Thu 140710 過去問解説しながら思うこと マスメディアの責任 大学入試は良問ぞろい | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 140710 過去問解説しながら思うこと マスメディアの責任 大学入試は良問ぞろい

 8月下旬の今井君は、南フランス・マルセイユに長期滞在を予定。その前に出来るかぎりマジメにお仕事をこなしておかなければならないから、出張の間を縫って「2014年過去問解説」の収録を精力的に進めていく。
 2日が熊本大、3日が名古屋大。11日が明治(文)、12日が早稲田(文)。その後も、早稲田大の法☞政経☞国際教養と続く。諸君、いくらウルトラ♡ベテランの今井君と言えども、このレベルの入試問題を解説するとなると、タップリの予習が必要。何しろ半永久的に残る映像授業だ。みっともないことは絶対にできない。
板書
(アナログな板書の授業。おお、文字が余りに美しい)

 「日本人は英語が出来ない」という話題になると、とにかく真っ先に槍玉にあげられるのが大学入試であり、「そのお先棒を担いでいる」と、もっと悪者にされているのが予備校だ。いやはや、マコトに理不尽な話である。
 「日本人は英語ができない」と言うなら、入試や予備校よりもむしろ、英語学習法と熱意を問題にすべきだ。「学習法本がこんなに売れ、英語教材も飛ぶような売れ行きなんだから、日本人は英語学習に熱心」。マスメディアのヒトビトはそんな勘違いの世論を形成しようとするのであるが、売れ行きがいいのは要するに日本人がカネモチだからであって、熱意なんかちっとも証明していない。
 熱意があれば、一つの学習法を貫き、1つの教材を最後まで夢中でやり遂げて、強靭な英語力をつけているはずなのである。日本で販売されいる英会話教材は、どれもこれもタップリ工夫を凝らし、「ほほぉ!!」とタメイキの出るようなものばかりである。
 熱意と努力が中途半端だからこそ、あれからこれへと浮気を繰り返し、「これも入門編だけで飽きちゃった」「あれも途中で投げ出した」「結局どの教材も10日でヤメちゃった」ということになる。最後まで徹底してやり遂げなかった語学教材が、押し入れに山積みになってるんじゃないか。
 そんな浮気ばっかりだから、「英語が口から溢れ出す」という割に、「Thanks」と「Hello」と「Good morning」ばかり変に元気なだけだったりする。中学校や高校の英会話教育に不満があるなら、もっと徹底して英会話教室に通い続ければいい。大学の英会話教育が不十分なら、大学付属の語学研修所に通えばいい。それでも不満なら、思い切って1年でも2年でも海外留学してくればいい。
今井君
(スタジオの今井君)

 世論ではなかなかそういうことにならなくて、「こんなにオカネをつかったのに英語が話せるようにならない」☞「大学入試と予備校が悪い」と、よく分からない短絡反応ばかりが幅をきかせる。
 すると、今井君が解説授業を展開する8月2日の熊本大や8月3日の名古屋大なんかは、まさにマスメディアの槍玉だ。40分かけて40行前後の英文を読めさえすれば、これほどの名門大学に合格できちゃうのだ。設問を解くのに20分タップリかけるとしても、読解のほうは「2行を1分」「1行30秒」という恐るべき遅読でOKだ。
 すると、英語の読解は「時間との勝負」「スピードが全て」「速読力で決まる!!」と考えているヒトビトがこぞって批判に回る。「そんなにゆっくりやってるからダメなんだ!!」というわけである。
 しかし諸君、大学と英会話学校を混同してはならない。大学とは、じっくり読書する場所である。もちろんその読書がネットで行われても構わない。人生の基本となる東西の古典をじっくり読み込み、みっちり読んだ書物を材料に、しっかりした論文の書き方と意見の述べ方を身につける場である。
 その入口になる英語の入試で、「しっかり&じっくり&みっちり」な感じの落ち着いた思考力を試したいと考える出題者の気持ちは、マコトに健康なものである。自らが勤務する大学キャンパスがケーハクなペラペラ英語で満たされるより、真摯に重厚に思索を重ねる青年で満たされることを希望しながら入試問題を作成する。素晴らしいことだと思う。
 京都大や大阪大を中心とする関西の国公立大学の入試問題を眺めていると、「真摯で重厚な思考力」を試すのにマコトに素晴らしい問題を作成しているのを感じて、クマどんは快哉を禁じ得ない。今年もまた担当することになった名古屋大・熊本大・早稲田大・明治大も、「おお、重厚でござる!!」という喜びでは決して負けていない。学部入試としてはどれも「良問」と言っていい。
用心深い
(あくまで用心深い視線のナデシコ)

