Sat 141108 「獅子の時代」と「ナジョする!?」 札幌の午後も大盛況 シュラスコで満腹
高倉健の後を追うように菅原文太まで亡くなっては、昭和世代のオジサマやオバサマが、「昭和が消えていく」と声を揃えて涙を拭うのも当然である。
むかしの今井君は臆病なコグマであったから、「仁義なき戦い」にも「トラック野郎」にも全く縁のないまま、マコトに大人しく育ってしまった。あれほど無鉄砲に銃をぶっ放してばかりいたんじゃ、コドモ時代の気難しい今井君のテイストに合うはずがなかったのである。
「無鉄砲」という文字を見ると、「おやおや、鉄砲も無しに戦場を突っ走るとは、ムテッポウですな」という意味かと勘違いするが、本来は「無点法」であって、「難しい漢文に句点もつけずに挑戦する」という態度をムテッポウと表現したのである。
ま、そんなことはどうでもいいとして、菅原文太主演「仁義なき戦い」の公開は1973年。21世紀の我々には、躊躇なしに激しく銃をぶっ放しつづける映像は異様に見える。
しかし映画公開の30年前まで、日本は徴兵制と戦争の真っただ中であって、20歳を過ぎた男子はほぼ全員、上官が「撃てーっ」と命じさえすれば、「人間を標的に引き金を引く」ことを拒絶することは出来なかったのである。
徴兵制度の下、戦場で日常的に銃を扱っていた日本の20歳代男子が、それから30年経過して50歳を過ぎ、日比谷や梅田や天神の映画館で「仁義なき戦い」に見入ったとする。
画面を派手に銃弾が飛び交い、館内を銃声が満たしたとき、果たして観客としてどう感じたか。そのあたりはたいへん難しい問題なので、ブログなんかで軽率に触れられる話ではない。若い諸君にも是非じっくり考えてもらいたいと思う。
![困民党](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/11/67/j/o0400030013148645374.jpg?caw=800)
今井君は世代的に完全に遅れを取っていて、そういう映画の話題には全くついていけない。だから菅原文太と言えば、何と言っても1980年の大河ドラマ「獅子の時代」なのである。
信長に家康、光秀に秀吉、謙信に信玄。大河ドラマとは、そういうウルトラ♨戦国武将がファーストネームで語りあい&罵りあう異様な世界であるが、「獅子の時代」はそれとはハッキリ異質なドラマであった。
何しろ脚本が山田太一、音楽が宇崎竜童とダウンタウンブギウギバンド。時代は19世紀半ばから後半であって、パリ万博・会津戦争・函館戦争・自由民権運動と続き、ラストシーンは秩父事件である。「自由自治元年」の旗を掲げた菅原文太が、圧倒的優位にたつ政府軍兵士の群れに突撃を試みるスロー画像に、「完」の文字が重なった。
![午後の部](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/c5/54/j/o0400030013148645653.jpg?caw=800)
(11月24日、札幌♡午後の部も超満員であった)
普仏戦争直後の1871年、パリの街にプロレタリアート独裁を掲げる市民政府が誕生する。詳しくは世界史の教科書を読み直してくれたまえ。誕生が3月26日、3万の市民が虐殺される「血の1週間」を経て、5月28日に崩壊。その後も政府側の激しい白色テロにさらされる。
しかし諸君、たった2ヶ月の命であったが、フランスの市民蜂起は続き、マルセイユ、リヨン、サン・テチエンヌ、ナルボンヌなど各地でも同様の市民蜂起が発生。その様子はジュール・ヴァレース「パリ・コミューン」に詳細に記されている。
一方の秩父困民党事件は、パリコミューンの約10年後の1884年。自由民権運動急進派と貧困に苦しむ農民勢力が結びついて、秋田事件・福島事件・高田事件・加波山事件・群馬事件などの「激化事件」が次々と発生する。
1883年、リヨン市場で生糸の価格が暴落。この暴落をキッカケに世界は不況に陥り、日本でも生糸生産に依存する割合の高かった地域の貧困が深刻化した。パリ☞リヨン☞北関東。グローバル化はもうこの時代から世界の趨勢となっていたわけである。
