何でこんなに黄色いの?」と絶句するほど黄色い銀座線に乗り、神宮外苑の黄色い銀杏並木を散策して、黄色い一日の締めくくりとすることにした。

 ただし、神宮に到着したのはもう夕暮れ5時を過ぎている。早い初冬の陽はもうトップリと暮れて、真っ黄色に染まっているはずのイチョウの樹々が、ちっとも真っ黄色に見えてくれないのである。

 カレーでお腹も真っ黄色、古色蒼然とした銀座線を眺めて気持ちも真っ黄色。後はイテフの落ち葉を眺めてお目目も心も真っ黄色になるだけだったが、マコトに残念なことに、真っ黄色なのは落ち葉の絨毯でフカフカしている歩道の上だけなのであった。

 確かこの道は、落ちた銀杏の強烈なニオイのせいで、「お鼻の中まで真っ黄色」な気分になるはずだったが、きっとボランティアの皆さんが銀杏の実もみんなキレイに片付けてしまったらしい。銀杏のニオイさえ、全く残っていないのだった。

 仕方がないので、「今夜の締めくくりは居酒屋で」と決めた。もちろん居酒屋に贅沢な注文をつけるとキリがないから、今日は東武線の特急でタップリ贅沢をしたことだし、新宿西口「魚民」でガマンすることにした。

 ネギだらけのツマミをつまみ、ホット烏龍茶割りで焼酎をボトル1本飲み干して、何となく目の前が黄色に染まってきたところでオヒラキ。大満足のムダな1日は、こうしてしっかり幕を閉じたのである。

1E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3
2E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3
3E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 1/3
4E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 2/3
5E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 3/3
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