Fri 140801 祇園精舎の鐘 デルフト東門へ散策 木曜市を満喫(おらんだサトン事件帖13) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 140801 祇園精舎の鐘 デルフト東門へ散策 木曜市を満喫(おらんだサトン事件帖13)

 先週の末から世の中が突然騒がしくなった。今井ブログは昨日1日で15000アクセスに近づき、ツワモノを揃えたアメブロ内でもランキング894位と言ふたいへんなアリサマになっている。
 しかし諸君、もう1度キチンと言っておくが、今回のことはメディアが騒ぎ立てるような「少子化で苦悶する予備校業界」ということではなくて、その中の1プレイヤーが方向性を見誤っただけの話。元気いっぱい健闘を続けている他のプレイヤーズについてまで「苦悶」の文字を当てるのは間違いである。
 20年後にも「We are still here!!」と雄叫びを上げている可能性については、「3大陣営の一角が崩壊」と囃し立てている新聞やテレビより遥かに高いと信じる。「苦悶」の当事者は、むしろマスメディアのほうなんじゃないか。
 要するに「祇園精舎の鐘の声」というだけの話である。諸行無常、盛者必衰を感じればいい。「おごれる人」も「たけき者」も、「久しからず」であり「遂にはほろびぬ」であって、「春の夜の夢」「風の前の塵」だったらしい1プレイヤーの衰退を、「業界全体の苦悶の喘ぎ」なんかにスリかえ、むりやり話を大きくして慨嘆のポーズをみせる必要は皆無である。
水辺の眺望
(フェルメールも大好きだった、デルフト・水辺の眺望)

 さて4月17日木曜日、デルフトのクマどんは「新教会」の塔にのぼり、上空から眺望を楽しみながら2つのことを決意した。
 ① まず運河のずっと先のほうまで散策して、フェルメールが好んで描いたデルフトの水辺の風景をもっともっと見てこよう。
 ② 塔から見下ろしたマルクト広場に、木曜日には大きな市が立つらしい。実際に今日は木曜日で、広場全体にどんどんテントが広がっていく。これを見ずに済ませるわけにはいかないだろう。
 そこでまずクマどんは、運河に沿ってデルフトの東門まで歩いてくることにした。変わりやすいオランダの空は、気持ちよく晴れていたかと思うと、海からの強風に乗って分厚い雲が一気に集まって、あっという間に大粒の雨に襲われる。
 「こういうのを『ダッチ・ウェザー』と呼ぶんだ」とオランダのオジサンは笑ったが、確かに秋田市生まれの今井君にも記憶がないことはない。西の日本海上に背の高い入道雲がいくつも現れ、その頂が太陽に照らされて白銀に輝いていたかと思うと、いきなり雷鳴が轟いて街が冷たい雨に襲われる。秋田でもオランダでも、北国の海辺の天候には共通点が多いのかもしれない。
マーケット
(デルフト新教会の塔からマルクト広場を見おろすと、木曜市のテントが無数に広がっていた。正面は17世紀の市庁舎)

 デルフトの中心街から、フェルメールが好んで描いた東門のあたりまで、運河に沿った道を徒歩で15分ほどである。道に面した明るい窓辺で、ネコたちが気持ちよさそうにまどろんでいる。デルフトに限らず、オランダのネコたちはみんな幸せそうだった。
 そりゃそうだろう。外は冷たい大粒の雨。または雨と雨の間の束の間の快晴。その快晴の陽光を浴びながらトロトロ丸くなって居眠りしていれば、ネコとしてそれ以上の喜びはない。ましてや、衿をかきあわせて雨の中を急ぐ人々を眺めつつ、ストーブの火に温まりながらアゴが外れそうなアクビなんかしてみたまえ。ヒトであれネコであれ、それ以上の幸せが考えられるだろうか。
 ところが諸君、ネコたちは幸せでも、外を飛び回る鳥たちは、時ならぬ不幸に見舞われることがある。東門へ運河沿いで出会ったのが「お尻のあたりに釣り針がひっかかっちゃいました」という白鳥どん。運河の上で翼を広げて羽ばたきながら、何とか釣り針を引き抜こうとするが、どうしてもとれない様子である。
 10メートル向こうに飛んではバタバタ、今度は20メートルほど飛んで戻ってバタバタ。どうしても針が気になるので、盛んに首をお尻のほうに伸ばしては、クチバシでくわえて引き抜こうとするが、何度繰り返してもうまくいかない。可哀そうだが、何しろこちらは身体の重たい中年のクマであるから、どうすることもできない。
チーズ
(デルフトの木曜市で。大きなチーズがゴロゴロ転がっていた)

