Mon 140707 最終日の夜の過ごし方 深夜の和気靄靄をガマンする 朝の富士に感激する | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 140707 最終日の夜の過ごし方 深夜の和気靄靄をガマンする 朝の富士に感激する

 7月29日、というか7月30日、合宿最後の授業が終わった後の生徒たちは、そのまま午前4時まで個別学習を継続する。今井君は「では、午前3時半ごろに様子を見にきますね」と告げ、あとは412号室のネグラに帰って朝を待つ。

 しかしその「朝を待つ」が意外にツラいのである。お部屋に帰ったのが29日午後11時すぎ。再び教室を訪れるのが3時半とすると、ネグラでじっと待ち続ける時間は4時間半。マコトに中途半端な時間が目の前に横たわる。

 考えられるのは、まず「読書」。こういう場合に備えて、分厚い文学全集を1冊持参した。モーパッサン「女の一生」「死の如く強し」「脂肪の塊」などである。しかし諸君、こりゃいかん。つまらなすぎる。昭和中期の日本を席巻したフランス文学も、21世紀の河口湖畔で5時間近い長丁場を支えることはできない。

「これが、ゾラだったら」という思いはある。ゾラは面白かった。「居酒屋」「ナナ」「ジェルミナール」。5時間はおろか、丸1日だって読んでいて読み飽きなかったかもしれない。

 しかし体質に合わないのか、モーパッサンはどうもダメである。「女の一生」、特にこれはいかん。16歳だったか17歳だったかまで修道院で育てられ、夢と希望でパンパンだった貴族の娘が、夫に裏切られ、召使いに裏切られ、友人に裏切られ、母に裏切られ、父にも神父にも民衆にも信頼を寄せることができず、やがて子供も離れていく。

 要するに夢に裏切られるのである。「それが女の一生だ」とモーパッサンは慨嘆の調子で主張し続けるのだが、20世紀日本のポエムみたいな文体が、いやはや、何とも面倒くさい。体言止めに倒置が多すぎ。ヤタラにふりまかれる「あの」という指示語もメンドー。「現代文が得意です」と豪語する中3男子が書いた作文みたいな、「あの」雰囲気であるね。
猫Tシャツ
(最終日はネコのTシャツ。ニャゴロワとナデシコが懐かしい)

 というわけで、まず今井君はモーパッサンを10分であきらめた。すると、一気に5時間の重さが増してくる。「ひと寝入り」という手もあるが、こんなに疲れ果てている状況で自由自在に「ひと寝入り」なんてのは難しい。スヤーッ♡にいったん身を任せれば、目覚めるのはおそらく明日朝7時か8時になってしまう。

「3時半に様子を見に来ます」と約束した以上、何が何でも3時半には教室に姿を現したいじゃないか。だから「ひと寝入り」も厳禁。選択肢はどんどん少なくなっていく。「ネットをカチカチ」でもいいが、そもそも今井君は「ネットをカチカチ」が一番キライ。最初からそんな選択肢はないのである。

 そこで「いっそのこと、今からもう教室に行っちゃおうかな」と、一瞬ウキウキしながら考える。教室に行って、この4日間ですっかり馴染みになった生徒諸君とジャレあって過ごせば、あっという間に明日の朝が訪れる。

 大昔の今井君は、そういう過ごし方をすることもあった。生徒もスタッフも大いに喜んで、「先生が朝まで付き合ってくれた」「質問にも丁寧に答えてくれた」「勉強法もいろいろ教えてくれた」「人生相談もできた」など、感謝♡感謝♡大感謝の笑顔が並んだものである。
深夜
(深夜の黒板。時計が差しているのは「早朝の」3時半である)

 「またあれを復活させるかな」。毎年毎年、一瞬ではあるが心をウキウキさせるその思いと戦うことになる。教室に行けば、質問の列がズラリとできるだろう。昔からお馴染みのたくさんの質問が続くだろう。ウルトラ♡ベテランのクマどんとしては、「同じ質問にもう100回近く答えてきたな」という懐かしさに胸が躍る。

 しかしそんなんじゃ、「子離れが出来ていない」というのと同じであって、生徒たちの列を前にいつまでもデレデレ&ニヤニヤしてるようじゃ、ハッキリ「ダラしない」の一言で片付けられてしまう。ここはそういう和気あいあいをグッとガマンして、生徒たちの自立した学習を促さなければならない。

