Tue 140902 広島の思ひ出 さよならMD トラム好き=乗りトラ ボンボン!!の蛭子さん | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 140902 広島の思ひ出 さよならMD トラム好き=乗りトラ ボンボン!!の蛭子さん

 広島での3日間は、以上のような波瀾万丈。その詳細を書き綴っていると、「コイツはホントに広島に仕事をしに来たんだろうか?」と、当の本人でも思わず首を傾げてしまう。
 デラックスお好み焼き2枚、生牡蠣に焼き牡蠣を合計(おそらく)50個ほど。広島の生態系に影響を与えはしまいか、それが心配になるほどの牡蠣を貪って、9月22日午後2時、空港に向かうタクシーに乗り込んだ。
 今回の広島でも、おなじみ「先生ですか?」の邂逅があった。竹原から帰ってきて、バスセンターからホテルに向かっている時のこと、無闇にクマ蔵をジロジロみている男子がいると思ったら、案の定「もしかして、今井先生ですか?」と声をかけてきてくれた。
 「10年ほど前に、代ゼミ広島校で今井君の授業を受けていた」という。広島は定期的には出講していなかったので、もちろん彼はサテライン授業の受講生。「今井先生のおかげで、大阪大学に合格できました」と、懐かしげにお礼を述べてくれた。
 うーん、サテラインねぇ。「代々木での授業を衛星放送で同時生中継」、当時としては画期的な授業形式であった。今思えばマコトに古色蒼然たる世界であるが、照明を落とした教室に講師の巨大映像が2つ並んで、生徒たちはまるで映画を見るみたいに授業に見入ったものである。
鹿君
(宮島の思ひ出は、やっぱりバンビ君である)

 それでも春期講習と夏期講習には、今井君も広島の生授業に呼ばれた。当時の広島校には「滝口君(=仮名)」という有名な生徒がいて、彼が今井君のウルトラ大ファン。広島にナマ今井がノコノコ出かけて行くと、滝口君を先頭にみんなで熱く出迎えてくれたものである。
 滝口君は、東大模試で満点をとったり、全国模試でもずっと1位を確保し続けたり、クラシックの名指揮者ぶりを発揮したり、とにかく異様なほど目立つ生徒であった。今はすっかり音信不通になったが、指折り数えてみれば彼ももう35歳。いま広島で声をかけてくれた彼も、滝口君と同時期の生徒だったはずである。
 滝口君とはよく音楽の話をした。彼が指揮者として活躍したMDももらった。曲は、イベールの交響組曲「寄港地」。これほどの大曲を最後まで見事に指揮しきるとは、さすがの今井君もビックリであった。
 思えば10年以上も前のことだ。当時の今井君はジョー・サンプルとカーク・ウェイラムが大好き。クラシック派の滝口君は、ジャズとかフュージョンにはあまり理解を示さなかったけれども、「いつも講師室で何のMDを聞いているんですか?」と、興味深げに質問してくれたものだった。
世界遺産航路
(広島平和公園⇔宮島の直行便乗り場)

 時の経つのは早いもので、「MD」はもうほぼ死語である。一世を風靡した期間が余りに短かったから、人の記憶にさえ残らないんじゃないか。試しに「MDって知ってるか?」と中学生に質問してみたまえ。きっとウザそうに顔を歪めつつ「Meccha Dasaiの略ですか?」ぐらいの答えしか返ってこないはずだ。
 アップルがiPodを出した時、CMの「さよなら、MD」の一言にはかなりセンセーショナルな響きがあったが、確かにあの頃がサヨナラMDだったわけだ。MDばかりか、Yゼミでさえも生き残りの大ピンチ。いやはや、「昭和は遠くなりにけり」である。
 ついでに、当時の今井君が大ファンだったジョー・サンプルも、2014年9月12日、天国に旅立った。わざわざ南青山Blue Noteまで生演奏を聞きに行くほどのファンだったし、たった2枚のCDを擦りきれるほど聞いてきた。
 レコードと違って擦りきれることのないのがCDのつまらないところ。200回も300回もレコードに針を落とし、「そろそろ擦りきれてきたな」と実感するのが、間違いなく音楽の楽しみの一つなのだ。
 長く付きあった友人や彼氏や彼女だって、レコードと同じように擦りきれていく。いろいろなキズがつき、さまざまな欠点が見えて、しかしそのキズや欠点まで含めて全てが懐かしい。CDみたいに無傷のままじゃ、音楽もヒトとの付きあいも、プラスチックを嘗めているように味気ない。
トラム1
(懐かしの広島市電 1)

