Sun 140727 真珠の耳飾りの少女 フェルメールの街・デルフト(おらんだサトン事件帖11) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 140727 真珠の耳飾りの少女 フェルメールの街・デルフト(おらんだサトン事件帖11)

 東京で「マウリッツハイス美術館展」が開催されたのは、もう一昨年のことである。フェルメール「真珠の耳飾りの少女」が突出した人気を誇り、武井咲どんが同じ青いターバンを頭に巻いたコスプレで大活躍。いやはや、ホンのひと昔前には画家フェルメールを知る人はそんなに多くなかったはずだが、今や日本人の好きな画家のトップ5に入る勢いだ。
 コスプレとは、コスチュームプレイの略であって、何だか「怪しいな♡」という気分がつきまとう。しかしそれはアニメやフィギュアが全盛の21世紀日本だからであって、本来は歴史物の演劇や映画のこと。ハムレットやクレオパトラやサラディンがポロシャツとジーンズで走り回ったら異様だから、その時代のコスチュームでプレイさせる。それだけのことである。
 コスプレ映画を観ていると、今井君なんかは毎度毎度「アメリカ人でなくてよかったな♡」と実感する。古代ギリシャ人も中世アラビア人も23世紀の宇宙人も、みんな素晴らしく流暢な21世紀の英語で議論する。こりゃやっぱり恥ずかしいでござるよ。
 ラッセル・クロウがローマのグラディエーターの衣装で大活躍し、ローマ皇帝のカッコをしたホアキン・フェニックスが、グラディエーターをワナにはめようと暗躍する。それが全部「流暢な英語」なのである。
 ローマ崩壊のキッカケになった悪帝も、元老院の貴族たちも、エチオピアから売られてきた奴隷も、アレクサンダー大王のママ役のアンジェリーナ・ジョリーも、マコトに流暢な英語で議論を戦わせる。昔の人はきっと、みんなこぞって「英語のシャワー」を浴び、古代のお城や館には、英会話教材の山ができていたらしい。
新教会
(デルフト新教会と市庁舎。映画「真珠の耳飾りの少女」は、まさにこのシーンから始まる)

 これをもし日本人&日本語でやられたら、恥ずかしくて目も当てられないんじゃないか。今井君はそういう時代がやってくることを危惧するのである。仲間由紀恵のクレオパトラが竹中直人のカエサルを翻弄したり、堺雅人のアントニーと狂乱の日々を過ごしたり、そういう映画が始まったら、そりゃまさに「えらいこっちゃ」であって、さぞかし映画館から足が遠のくだろうと思う。
 その逆を考えても、やっぱり恥ずかしい。「逆とは?」であるが、「日本のお芝居をハリウッド俳優が英語で演じだしたらどうなるだろう」ということである。
 オーランド・ブルームが源義経、スカーレット・ヨハンソンが静御前。ラッセル・クロウが弁慶で、ドン・チードルが平清盛、ジョージ・クルーニーが後白河法皇。そういう俳優陣をズラリと並べて「HEIKE MONOGATARI」「THE TALE OF HEIKE」なんてことになったら、我々は平気で耐えていけるだろうか。
 俳優陣と入力したつもりが、Mac君は「ハイ友人」と変換してくれる。しかしそういうのも、「THE TALE OF HEIKE」に比べたらまだ気楽なものであって、すでにベンジャミン・ウッドワードというヒトが、平家物語の英訳をだしていらっしゃる(ジャパンタイムズ社)。その冒頭が、
The sound of bells echoes through the monastery at Gion Shoja, telling all who hear it that nothing is permanent.
というのである。
 どうだい、映画の冒頭、ジョージ・クルーニーどんのシブーい声で「The sound of bells echoes …」。平家物語の語り手を後白河法皇にしちゃって、大原に向かう輿の中で寂れた京の街を眺めつつ、クルーニーどんが源平の戦いを回想する形式。ま、悪くないかもしれないが、カンペキに冗談にしか見えないじゃないか。
12905 市庁舎
(デルフト、マルクト広場から眺める17世紀の市庁舎)

