Mon 140714 久しぶりのアムステルダム滞在記 中央駅前を彷徨(おらんだサトン事件帖5) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 140714 久しぶりのアムステルダム滞在記 中央駅前を彷徨(おらんだサトン事件帖5)

 「もしもし、オランダの旅行記はどうなったんですか?」と尋ねられ、真夏のクマどんはふとギクリとして立ち止まる。「そう言えば、そんなのもあったな」である。
 2014年4月、クマどんは確かに2週間に渡ってアムステルダムに滞在し、海を干拓してできた狭い国土を縦横無尽に走り回って、半月は夢のように過ぎた。6月、その旅行記を書きはじめて、4回目までは順調に書き進めた。
 しかし諸君、その後は全国行脚の日々に突入。合計30回以上、全国の街を闊歩してはノドを嗄らして大演説を行い、大演説の後は旨いものに舌鼓を打ち、ついでに旨い酒もたらふく飲んで、クマの太鼓腹は毎晩ポンポコ&ポンポコ快い響きをあげた。
 毎年毎年、夏はそんなふうに過ぎていく。そのまま河口湖での合宿に突入し、合宿が終われば授業収録の嵐が待ち受けている。ニコニコ暢気に「オランダを旅してきました」だの「おらんだサトン事件帖」だの、物理的にも精神的にもそんなヒマは残されていないのだ。
 ついでに、今年の場合は「サッカー」という+αが紛れ込んだ。今井君はラグビーの次に野球が好き、野球の次にお相撲が好き。しかしその3者の間に微妙な感じでサッカーも絡んでくるので、日本が出ない試合でも夢中になることは少なくない。
 ヨーロッパ旅行中は、夜の時間帯をサッカーやクリケットやダーツの観戦で費やすしかないこともある。意外にクリケットが面白くて、サッカーが2の次になることだってあるが、さすがにワールドカップとなれば別格だ。オランダ旅行記がどんどん後回しになっても、まあ不思議はないのだ。
街並み
(オランダの典型的な町並み。どこに行っても、こういう可愛らしいオウチがズラリと並んでいる)

 気がつけば、最後にオランダ旅行記を書いたのは、6月17日である。諸君、まだあの頃はよかった。コロンビア戦の敗戦の結果「1次リーグ敗退」の絶望が日本を覆うのは、まだあの後であった。みんなで「奇跡は起きる!!」「ミラクルを待とう!!」と手を取り合っていた幸せな時代だったのだ。
 しかし諸君、再びクマどんがオランダ滞在記を書きはじめる時がやってきた。もちろんまだ全国行脚は続いている。これから福岡に向かい、7日夕方は筑前前原でお仕事。10日には「熱いぜ!! 熊谷」が待ち受けていて、おそらくカッカと燃え上がって40℃をうかがう熊谷に突撃。20日には同じように「熱いぜ!!」な群馬県前橋も控えている。
 吉祥寺での授業収録だってなかなか激烈だ。11日が明治大(文)、12日は早稲田大(文)。18日が早稲田(法)、22日が早稲田(政経)、25日が早稲田(国際教養)。マルセイユに旅立つまでには、難関に次ぐ難関が待ち受けていて、今井君に精神的な余裕はなかなか与えられない。
 しかしようやくのことで、4月のオランダを振り返る余裕ぐらいは蘇ってきた。困難はむしろ読者のほうにあるんじゃないか。諸君、今日から久しぶりのオランダ旅行記に突入するとして、ついていける気持ちの余裕はあるかね? もし自信がないとしたら、ブログ中欄の「旅行記」から一番上の「おらんだサトン事件帖」をクリックし、「ウワバミ文庫」で過去5回分を読んでおきたまえ。
中央駅
(アムステルダム中央駅。東京駅のモデルと言われている)