今井君は中学生の頃から「困民党」という名称が、「コミューン」から来ているものと信じ込んでいた。コミューンとコンミン、発音はソックリだ。中2の秋に西野辰吉「秩父困民党」を講談社文庫で購入、中間管理職だった父親から大目玉を食ったものだが、今も大切に本棚に保存してある。
![ナポリタン](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/49/16/j/o0400030013148645814.jpg?caw=800)
万国博覧会に沸くパリを目撃した会津藩士・平沼銑次(菅原文太)は、会津戦争☞函館戦争の悲惨の中を生き抜き、持ち前の反骨精神に磨きをかけて秩父事件に参加。「自由自治元年」と黒々と大書した旗を掲げ、政府軍に抵抗する。
「獅子の時代」ラスト10分はYouTubeでも見られるから、読者諸君もぜひご覧あれ。ただ一人無鉄砲に政府軍に切り込んでいく銑次。銃はぶっ放さない。無数の鎮圧兵が銃を構えるススキの丘に、刀1本で猛然と切り込んでゆく。
その2日後、弟の鉱造(永島敏行)は懸命に兄を探しまわる。しかしどうしても兄の遺体に巡り会うことができない。銃弾を浴び、踏みにじられて泥にまみれた「自由自治元年」の旗に、兄の筆跡を見ることができるだけである。
その後の日本は近代化に向けて驀進する。大日本帝国憲法の発布、日清戦争から日露戦争へ。しかしその時代の流れの中で、何人かの人が平沼銑次の姿を見かけたのである。足尾鉱毒事件の弾圧のさなか、北海道幌内炭坑の暴動弾圧の真っただ中で、銑次は激しく抗いつづけている。
しかし諸君、抗い続けながらも、銑次は決して「銃をぶっ放す」ことはない。その激しく勇猛な抗いぶりをスローで映しながら、宇崎竜童の渋い声が映像に重なってくる。「15歳で世の中がわかっちまったよなヤツらから見ればバカげた話さ」というのであるが、諸君、このシーンで涙を流さずにいられる者が、この世に存在するだろうか。
![オムライス](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/ce/7b/j/o0400030013148646027.jpg?caw=800)
ただし、銑次を始めとする「獅子の時代」の英雄たちが、果たしてパリ・コミューンの悲惨と迫害と白色テロの世界を知っていたかどうか。「パリで見ただろ、『自由・平等・博愛』を」とドラマでは何度も繰り返されるが、フランス語の「リベルテ・エガリテ・フラタニテ」がどんなふうに踏みにじられたか、ドラマに感激したついでに、ぜひジュール・ヴァレースの小説もお読みいただきたい。
平沼銑次は会津藩士であるから、妹の千代(大竹しのぶ)が薩摩藩士(加藤剛)の子を身ごもったことが、いつまでも許しがたい心のキズとなっている。彼が繰り返し口にした「会津の女が薩摩の男とナジョする!?」のヒトコトは、マコトに印象的であった。
今でもクマどんは、むかしむかしの友人と酒を飲みながら「ナジョする!?」「ナジョする!?」を連発する。
「そんなに酒を飲んで、ナジョする!?」
「そんなつまらんダジャレばかり飛ばして、ナジョする!?」
であって、今井君にとっての菅原文太は、激しく銃をぶっ放す人ではなく、どこまでも「ナジョする!?」の人である。ご冥福をお祈りする。
![ビア](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/0f/0f/j/o0300040013148646223.jpg?caw=800)
さて11月24日、札幌の「午後の部」についてであるが、予定通り200名が参加。午前250名+午後200名=合計450名ものヒトビトが今井君の大熱演に喝采する大成功になった。スタッフの皆さんの奮闘と大健闘に感謝する。
終了後はいったんホテルに戻って、19時半から大祝勝会に出席。会場は、札幌駅至近「赤れんがテラス」内、新しいシュラスコ屋「サッポロ・クラシック・バー」である。