 15分ほど歩いて、東門のあたりに到着。おお、確かにフェルメールの描きそうな美しい水辺である。水鳥も多い。鴨もたくさん群れているし、ロンドンのハイドパークやグリーンパークでお馴染みの「カオジロ」も多い。
 ただし、「カオジロ」は正式名称ではない。今井君が勝手に名付けただけであって、「身体が黒いのに顔が白いからカオジロ」。マコトにオバカな名付け方であるが、明治の小説家&明治大学の星(ただし中退)=伊藤左千夫どんの名作「野菊の墓」にだって、ほとんどこれとレベルの変わらない会話が存在する。
 あまりにも有名な一節であるが、若干分かりやすく書き直すと以下のようである。
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら、民さんは野菊のような人だ」
「政夫さん、私が野菊のようだって、どうしてですか」
「さあ、『どうして』ということはないけど、民さんは何がなし野菊のようなふうだからさ」
「それで、政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕、大好きさ」
 いやはや、こりゃ困った。今なら思わず「オラオラ&オラ、お前ら何そんなにイチャついてんだ」「おかしんじゃね?」「ウゼ!!」「クセ!!」「ダセ!!」と絶叫するところであるが、何しろ明治の15歳男子と17歳女子だ。まあいいじゃないか。許してあげたまえ。
大鷭
(カオジロ君。正式名称は、諸君が調べてくれたまえ)

 「民さんは野菊のような人だ」「なぜならボクがそう思うからだ」ということになれば、顔の白い水鳥に向かって「道理でどうやらキミは顔が白いからカオジロだ」「まあ、私がカオジロってどうしてですか?」「なぜならボクがそう思うからだ」で、全然かまわないじゃないか。
 なお、伊藤左千夫には「土屋文明」という名の門下生がいて、群馬県群馬郡群馬町出身。なかなか徹底して群馬&群馬な人物であるが、グンマ&グンマなぐんまちゃんは高崎中学(現・高崎高校)の出身。つい3~4日前に群馬県前橋でヌルいアイスコーヒーに四苦八苦していた今井君としても、この人にチョコッと言及しなければ気が済まない。
 彼はその後、高崎中☞一高☞東大と順調に進学。芥川龍之介どんや久米正雄どんと親交を深め、文学部哲学科で心理学を専攻。おお、素晴らしい。師匠・伊藤左千夫に心酔し、松戸市矢切の渡し付近に「野菊の墓文学碑」を建てた。どうだい、我が友mac君、「矢切の私」とか変換して、今井君をオチョくり続けているキミとは、別格の門人であるね。
山盛りフライ
(お魚のフライを一山購入。グロティウス像の足許で貪った)

 こうして今井君は、「顔が白いからカオジロ君」や、ごく平凡なカモ君たちとともに、マコトに暢気にフェルメールの水辺の眺望を満喫。400年前のフェルメールの足許にも、このカモさんやカオジロ君たちの数百世代前の水鳥たちが群れていたことだろう。
 夕暮れが迫る頃、クマどんは再び運河に沿ってマルクト広場に戻った。広場一面にテントを立てて、今や木曜市は佳境を迎えている。中でも一番繁盛しているのはお魚の店。さすがオランダ、お魚は国民の主食の一つだ。アブラで揚げたお魚が飛ぶように売れ、広場全体を香ばしい油の香りが満たしている。
 得体のしれないお魚のフライを、クマどんも一山5ユーロで購入してみた。地元の人々は、ファストフードみたいにお魚を手づかみにしてムシャムシャやりながら木曜市を見て歩く。「郷に入っては郷に従え」であって、国際法の父=グロティウス像の足許に座り込み、今井君もお魚のフライにかぶりついてみた。
 おお、こりゃ旨いや。ただし、異様にノドが渇くでござる。地元の人たちが嬉しそうにこちらを見守る中、2匹まるまる平らげたところで、ノドの渇きに耐えられなくなった。やおら立ち上がったクマどんは、旧教会前のカフェでハイネケン1本をガブ飲み ☞ ようやくノドの渇きはおさまった。
 次第に深くなる夕闇をわけ、駅まで出来るだけ運河沿いに歩きながら、「これはどうしてもデルフトにもう1度こなきゃいけないな」と、何故かコブシを固めた。どうしてだかハッキリは言えないが、デルフトの1日はそのぐらい印象深かったのである。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 4/5
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 5/5
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 3/10
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