 以上のようなとりとめのないことを考えながら、改めて広島の町を行く市電の勇姿を眺めてみた。この古びた広島市電もまた、擦りきれたレコードみたいな趣きでトラム好きを魅了するのである。
 世の中には「乗り鉄」という諸君がたくさん存在するらしいが、何を隠そうクマ蔵もまたその一翼を担っている。世界中を縦横無尽に旅しては、よほどの危険がないかぎり、鉄道の旅を満喫する。
 しかし諸君、クマ君が真に愛するのは、本格的な鉄道ではなくて、町の真ん中を首を振り振りゴトゴトと行くトラムの姿である。その意味で、今井君は「乗り鉄」ではなくて「乗りトラム」。略して「乗りトラ」と呼んでくれたまえ。
 リスボンやポルトの坂道を汗だくで走るポルトガルのトラムは別格として、ついこの間のアムステルダムやルアーブルでも、フランクフルトやミュンヘンでも、デルフトやハーグでも、とにかくトラムにさえ乗り込めば、もう幸福の絶頂なのである。
 古いトラムの走る西日本の町が、だから羨ましくてたまらない。熊本、長崎、高知。鹿児島、松山、広島。出張で西日本の町を訪れるたびに、トラムがゴトゴト走り回る町の奥ゆかしいカホリを感じ、「どうして東京や大阪はトラムをなくしちゃったんだろう」と、残念で仕方がない。
 もちろん、都電荒川線や阪堺電車みたいな例外は残っている。しかし、諸君、昭和30年代から40年代の東京の写真を見てみたまえ。無数のクルマに囲まれて行き悩み、「オレって、もう時代遅れなのかね?」と深い溜め息をついているオジーチャンみたいな都電の姿が、いとおしくてたまらない。
トラム2
(懐かしの広島市電 2)

 空港へのタクシーに乗り込む直前、たくさんのジーチャン市電の姿をカメラに収めた。新しいタイプのトラムがどんどん導入され、このジーチャンたちも引退が近そうだ。しかしせめて引退までこのジーチャンたちを、広島市民の皆さんがタップリいとおしんで使ってくれることを望んでやまない。
 とか思っているうちに、タクシーは空港に向かって高速道に乗った。そして諸君、驚きの大事件が起こったのはその直後である。高速で走りはじめた次の瞬間、タクシーのエンジンが、突如として軽い爆音を上げたのだ。Bon!! Bon!! Bon!! BoBonがBon!! もひとつオマケにBoBonがBon!!と来た。
 タクシーはいったん停止。だって、「まさに爆発の寸前!!」「寸前で寸止め!!」みたいな危機一髪感が車内に漲ったのである。運転手さんは直ちにクルマを高速の路肩に寄せ、本社に電話で連絡をとった。
「緊急事態です!!」
「爆発音がしたんです!!」
「援軍を要請します!!」
というわけである。今井君が乗る東京行ヒコーキの出発まで、残り90分。その意味でも危機であったが、何よりも危機感を高めたのは、6~7回連続した軽い爆発音であった。
 しかし結局は、ホンのちょっと修理して、何事もなく済んだ。クマ君が今もこうしてキチンと生きているんだから、タクシーがそのあと無事で走り続け、広島空港にたどり着いたことは間違いない。
トラム3
(懐かしの広島市電 3)

 しかも諸君、この運転手さんが余りにも蛭子能収さんに似ていらっしゃる。顔もコトバつきも、飄々と危機に対応する態度も、ほとんど蛭子さん生き写しである。
 もちろん今井君は「蛭子さん」を間近で目撃したことはないが、もしも蛭子さんの運転するクルマに乗ってみたら、きっとほぼ同じ体験をするような気がする。これほどの危機にあっても、彼は笑顔を忘れないのだ。
「30年前の錦糸町と新宿歌舞伎町で、『暗くてもサングラスをしている男たち』の囲まれて、どんな危機一髪体験をしたか」
「その危機に比べれば、この程度の危機がどれほど小さな危機に過ぎないか」
 彼は蛭子さんそっくりの口調でそれを物語り、夢中で語るうちに思わず空港を行き過ぎそうになり、ついでにタクシー降り場も間違えそうになって慌ててハンドルを切り、いやはや、メッタヤタラにいろんなことをしまくって、ようやく広島空港にたどり着いた。
 その後ヒコーキは無事に東に向かい、羽田空港到着、17時。歴史に残るほどの大渋滞の首都高速を避け、東京の運転手さんは一般道を見事に快走。1時間もかからずに渋谷区のオウチに送り届けてくれたのだった。

1E(Cd) Krivine & Lyon:DEBUSSY/IMAGES
2E(Cd) Rogé:DEBUSSY/PIANO WORKS 1/2
3E(Cd) Rogé:DEBUSSY/PIANO WORKS 2/2
4E(Cd) Kazune Shimizu:LISZT/PIANO SONATA IN B MINOR & BRAHMS/HÄNDEL VARIATIONS
5E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY・DANTE SONATA
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