どうやらこのごろシュラスコが流行らしくて、東京「バルバッコア」は予約がなかなかとれないほどだと言うし、札幌にも「サルバドール」などの人気店が次々と開店しているらしい。
今夜の「クラシックバー」は、氷点下までキンキンに冷やしたサッポロ生ビールがウリ。フェイジョアーダを始めとするブラジル料理がサラダバーにタップリ並んで、「おお、こりゃいいや」である。肉も各種取り揃えてあって、各自好みに合わせて肉を肉肉しく貪ることができる。
もっとも、1次会であんまりお腹がパンパンに膨れあがっちゃったから、「〆はラーメン!!」という気勢が上がらない。参加メンバーもそれぞれ「海老ラーメン!!」「塩しょうがラーメン!!」「やっぱりオレは味噌!!」など、もともとラーメン大好きがそろっているのだが、「今日は大人しく高級ワインで〆にしましょう」という線で落ち着いた。
こうして午後11時すぎ、比較的無難な解散にたどりついた。あれほどの大成功に、この無難な解散は似合わないかもしれないが、だからといって「人が呆れ返るほど飲んでナジョする?」であり、「ポンポンがハチ切れそうになるまでラーメンすすってナジョする?」であって、こういう常識的な解散も、タマには素晴らしいものである。
1E(Cd) Maria del Mar Bonet:CAVALL DE FOC
2E(Cd) CHAD Music from Tibesti
3E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music
4E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
5E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
total m40 y2010 d14940
むかしの今井君は臆病なコグマであったから、「仁義なき戦い」にも「トラック野郎」にも全く縁のないまま、マコトに大人しく育ってしまった。あれほど無鉄砲に銃をぶっ放してばかりいたんじゃ、コドモ時代の気難しい今井君のテイストに合うはずがなかったのである。
「無鉄砲」という文字を見ると、「おやおや、鉄砲も無しに戦場を突っ走るとは、ムテッポウですな」という意味かと勘違いするが、本来は「無点法」であって、「難しい漢文に句点もつけずに挑戦する」という態度をムテッポウと表現したのである。
ま、そんなことはどうでもいいとして、菅原文太主演「仁義なき戦い」の公開は1973年。21世紀の我々には、躊躇なしに激しく銃をぶっ放しつづける映像は異様に見える。
しかし映画公開の30年前まで、日本は徴兵制と戦争の真っただ中であって、20歳を過ぎた男子はほぼ全員、上官が「撃てーっ」と命じさえすれば、「人間を標的に引き金を引く」ことを拒絶することは出来なかったのである。
徴兵制度の下、戦場で日常的に銃を扱っていた日本の20歳代男子が、それから30年経過して50歳を過ぎ、日比谷や梅田や天神の映画館で「仁義なき戦い」に見入ったとする。
画面を派手に銃弾が飛び交い、館内を銃声が満たしたとき、果たして観客としてどう感じたか。そのあたりはたいへん難しい問題なので、ブログなんかで軽率に触れられる話ではない。若い諸君にも是非じっくり考えてもらいたいと思う。
![困民党](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/11/67/j/o0400030013148645374.jpg?caw=800)
(中央公論社「パリコミューン」と、講談社文庫「秩父困民党」。数十年前の本を探し出してみた)
今井君は世代的に完全に遅れを取っていて、そういう映画の話題には全くついていけない。だから菅原文太と言えば、何と言っても1980年の大河ドラマ「獅子の時代」なのである。
信長に家康、光秀に秀吉、謙信に信玄。大河ドラマとは、そういうウルトラ♨戦国武将がファーストネームで語りあい&罵りあう異様な世界であるが、「獅子の時代」はそれとはハッキリ異質なドラマであった。
