Mon 141020 鍋焼きうどんとトロロ 浄瑠璃寺 マンゴーのような柿 オペラ歌手並み | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 141020 鍋焼きうどんとトロロ 浄瑠璃寺 マンゴーのような柿 オペラ歌手並み

 「お、今井だ!!」「今井先生だ!!」と高校生集団に取り巻かれ、崖下ではスズメバチ軍団に厳しく威嚇されながら、鎌倉時代の石仏めぐりを経て、とうとう初冬のクマは目指す浄瑠璃寺に到着。時計は午前11時半を指していた。

 ということになれば、何しろ意地汚いクマ君は「花より団子」であるから、当然「寺より昼めし」であって、こういう季節の昼めしでお蕎麦屋に入れば、これもまた当然あっという間に「鍋焼きうどん!!」と決まる。

 浄瑠璃寺の山門前に「あ志び乃店」という閑静なお蕎麦屋があって、ここなら高校生集団に取り巻かれる可能性はなさそうだ。50人とか100人の大集団で入れる店ではないし、自由行動中の高校生のお小遣いでは、やっぱりちょっとお値段が高い。

 山門に向かって左の小径を入ると、「おお、こりゃいいや」という感じの店があって、上品なオバサマ5~6人が静かにお食事中。一番奥のテーブルではオジサマ3人のグループが、ビールを飲みながら楽しげに昔話に興じている。
鍋焼きうどん
(浄瑠璃寺の前で鍋焼きうどんをむさぼる。右は味噌田楽)

 見渡せば、ほとんどのお客が「とろろ蕎麦」ないし「とろろ定食」を注文するようだ。たったいま歩いてきた山の深さを考えると、ジネンジョだってとれるだろうし、掘ったばかりのヤマトイモをすりおろせば、さぞかし旨いとろろになるだろう。

 一度書いたことがあるような気がするが、今井君はかつて「トトロの森」を「トロロの森」と勘違いしていた時代があって、「トトロ」というのもドロドロいやらしい粘液を吐き出す妖怪の一種だと思っていた。

 オトナになった今ではトロロが大好きだが、若い頃はあのドロドロがたまらなくイヤで、とろろ飯を食べた後の茶碗とか、とろろ蕎麦の出汁の濁りとか、とろろに関わる全てがキライだった。

 だから当然むかしはトトロも嫌いであって、「そんなドロドロした粘液を吐き出すヤツなら、きっと足跡もネバネバ、吐息もネバネバ、触れただけで4~5日は皮膚がかぶれたままなんじゃないか」と、本屋さんでトトロのイラストを見るのもイヤだった。
浄瑠璃
(浄瑠璃寺、三重塔)

 いやはや、浄瑠璃寺の前の蕎麦屋に入っただけでそんな下らん記憶がネバーッと湧き上がってくるのだから、昔の今井君はよほどトロロが嫌いだったのである。アイツのせいで口の周囲が痒くてたまらなかった幼児体験のせいかもしれない。

 そこで諸君、周囲はみんなトロロ系をズルズルやっているのに、今井君は「意地でも鍋焼きうどん」。ついでにコンニャクも貪ることにして「味噌田楽セット」も注文。柚子味噌など3種類の味噌の風味が楽しめる。

 オジサマのお客さんの質問に答えて、店の大将が「自然薯の見つけ方」を大きな声で講釈している。
「まずムカゴを見つけるんです」
「すると、ムカゴのあるあたりには必ず自然薯が見つかるんです」
「でも掘るのが難しくて何時間もかかっちゃう。趣味にはいいですが商売にはなりませんね」
とのことであった。

 確かに諸君、ついさっきクマ君は凶暴なスズメバチ軍団を目撃してきたばかり。雰囲気を察したのか、Mac君も「ついさっき」を「つい殺気」と変換して、どれほどスズメバチ軍団が凶暴かを示してくれた。あんな軍団が跋扈する山の中、自然薯掘りはさぞかしキツい仕事だろう。
本堂を望む
(三重塔から九体寺本堂を望む)

 さて浄瑠璃寺であるが、今井君はむかしむかし大昔、この寺を訪ねたことがある。どのぐらい大昔かというに、高校の修学旅行の自由行動の日のことであるから、すでに一千有余年の時を経ている。

