Fri 141003 山形に向かう ヤッショーマカショ 板蕎麦をすする バッタリ出会う | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 141003 山形に向かう ヤッショーマカショ 板蕎麦をすする バッタリ出会う

 10月25日、山形県山形市でお仕事があり、東京発午前11時の新幹線に乗り込んだ。日本はずいぶん景気が回復したようで、行楽シーズンの東京駅はたいへん華やかな雰囲気である。

 秋の土曜日、紅葉まっさかりの山々に向かうのか、山形新幹線はパーフェクトに満員である。確かに、福島から米沢に抜ける板谷峠のあたりは、赤と黄色の紅葉がマコトに見事であった。

 ただし、「山形新幹線のグリーン車」というモノについては、天下のJR東日本として十分に改善の余地がありそう。こんなグリーン車なら、普通車に乗っていった方がずっとマシであって、3時間の片道4000円の価値があるのかどうか、大きな疑問符がつく。

 何と言っても、シートの幅が狭すぎる。「横4席」にもともと無理があるので、身体のデカいクマどんとしては、金沢を走る「サンダーバード」や「はくたか」のような横3席に改造すべきだと信じる。だって横4席じゃ、ホントに普通車と一緒じゃないか。
板蕎麦1
(山形で板蕎麦を味わう。詳細は後述)

 ま、不満なのはそれだけであって、華やかな快晴の山形は素晴らしい。板谷峠を過ぎて米沢に入ると、ここから新庄まで大河・最上川に沿い、個性的な街が数珠つなぎに続く。おなじみ「花笠音頭」が思わず口をついて出てくる。

花の山形 紅葉の天童

雪を チョイチョイ
眺むる尾花沢

ハァ ヤッショー マカショ
シャンシャンシャン

 うーん、この「チョイチョイ」「ヤッショー マカショ」「シャンシャンシャン」の3つが恥ずかしいが、それはさすがに「1965年にさかのぼります」「昭和40年に始まりました」という花笠祭りの歴史のせい。むっとするほどの昭和のカホリぐらい、ガマンしたまえ。

 米沢から、赤湯 ☞ 上ノ山 ☞ 山形 ☞ 天童 ☞ 東根 ☞ 村山 ☞ 大石田 ☞ 新庄。それぞれの町にそれぞれの伝統と名物があり、町の自慢合戦で日が暮れる。

 昔の日本にはそういう豊かな多様性があったが、21世紀になって日本中の若者たちが例外なく東京語を話すようになり、懐かしの多様性は絶滅寸前。山形盆地は、いまだに若干の多様性が残っている稀有な例である。
ソファ
(伝統あるホテル・キャッスルの、伝統ありげな狭いソファ)

 東北や新潟の平野となると、農作物も「コメ一辺倒」になりがちであるが、山形は目いっぱい努力して農作物の多様性を作り出してきた、もちろんコメも「はえぬき」「どまんなか」ともに抜群に旨いけれども、コメ以外にも旨いものが目白押しである。

 高畠あたりからは、山腹まで美しいブドウ畑が続く、フランスを思わせる風景。マスカットの味は、岡山や山梨をも凌ぐかもしれない。紅花が咲き乱れ、ナシ、モモ、サクランボ、どれをとっても仁王様さえ笑い出すほどの甘さである。

 中でも、青果店に並ぶ「ラ・フランス」の見事さには、まさに絶句せざるをえない。大きさは「ドリアンかい?」と思うほど。香りもドリアンにまさる強さであるが、ドリアンの悪臭とは正反対の、マコトに美しい芳香を放っている。いやはや、山形県の人々の努力の成果は、賞賛に値する。
歌懸稲荷
(ホテルのそばには、こんな奥ゆかしい名前の神社があった)

 あんまり努力家&倹約家ぞろいなので、「ケチ」と悪口を言う人も昔は少なくなかった。努力して作物を改良し、倹約で蓄積した財を作物の研究にあてる。それをケチと批判するのはつまり嫉妬の表現であるが、嫉妬されるほどに努力の成果が出たのは、昭和の終盤になってからだったように思う。