何しろ脚本が山田太一、音楽が宇崎竜童とダウンタウンブギウギバンド。時代は19世紀半ばから後半であって、パリ万博・会津戦争・函館戦争・自由民権運動と続き、ラストシーンは秩父事件である。「自由自治元年」の旗を掲げた菅原文太が、圧倒的優位にたつ政府軍兵士の群れに突撃を試みるスロー画像に、「完」の文字が重なった。
![午後の部](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/c5/54/j/o0400030013148645653.jpg?caw=800)
(11月24日、札幌♡午後の部も超満員であった)
普仏戦争直後の1871年、パリの街にプロレタリアート独裁を掲げる市民政府が誕生する。詳しくは世界史の教科書を読み直してくれたまえ。誕生が3月26日、3万の市民が虐殺される「血の1週間」を経て、5月28日に崩壊。その後も政府側の激しい白色テロにさらされる。
しかし諸君、たった2ヶ月の命であったが、フランスの市民蜂起は続き、マルセイユ、リヨン、サン・テチエンヌ、ナルボンヌなど各地でも同様の市民蜂起が発生。その様子はジュール・ヴァレース「パリ・コミューン」に詳細に記されている。
一方の秩父困民党事件は、パリコミューンの約10年後の1884年。自由民権運動急進派と貧困に苦しむ農民勢力が結びついて、秋田事件・福島事件・高田事件・加波山事件・群馬事件などの「激化事件」が次々と発生する。
1883年、リヨン市場で生糸の価格が暴落。この暴落をキッカケに世界は不況に陥り、日本でも生糸生産に依存する割合の高かった地域の貧困が深刻化した。パリ☞リヨン☞北関東。グローバル化はもうこの時代から世界の趨勢となっていたわけである。
今井君は中学生の頃から「困民党」という名称が、「コミューン」から来ているものと信じ込んでいた。コミューンとコンミン、発音はソックリだ。中2の秋に西野辰吉「秩父困民党」を講談社文庫で購入、中間管理職だった父親から大目玉を食ったものだが、今も大切に本棚に保存してある。
![ナポリタン](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/49/16/j/o0400030013148645814.jpg?caw=800)
(札幌の祝勝会にて。高級ワインの店で、半熟タマゴのナポリタンを味わう)
万国博覧会に沸くパリを目撃した会津藩士・平沼銑次(菅原文太)は、会津戦争☞函館戦争の悲惨の中を生き抜き、持ち前の反骨精神に磨きをかけて秩父事件に参加。「自由自治元年」と黒々と大書した旗を掲げ、政府軍に抵抗する。
「獅子の時代」ラスト10分はYouTubeでも見られるから、読者諸君もぜひご覧あれ。ただ一人無鉄砲に政府軍に切り込んでいく銑次。銃はぶっ放さない。無数の鎮圧兵が銃を構えるススキの丘に、刀1本で猛然と切り込んでゆく。
その2日後、弟の鉱造(永島敏行)は懸命に兄を探しまわる。しかしどうしても兄の遺体に巡り会うことができない。銃弾を浴び、踏みにじられて泥にまみれた「自由自治元年」の旗に、兄の筆跡を見ることができるだけである。
その後の日本は近代化に向けて驀進する。大日本帝国憲法の発布、日清戦争から日露戦争へ。しかしその時代の流れの中で、何人かの人が平沼銑次の姿を見かけたのである。足尾鉱毒事件の弾圧のさなか、北海道幌内炭坑の暴動弾圧の真っただ中で、銑次は激しく抗いつづけている。
しかし諸君、抗い続けながらも、銑次は決して「銃をぶっ放す」ことはない。その激しく勇猛な抗いぶりをスローで映しながら、宇崎竜童の渋い声が映像に重なってくる。「15歳で世の中がわかっちまったよなヤツらから見ればバカげた話さ」というのであるが、諸君、このシーンで涙を流さずにいられる者が、この世に存在するだろうか。