 「自由行動で浄瑠璃寺」というあたりが、高校生♨今井の偏屈ぶりを示していて面白い。バスも1日6往復しかないこんな深い山の中の静かなお寺より、もっと有名どころを目指した方が楽しいんじゃないの?であるが、グループの仲間4~5名を説得して、あえてここを訪ねたのだ。

 あれから長い年月を経て、浄瑠璃寺はまだ健在であった。通称を九体寺といい、本堂に9体の阿弥陀如来像が安置されている。これは平安時代の作。お寺自体は「行基が開祖で8世紀からここにある」という説と、11世紀創立という説があるらしい。

 本堂の前に大きな池があり、池の左側に鐘楼、池の向こう側に三重塔が立っている。紅葉が始まったばかりで、カエデの高い枝のあたりはもう真っ赤に染まっている。池の中にはたくさんの鯉が群れ、鯉に混じってカメさんもユラユラ泳いでいる。マコトにのどかで、マコトにおめでたい。

 池の三重塔側を「此岸」、三重塔から池を隔てた本堂側を「彼岸」と呼ぶ。9体の阿弥陀像が彼岸にいらっしゃって、極楽浄土から我々を優しく手招きしてくれているという構図らしい。うにゃぽ。たいへんありがたい光景である。
本堂から塔を望む
(九体寺本堂前から三重塔を望む)

 こうして心も暖まり、鍋焼きうどんでお腹の中もポカポカ暖まったクマどんは、電話でタクシーを呼んで帰途についた。バスは2時間に1本だし、門前にタクシーが列をなすような巨刹ではないから、看板に記された番号に電話をかけて来てもらうしかない。

 15分ほど待って、「加茂タクシー」がやってきた。浄瑠璃寺から一番近いのはJR関西本線の「加茂」という駅であり、その一帯で営業しているタクシー会社のクルマなのであった。

 気さくな運転手さんで、近鉄奈良駅前まで30分ほど、いろいろな話を聞かせてくれた。奈良ドリームランドの廃墟の話。富有柿の話。今年の奈良は柿の出来がよくて、スーパーで買った柿でもマンゴーみたいに甘いのだそうだ。「マンゴーみたい」とおっしゃるからには、そりゃさぞかし旨いだろう。

 もっとも、今井君は「○○みたいに」という表現には若干の不満を感じるのだ。よく日本酒を口に含んで「まるでワインみたいにおいしいですね♡」とニッコリ微笑む人がいるけれども、その言い方って、日本酒に失礼なんじゃないか。
吊るし売り
(のどかな吊るし売りのデカいキノコ。クマの手とともに)

 つまり諸君、「Aが、Bみたいに旨い」と発言する時、その人は「Aに対してBが無条件で上位者である」と意識しているのである。「柿がマンゴーみたいに甘い」「日本酒がワインみたい」という表現は、「あの新人選手のプレーは、ペレやジーコみたいに巧みですね」とほぼ同じ構造を含んでいるはずだ。

 柿からみてマンゴー、日本酒からみてワイン、新人からみてペレにベッケンバウアー。そういう意識構造だとすれば、ボクは柿や日本酒の側から抗議せざるを得ない。いやはや、このクマ、何とも難しいクマであるね。

 もちろん、そんなことを口にして運転手さんと気まずくなるのはイヤであるから、難しい話はお腹の中に収めて鍋焼きうどんに絡めあわせ、口から出ないように慎重に捕獲しておいた。楽しい奈良の1日は、この慎重さのせいで損なわれずに済んだ。

 タクシーを降りる時、運転手さんは今井君の声を手放しで褒めてくれた。
「素晴らしい美声ですね」
「まるでオペラ歌手のように重々しいキレイな声ですね」
とおっしゃるのである。

 つまりワタクシの声は、マンゴーに対する柿、ワインに対する日本酒の立場に立ったわけであるが、こういう時には難しい理屈は影をひそめ、釣り銭を受け取りながら、今井君は満面の笑みでお礼を言ったものである。

1E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM
2E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM
3E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 5/18
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 6/18
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