 今井君の目に、ほぼ同じように見えたのが2003年のイギリス映画「真珠の耳飾りの少女」(原題:Girl with a Pearl Earring)。コリン・ファレルがフェルメール、スカーレット・ヨハンソンが青いターバンを頭に巻いたコスプレで「真珠の耳飾りの少女」を演ずる。
 画家の家に新しくやってきたメイドに絵の才能があり、その才能を見抜いたフェルメールがこのコスプレを頼み込む。口☞半開きの怪しいコスプレであるが、この着想、トレイシー・シュバリエという作家が書いた小説に基づくものであるらしい。
 うーん、なかなかやるじゃないか。小説家を目指す若い諸君、絵画を眺めては構想ないし妄想をめぐらせ、そこから短編なり中編なりを制作してみたまえ。21世紀日本文学の世界では「何気ない日常」を描かなければならないことになっているみたいだが、そういう荒唐無稽な妄想も、200年か300年経過すれば、フェルメールみたいに突然の脚光を浴びる可能性だってなくはない。
12906 旧教会
(傾いた塔で有名なデルフト旧教会)

 さて、4月17日の今井君は、アムステルダムから電車に乗って約1時間、フェルメールの街♡デルフトにやってきた。ここまでの長広舌は、諸君、何のことはない、この日の旅行記を書くための前置きに過ぎなかったのである。
 もしもマトモな人なら、「大好きなフェルメールに再会するために、デルフトにやってきました」ぐらいの入り方をするところだが、そういうのは朝日放送「朝だ!! 生です!! 旅サラダ」に任せておけばよくて、今井君みたいな古狸になると、さすがにそうは問屋が卸さないのである。
 デルフトの駅に着いてすぐ、3つの異様な光景に出会った。
① 切符を買わずに電車に乗ってきた12歳ほどの少年が車掌さんに取っ捕まった。車掌さんたちの剣幕がものすごい。「極悪人を捕らえた」という勢いである。諸君、切符はチャンと買いましょう。
② 駅前に山積みにされた自転車のヤマは、こりゃいったい何なんだ? オランダ全国、どこへ行っても自転車の数はハンパじゃない。自転車で街が埋め尽くされている。デルフトも例外ではなかったのである。
③ あれれ、教会の塔が異様に傾いている。ボローニャでもヴェネツィアでも傾いた塔「トッリ・ペンデンティ」には慣れっこだが、デルフトもずいぶん傾いたもんでござるね。
 ま、以上の3点である。今日もMac君は絶好調であって、「キップを買わずに」☞「キップを蛙に」と来たものだが、キップをカエル君にあげて、キミはどうするつもりなの?
12907 お墓
(フェルメールのお墓。デルフト旧教会の中にある)

 さて、全速力で走り回る自転車の車列を避けながら、クマどんはまず傾いた塔の「旧教会」に向かう。駅前からハーグ行きのトラムが走っているが、その線路に沿って10分ほど、風車が一つ目の前に見えたところで右折すると、デルフト焼きのベンチがいくつか置かれた静かな公園があって、旧教会はその先である。
 近くに寄ってみると、塔の傾きはほとんど気にならない。塔でも家でも、国でも都市でもニンゲンでも、遠くから無責任に眺めて「傾いてる」と冷笑するか、それともすぐ近くに寄って親しく付きあってみるか、その辺はそのヒトの好みの問題。今井君は、どちらかと言えば後者が好きである。
 教会の中は閑散としている。そもそもデルフトの街全体がマコトに穏やかな雰囲気であって、フェルメールの絵というものは、あんまりコスプレなんかでチヤホヤせずに、この閑散とした田舎町の昼下がり、木漏れ日を浴びながらノンビリ眺めるのが本来なんじゃあるまいか。
 13世紀に建てられたというこの旧教会の中に、フェルメールのお墓がある。美しいステンドグラスはあるが、そこから入り込む昼の光はさほど騒がしいものではないので、フェルメールもさぞかし気持ちよく眠っていることだろう。教会の中に人影はまばら。なかなかお墓までたどり着くヒトもいないようである。
12908 運河
(デルフト、運河の風景。手前が問題の白い鉄パイプ)

 旧教会を出て、細い運河沿いにマルクト広場を目指す。映画「真珠の耳飾りの少女」は、メイドの役のスカーレット・ヨハンソンが、この運河をわたってマルクト広場に入ってくるシーンで始まる。市庁舎の角を曲がって、目の前に新教会の塔が見えてくる。こちらの塔はしっかり垂直に立っていて、広場から眺める限り、間違いなく「ビシッと90°」である。
 今日のうちにぜひ、この映画を観ておいてくれたまえ。実際にデルフトでロケを行ったそうなので、今日の写真の運河も画面に登場する。その際、16世紀にあったはずのない手摺の白い鉄パイプも写り込んでしまっているから、その辺のご愛嬌にも注意。映画って、ホントに楽しいですね。
 
1E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPOHONY No.3
2E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPOHONY No.3
3E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.2
4E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2
5E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
total m155 y1275 d14205