![オムライス](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/ce/7b/j/o0400030013148646027.jpg?caw=800)
(新千歳空港のオムライス。キーマカレーのオムライスが旨い。ただし辛口好きのクマ蔵としては、カレーがちょっと不足する)
ただし、銑次を始めとする「獅子の時代」の英雄たちが、果たしてパリ・コミューンの悲惨と迫害と白色テロの世界を知っていたかどうか。「パリで見ただろ、『自由・平等・博愛』を」とドラマでは何度も繰り返されるが、フランス語の「リベルテ・エガリテ・フラタニテ」がどんなふうに踏みにじられたか、ドラマに感激したついでに、ぜひジュール・ヴァレースの小説もお読みいただきたい。
平沼銑次は会津藩士であるから、妹の千代(大竹しのぶ)が薩摩藩士(加藤剛)の子を身ごもったことが、いつまでも許しがたい心のキズとなっている。彼が繰り返し口にした「会津の女が薩摩の男とナジョする!?」のヒトコトは、マコトに印象的であった。
今でもクマどんは、むかしむかしの友人と酒を飲みながら「ナジョする!?」「ナジョする!?」を連発する。
「そんなに酒を飲んで、ナジョする!?」
「そんなつまらんダジャレばかり飛ばして、ナジョする!?」
であって、今井君にとっての菅原文太は、激しく銃をぶっ放す人ではなく、どこまでも「ナジョする!?」の人である。ご冥福をお祈りする。
![ビア](https://stat.ameba.jp/user_images/20141204/00/imai-hiroshi/0f/0f/j/o0300040013148646223.jpg?caw=800)
(これで10日間はお休みだ。次の北海道は12月6日の釧路である。とりあえずビアで単独乾杯する)
さて11月24日、札幌の「午後の部」についてであるが、予定通り200名が参加。午前250名+午後200名=合計450名ものヒトビトが今井君の大熱演に喝采する大成功になった。スタッフの皆さんの奮闘と大健闘に感謝する。
終了後はいったんホテルに戻って、19時半から大祝勝会に出席。会場は、札幌駅至近「赤れんがテラス」内、新しいシュラスコ屋「サッポロ・クラシック・バー」である。
どうやらこのごろシュラスコが流行らしくて、東京「バルバッコア」は予約がなかなかとれないほどだと言うし、札幌にも「サルバドール」などの人気店が次々と開店しているらしい。
今夜の「クラシックバー」は、氷点下までキンキンに冷やしたサッポロ生ビールがウリ。フェイジョアーダを始めとするブラジル料理がサラダバーにタップリ並んで、「おお、こりゃいいや」である。肉も各種取り揃えてあって、各自好みに合わせて肉を肉肉しく貪ることができる。
もっとも、1次会であんまりお腹がパンパンに膨れあがっちゃったから、「〆はラーメン!!」という気勢が上がらない。参加メンバーもそれぞれ「海老ラーメン!!」「塩しょうがラーメン!!」「やっぱりオレは味噌!!」など、もともとラーメン大好きがそろっているのだが、「今日は大人しく高級ワインで〆にしましょう」という線で落ち着いた。
こうして午後11時すぎ、比較的無難な解散にたどりついた。あれほどの大成功に、この無難な解散は似合わないかもしれないが、だからといって「人が呆れ返るほど飲んでナジョする?」であり、「ポンポンがハチ切れそうになるまでラーメンすすってナジョする?」であって、こういう常識的な解散も、タマには素晴らしいものである。
1E(Cd) Maria del Mar Bonet:CAVALL DE FOC
2E(Cd) CHAD Music from Tibesti
3E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music
4E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
5E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
total m40 y2010 d14940