 もっとも、書いている今井君自身が呆れてしまうのだが、5回も書いたクセに旅はまだ始まったばかりだ。
 羽田からANAのヒコーキでフランクフルトに飛び、ルフトハンザに乗り換えてオランダ・スキポール空港に到着。ホテルにチェックインする前に地元民の集まるマーケットに出かけ、雨の中チキンを貪った。5回も書きまくってまだチェックインさえしていないというのだから、マトモな人なら絶望の思いで、天に向かってコブシでも突き上げてみせるところだろう。
 しかし諸君、「マトモ」なんてのは下らんのだよ。もしもマトモがよかったら、小説も演劇もオペラも脇において、ひたすら日常茶飯に邁進するがよろしい。マトモばっかじゃ飽き飽きするから、他人のブログに興味をもつのであって、来る日も来る日も仕事ばっかりのマトモなヒトが、常識的日常とは別の視点で世の中を眺めてみるためにこそ、読書というものがこの世に存在するのだ。
風向計
(時計だと勘違いするが、針がグルグル回っていてビックリする。これは風向計。さすが風の国オランダである)

 A4版3枚ずつ5回も書いて、まだチェックインしていない。おお、素晴らしいじゃないか。「いったいこのクマ、いつまでチェックインを引き延ばすんだ?」という興味が、真夏の入道雲よろしくムックリ&ムクムク沸きあがるところである。
 諸君、楽しみにしていてくれたまえ。チェックインの記事は、おそらく8月14日か15日だ。それまで今井君は、冷たい雨のアムステルダムを延々と彷徨し続ける。「あれれ、まだ1週間近く待たないとホテルにチェックインも出来ないの?」という不安感こそ、外国旅行の醍醐味なのだ。
 4月15日、地元民が集まってチキンやニシンをワシワシやっているマーケットを後にしたクマどんは、その足でそのままトラムに乗り込んで、アムステルダム中央駅に向かった。16番か24番のトラムに乗れば、10分ほどで中央駅に着く。おお、いきなり大胆であるね。
中央駅構内
(駅の内部は重厚な雰囲気である)

 途中、アムステルダムの街を同心円の半円形に包み込む運河を6つも7つも横断するが、もともとアムステルダムは、海の中に1人の漁民が泥を盛り上げて作った泥の島が起源。「天と地とは神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と、国民が笑顔で傲然と言い放つ。オランダとは、そういう自信に満ちた国である。
 中央駅は、東京駅のモデルになったと言われる赤煉瓦の美しい建物で、1889年に完成。日本では大日本国憲法が公布された年である。おお、さすがに江戸時代以降の鎖国の時代に、延々と日本の模範を務めてくれた日本の師匠だ。
 駅舎内部も重厚な雰囲気。Suicaにほぼ匹敵する機能を誇る「OVチップカード」が日本並みに普及して、天井にひっかかるほど背の高い人々が、自信タップリの笑顔で闊歩している。
ダム広場
(中央駅から5分、「ダム広場」でニャゴの像を発見)

 駅から徒歩5分の「ダム広場」も大混雑である。1週間後の大祝日「国王の日」を控え、オランダ国民が続々とアムステルダムに集結中であるらしい。「コーヒーショップ」「飾り窓地帯」など、悪しき評判もフンプンの街であるが、自信と活気については、「東京に劣るとも勝らない♡」という意気軒昂ぶりである。
 ダム広場中央に立つのが、第2次世界大戦の戦没者慰霊塔。そうだ、考えてみればオランダは、かつて日本を取り囲んだ「ABCD包囲網」の一角だったのである。今ここに立ってクマどんの脳裏を様々な思いが駆け巡るけれども、とりあえずダム広場で発見したニャゴに、丁重な挨拶をしておきたい。
 ニャゴの周囲は、いろいろと危険のカホリが渦巻いている。東には悪名高い「飾り窓地帯」。駅前やダム広場周辺は「ニセ警官」がたくさんうろついているという情報がある。確かにここはかつてヒッピーのたまり場で、「アシカの丘」とも呼ばれていたあたり。ヒッピーが寝転んでいる様子をアシカに例えたわけである。
 何となく「長居は無用」な感じがするのは、到着直後の街にまだ馴染んでいないだけにすぎないのだが、今井君は危険のカホリを避けて1本右の道に入った。すると諸君、何のことはない、そこには銀座や渋谷のショッピング街と変わらないマコトに穏やかで平和な空気に満たされていたのであった。

1E(Cd) RUSSIAN MEDIEVAL CHANT
2E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2
3E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
4E(Rc) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPOHONY No.8②
5E(Rc) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPOHONY No.2
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