 諸君、和気あいあいとは「和気藹藹」であり「和気靄靄」であって、いやはや、漢字もコムズカシイ。「藹藹」も「靄靄」も、さらに「靉靉」もアイアイであって、思わず「お猿さんだよ」「おさーるさあーんだよー」と歌いだしたくなってしまう。

 辞書を調べてみるに、「草木がコンモリと茂った様子」「雲や霞が穏やかにたなびくさま」「うちとけたなごやかな気分」を示す形容動詞である。ははーん!! 漢字の中にどうも雲やらアメカンムリやらがモクモクしてると思ったら、やっぱり雲や霞が関わっているわけね。

 むかし長与善郎という小説家がいて、「竹沢先生といふ人」という名作を残した。1925年、大正14年の作品である。今井君の父・今井三千雄が大正14年の生まれだから、まさに古色蒼然たる小説であるが、その中に「藹藹たる性格の人物」なんてのが登場する。何となくオサールさんみたいで可愛いでござる。
音読
(早朝4時の音読風景)

 閑話休題、本題に戻ると、とにかく今井君としては生徒諸君の自立した学習を邪魔しないように、この時間帯に教室を訪れるのは厳禁。親切な熱血講師、親身の指導に身も心も惜しまない教師、何となく理想のセンセみたいに見えるが、少なくとも今夜のところはそのデレデレした熱血教師的行動を慎むことが肝腎なのだ。

 というわけで今井君は、午前3時半までの5時間を「予習」に費やすというマコトに平凡な過ごし方をした。合宿から帰ったら2日間だけ身体を休め、8月2日と3日が吉祥寺のスタジオで授業収録。その後は再び全国行脚の開始。今のうちに予習を終えておかないと、収録がブザマなアリサマになりかねない。

 午前3時半、今度は予習のせいでヘトヘト&ヨレヨレになりながら、やっとのことで教室を訪れた。100人の音読はまさにクライマックスを迎えていて、7階の宴会場「よいまち草」周辺では、音読の迫力はもう「地響き」に近いものがある。
午前4時
(富士、午前4時半)

 ホテル全館を借り切っているからいいが、これで万が一他の宿泊客がいらっしゃったらたいへんだ。3年前だったか、何の手違いか若い中国人家族の3人が合宿の最中に宿泊していた。この地響きじゃさぞかしビックリして、中国への土産話にもいろんな尾ヒレがくっついたに違いない。

 第1期もそうだったが、少なくともハイレベルクラスには眠そうな顔は皆無である。身振り手振りを加えながら音読する者もいるし、椅子の上に立ち上がって音読する者、廊下を行ったり来たりして声を張り上げている者など、すっかり音読が板についた感じだ。

 こうして深夜の教室にクマどんの姿が現れると、昔はどうしても学習相談や人生相談の列ができたけれども、今は「そんなことをしている間に、3ページでも5ページでも多く声を出して読みなさい」という指導がカンペキに行き届いて、むしろ「センセは何しにきたんだ?」という怪訝そうな顔も見られるぐらいである。
午前5時
(富士、午前5時)

 午前4時、「Try get some sleep」の指示が出ると、生徒諸君は粛粛とお部屋に戻っていく。その移動中にも、私語さえ全く聞こえない。「もっと音読を続けたい」「徹夜で勉強を続けたい」と、場の雰囲気に負けて哀願する生徒が昔は多かったが、わずかでもいいから睡眠をとることの大事さは、口を酸っぱくして繰り返さなくても、もうとっくに浸透しているようである。

 あんまり生徒たちが成長しちゃったのが何だか寂しい気もするが、今井君もスゴスゴ黙ってネグラに帰り、「ふー、今年もまた終わったな」と深くタメイキをつく。

 毎年ここでカーテンを開いて、朝の富士を眺めることにしている。湖はまだ眠たげで、対岸はまだ夜の闇の中。ホテルの灯りが湖面に移って緩やかに揺れている。空は藍から青へ、青から濃い水色に変わり、富士の東側がほの赤く染まりはじめる。

 そのままクマどんは5時までお部屋でブラブラ過ごし、合宿10日分の様々なエピソードを懐かしく振り返ってみる。もちろん、間もなくスイマちゃんが姿を現し、クマどんは気を失うようにその巨体をフトンに預けるのである。

1E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 2/2
2E(Cd) Lucy van Dael:BACH/SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD 1/2
3E(Cd) Lucy van Dael:BACH/SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD 2/2
6D(DMV) DREAM GIRLS
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