Thu 140814 ユトレヒト ミッフィー小好き オルゴール博物館(おらんだサトン事件帖26) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 140814 ユトレヒト ミッフィー小好き オルゴール博物館(おらんだサトン事件帖26)

 4月22日、すでにオランダ滞在も8日目になった。ここまでは小さな移動が中心。4日目のアルクマールと5日目のグロニンゲンを除けば、まあアムステルダムから1時間以内の円内でチマチマ動き回っていた。しかしいよいよ旅の後半を迎えるにあたり、そろそろ大きい移動を本格化させなければならない。
 もちろんオランダはマコトに小さな国であって、「大きな移動」などということはほとんど考えられない。フランスやドイツなら4~5時間かけた高速鉄道の旅もあり得るが、オランダやベルギーの旅はどうしてもチマチマせざるを得ない。2時間ちょっと鉄道に乗れば、その段階で国境線からはみ出してしまう。
運河
(ユトレヒトの運河は、他の町より深いのが特徴である)

 国土の狭さに若干の閉塞感が伴うのは当たり前だけれども、そのぶん国内の充実ぶりにビックリする。こんなに小さなオランダに2週間滞在しても、訪問したい町に全て足を踏み入れることが出来ないのだ。
 今回の旅で「ガマン」ということになったのは、ゴーダチーズの町・ゴーダと、エダムチーズの町・エダム。「チーズの町」はアルクマールだけにして、ゴーダとエダムは「見残し」にした。
 「見残し」については、このブログでもすでに何度か書いた通り、今井君の旅に独特の発想。見たいものを残らず見てしまえば、「もう1度あそこに行かなきゃ」というモチベーションがググッと低下してしまう。「あれとあれを見残した♨」の悔しさを残して、「だからまた行かなきゃ♡」と深く心に刻みつけるわけである。
 四国・高知の足摺岬の先端に「見残し」という名所があって、激しい波の打ち寄せる岩場をはるばる歩いてようやくたどり着くのであるが、ここは「弘法大師が見残した」を語源としている。全部を見てしまえば、もう二度と来なくなる、だから1カ所を見残して、そこを見るために再訪する。素晴らしい発想じゃないか。
大聖堂
(ユトレヒト大聖堂)

 さて、ユトレヒトであるが、アムステルダムから電車で1時間と少々。やっぱりオランダは呆れるほど小さく、牛とヒツジが呆れるほど幸福そうに草を食み、どこまで行っても呆れるぐらい水浸しである。
 オランダの自転車洪水と、そこいら中に築かれた自転車の山に、やっぱり今井君は呆れ続けたのであるが、1日だけこのユトレヒトで「呆れる」というほどではなくなった。言わば「呆然メーター」の数字が一気に低下した、安堵の1日であった。
 ユトレヒトと言えば、何と言っても世界史の時間に習う「ユトレヒト条約」である。この国は、「国際法の父」グロティウスから始まって、ユトレヒト条約など様々な条約の舞台になり、やがてデン・ハーグに国際司法裁判所が置かれるなど、和平と平和と、安定と福祉と、人々の穏やかな笑顔をひたすら求めて生きてきた。
 ヒトはクルマではなく自転車に乗り、狭い土地を牛やヒツジと仲良く分けあい、学ぶことに熱心で、国民の多くがオランダ語と英語のバイリンガル。若者はライデン大学、グロニンゲン大学、ユトレヒト大学など、地元の名門大学でひたすら勉学に励む。
 やっぱり、江戸時代以来延々とオランダは日本の先生なのであって、小さな国土の中で人間がどう生きればいいか、そのヒントは今もなおオランダにある。若い諸君には、「地元の名門大学で黙々と勉学に励む」という部分を是非とも実践していただきたい。
 日本なら、北大・東北大・名古屋大であり、阪大・神戸大・九州大である。もちろん早稲田も慶応もマコトに素晴らしいし、地方の名門国公立は他にもいくらでも健闘している。諸君、ひたすら勉学に励みたまえ。朝から晩まで図書館に入り浸り、1年に5本も6本も本格的なレポートを仕上げ、教授と真剣に語り合いたまえ。
大学本部
(ユトレヒト大学本部)

 ユトレヒトは、柔道のヘーシンクの出身地でもある。東京オリンピック無差別級の金メダリストであるが、今井君がオリンピック柔道で涙するシーンは、そのヘーシンクvs神永戦と、1984年ロサンゼルスの山下vsラシュワン戦の2つぐらいである。
 ともに、フェアプレー精神の横溢した試合。エジプトのラシュワンは、準決勝でケガした山下の足を攻めることなく銀メダルに甘んじた。ヘーシンクは「袈裟固め」で金メダルを決めた瞬間、畳の上になだれ込もうとするオランダ応援団を懸命に制して、生真面目に柔道の精神を守り通した。
オルゴール
(ユトレヒト、オルゴール博物館の巨大オルゴール)

 いやはやこの国は、生きるためのお手本をズラズラと取り揃えた感がある。ブルーナどんもその一人であって、もちろんブルーナとは「ミッフィーちゃん」の作者である。深い運河に囲まれたコンパクトなユトレヒトの町の端に、ミッフィーちゃん博物館はあくまでヒッソリと佇んでいた。
 「ミッフィー、ミッフィー、ミッフィーちゃん、みんな大好き」であるが、クマ君の中ではどうしても「ミッフィー、ミッフィー、ミッフィーちゃん、みんな小好き」。「大好き」みたいな激しい感情じゃなくて、「小好き」という穏やかな笑顔のほうが、ミッフィー精神に合致している気がする。
 東京の街中でミッフィーちゃんを見かけるたび、心の中で「小好き」のほうを繰り返す。「長い耳と丸い目がスーテーキー」であるが、ミッフィーちゃんの大事な点はどこまでも「小好き」であること。「大好き♡」から☞「大キライ!!」への感情の流転は激烈であって、平和と安定には「小好きの継続」こそ重要なのである。
お兄さん
(オルゴール博物館、ガイドのオニーサマ。1時間にわたり、オルゴールの歴史と魅力を見事に語り尽くした)

 そんなクダランことをヌカしているのはその辺にして、暢気なクマどんはユトレヒトの有名なオルゴール博物館に入ることにした。オルゴールの黎明期から、20世紀の超大型オルゴールまで、ガイドのオニーチャンの解説を聞きながらひと巡りする。
 オルゴールとは、「小好きの永続的な継続」という平和の理想を形にしたものと言っていい。そりゃ誰だってオーケストラのほうが大好きだし、生身の人間の演奏のほうがいいに決まっている。こんな機械仕掛けが「大好き♡」と言えば、それはおそらく何かの間違いである。
 まあみんな「小好き」。しかしおそらく「オルゴールなんか大キライ!!」という人はいないし、「疲れを知らない」ことについては、生身の演奏家とは比較にならない。つまり継続性は圧倒的に上である。「平和とはこうあらねばならぬ」という理想を機械の形で示した、まさに人類の英知の結晶と言っていい。
 ま、何もそんなに無理して盛り上がらなくていい。要するにオルゴールであるが、ガイドのオニーチャンは、オランダ語と英語とドイツ語をマコトに見事に操り、300年の長きにわたるオルゴールの歴史を語り尽くして、最後には世界中から集まったオルゴールファンの大喝采を浴びていた。「小好きの大勝利」、まさに「めでたし&めでたし」である。

1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2
4E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
5E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
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