 こんなことを書くと、「時代に逆行している」と言われかねない。しかしもしホントにその大学が重厚な読書力より英会話能力を求めているなら、それこそ独自入試なんかスッパリ止めてTOEICなりTOEFLなり英検を利用すればいい。
 おそらく2014年の段階では、その方向性がみんなにとって最もシアワセ。受験生もマスコミの論客も大学教官の皆様も、TOEFL利用を心待ちにしているだろう。「各大学が別個に入試問題改革に挑まなければダメ」みたいな論法では、1つ1つの大学にかかる負担が大きすぎる。
 マスメディアの論法だと、「とにかく国民の頭に『大学入試が第1』という意識があって、大学入試が変わらないと英語教育も変わらない」ということになっている。今井君としては、「ならばマスコミが、その国民意識を変える努力をもっとマジメにするべきなんじゃないか」と言いたいのである。
 「大学入試を変えなくちゃ」とマスメディアが言いはじめたのは、おそらくもう50年も以前のことである。半世紀にわたって、社説にコラムに特集記事に、長期にわたる戦略の中で様々な戦術を駆使して「変えなくちゃ」「変えなくちゃ」「英語教育を変えなくちゃ」と叫び続けてきた。 
 テレビの世界も同じこと。「大学入試があるからダメなんだ」「入試英語のせいで日本人はダメになるんだ」と、ニュースキャスターが薄ら笑いやケーハクな冷笑を浮かべながら語りかけ続けた。
 にもかかわらず、「大学入試が第一」という国民意識はどうしても変わらない。するとまるで国民自身が悪いかのように「世論が旧態依然としているからダメなんだ」とツブヤく。メディアが自らの無力を棚に上げ、開き直っているようにしか思えない。メディアの仕事は、健康な世論を後押しすることである。半世紀もかけた努力が全く実らないなら、まずその無力を反省すべし。
 朝日新聞みたいに、「大学入試がダメなんだ」とキャンペーンを続ける一方で、「朝日新聞からこんなに大学入試に出題されてます!!」と大宣伝にウツツを抜かすようでは、お話にもならないというか「冗談ですか?」というか、国民意識は逆流して「やっぱり大学入試が第一」「キレイゴトを言ってちゃいけないんだな」と硬直化する一方だ。
綿
(あくまで脱脂綿の山のつもりのニャゴロワ)

 大学入試とは、「この大学で学ぶ資質があるかどうか」を判定するものである。だから、じっくり読書する能力を不可欠の資質と考える大学が、英会話能力を脇においてでも読書能力を試そうとするのは、決して間違っていない。
 さらに、もし英会話能力を「この大学で必要とされる資質」と考えるとしても、ならばなぜ入口で会話能力の有無を試さなきゃいけないのだ? これから大学で鍛えるつもりで来たのに、「その力がないんじゃ入学できません」って、変じゃないか。
 それはちょうど、運転免許をとりに教習所に出かけたら、「運転できない人は入学資格がありません」と門前払いを食うようなもの。料理学校に入るのに「タマゴ焼きも作れない人は、すぐにオウチに帰ってください」。今井君はやっぱり変だと思うのだ。
 さらに予備校講師としては、
「君たちの受験する入試は、君たちの将来にとって全く無意味なんだ」
「こんな入試に夢中だから、あなた方はダメなんだ」
「これはサイアクのテストだよ。こんなの受けてたらどんどんダメになるよ」
みたいな発言は絶対にしたくない。
「大学で学ぶ基礎能力をしっかり試すために、教官たちが時間をかけて練りに練った良問ばかりだ。しっかり研究したまえ。必ず力がつくよ」
と、笑顔で熱く語りたい。
ナデシコ
(ネコとは、ヒゲも眉毛も長いものでござる)

 実際、センター試験でも東京大学でも、京大も九大も北大も、早慶も名大も阪大も、実際に問題をじっくり予習してみると、出題者のマジメな出題意図がハッキリと見て取れる。
 そしてそれが万が一時代の要請とズレているとしても、それでは「時代の要請に迎合すること」ばかりが大学教官の仕事なのか。時代の直接的要請に合わないとしても、「一歩そこから退いて深い思考に身を委ねる勇気を忘れない、余裕と自信を持った教育こそ100年200年のスパンでは不可欠」と信じる大学があるのは素晴らしいことじゃないか。
 以上のように悩みに悩んだ後、クマどんはやっぱり自信タップリの笑顔で今日も授業に向かうのである。速読でなくていい。スピード勝負でなくていい。じっくり考え、じっくり答案を練り上げて、それを教官にじっくり採点してもらえばいい。
 慌てずにそういう努力をつづければ、必ずグローバルな舞台でも信頼されるコミュニケーション能力が身につく。意味もないことをケーハクにベラベラ喋りまくるのは、コミュニケーションでも何でもない、ただの英語パフォーマンスに過ぎないのだ。

1E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
2E(Cd) Backhaus(p) Böhm & Vienna:BRAHMS/PIANO CONCERTO No.2
3E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 1/2
4E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 2/2
5E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.1
total m65 y1185 d14115