 作家北杜夫も、たまに山形県人について冗談を言った。彼の父・斎藤茂吉が山形県人なわけであるから、一種の照れ隠しなんだろうと思うが、代表作「楡家の人々」の中にも、そういう一節があったように記憶する。中2の時に読んだきりなので、記憶違いならスミマセン。

 お蕎麦もおいしい。「山形の板蕎麦」は有名。今年の6月、大学学部時代の友人4名で天童温泉に一泊してみたけれども、あの時の板蕎麦の味は忘れられない。

 席があくまで10分も待たなきゃいけないほどの繁盛ぶりだったが、「ご自由にお召し上がりください」というサクランボを無遠慮に頬張りながら、辛抱強く待ったものである。ドンブリいっぱいあったサクランボが半分になった頃、ようやく席に導かれた。
板蕎麦2
(板蕎麦、拡大図)

 10月25日の今井君も、山形に到着してホテルにチェックインするなり、目の前にあったお蕎麦屋に走った。今日の宿泊は昭和のカホリたっぷり、古色蒼然とした「ホテル・キャッスル」であるが、長い歴史を誇る蕎麦店「三津屋」がホテルから斜向いの位置にあった。

 注文したのは「半・板蕎麦」。板蕎麦そのものだと、普通の盛り蕎麦6枚分であって、1人で平らげるのは困難。「半」なら盛り蕎麦3枚分である。店員さんに尋ねてみたら「結構ペロリを完食するお客さんもいますよ」とのことだったので、イヤシイ今井君にはピッタリだ。

 ついでに「にしん」も注文。甘辛く煮たニシンは、京都名物「にしん蕎麦」のニシンと同じ味だから、盛り3枚分のお蕎麦に飽きちゃった時、箸休めのつもりでワシワシやるのにちょうど良かった。

 いやはや、旨かった。午後2時半、地元山形の人々も次から次へと来店するが、さすがになかなか板蕎麦には手を出さない。この派手な板蕎麦を平気でズルズルやっている今井君を、「山からクマが降りてきたか」みたいな驚きと賞賛の目で見守ってくれる。誇らしいこと限りない。
完食
(板蕎麦の完食と蕎麦湯の光景)

 しかし諸君、紅葉をめでたり&お蕎麦をすすったり、そういうことをやりに山形に来たのではない。大好きな「お仕事」もやっぱりあるので、17時半、待ち合わせのホテルロビーに向かった。

 山形駅前も、すっかり塾だらけである。大規模縮小を発表したかつての巨大予備校のサテライン塾もある。もう1軒、小学生から大学受験生まで手広く扱って急速な規模拡大を続けてきた静岡系の予備校の山形校舎も、つい最近になって山形からの撤退を決めた。

 そういう状況での山形でのお仕事、今井君は若干の心配を感じながら待ち合わせ場所に向かっていた。友人とバッタリ出会ったのは、まさにその時である。6月の天童温泉以来であるが、諸君、これほど「確率の低いバッタリ」が、この世の中に存在するだろうか。

 今井君が歩いていたのは、夕闇の山形の薄暗い裏通り。友人は山形駅からの角を曲がって、クルマを止めた駐車場に向かって猛スピードでやってきた。唖然&呆然として「おお」「やあ」「ひさしぶり」「ひさしぶり」と声をかけあったが、この偶然の出会いの激しさに気づくまで、かなりの時間がかかったほどである。

 本来なら「飲もうぜ」「よし、飲もう」という成り行きになるところだが、今井君はお仕事の待ち合わせまで「あと5分」という状況。近い将来の再会を約して、その場は軽い立ち話だけで終わらせざるを得なかった。

 というわけで、今日も長く書きすぎた。山形でのお仕事と祝勝会の話は、明日の記事に譲ることにする。

1E(Cd) 寺井尚子:Thinking of You
2E(Cd) ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調作品104
3E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN⑨
6D(DMv) PRIDE AND PREJUDICE
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