Mon 140630 定点観測 ①梅雨明けが3日早かった ②この10年の目覚ましい進歩&向上 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 140630 定点観測 ①梅雨明けが3日早かった ②この10年の目覚ましい進歩&向上

 10年、同じ場所&同じ日程で同じことを繰り返していれば、それはもう立派な定点観測であって、普通なら気づかないような状況の微妙な違いも、深く身にしみて感じさせられるのである。

 まず、ごくカンタンなことから言えば、今年は富士山周辺の梅雨明けがいつもより3~4日早かった。いや、もちろん正確な情報は気象庁がもっているのであって、その正確なデータでは実際どうなっているのか、今井君なんかの感知するところではない。

 しかしこの10年、合宿の始まりの日の富士山は、必ず分厚い梅雨の雲に隠れていた。7月21日、クマどんが宿舎入りする頃には、窓から見渡す湖面にどんよりと雲が垂れ込め、湖の上を冷たい霧が流れていったりした。

 梅雨がスカッと明けるのは、例年7月23日か24日、「合宿第1期ももうすぐ終わりだな」という日のことである。5日間、生徒たちはほぼ完全に教室にカンヅメの状態。窓を明けて外を見たり、湖の向こうの雄大な富士を仰いで歓声をあげるような、その程度の余裕すら与えられない。

 だから、梅雨明けを知らずに最終日25日を迎えるのである。感激の閉講式を終え、荷物を引きずって帰途につく時、宿舎の玄関まで出てきてやっと、湖の梅雨明けと富士の雄大な姿とに気づく。「お!!」「おおお!!」という絶叫と歓声が広い玄関を満たすのが、例年の25日である。

 ところが諸君、今年は合宿入りした21日正午の段階で、すでに梅雨明けが直前に迫っていた。富士もすでに雲の間に見え隠れし、湖の水面も明るく輝いて、湖畔では夏休みの賑わいが始まっていた。定点観測者なら誰でも、「梅雨明けが3~4日早く来たんだな」と実感したはずである。
ハーバード
(今年の合宿はこのTシャツから始めた。2013年4月、ハーバード大学のショップで買った)

 もう1つ、定点観測者として気づいたことがある。生徒たちの学力の著しい向上である。ただし、これは正確には定点観測とは言えないのであって、観察する対象が毎年必ず入れ替わるのでは、科学的には本来「定点」とすら呼べない。もちろんクマどんだってそのぐらいのことは分かっている。

 しかし少なくとも、今井君の担当するクラスは10年間変わらず「H1クラス」。ハイレベルクラスが5クラスぐらいあるうち、4月から6月の模試の成績合計がトップの「1組」である。さらにその上に少人数のHH(スーパーハイレベル)が存在するけれども、まあ最優秀の諸君であることは変わらない。

 そのH1クラスの生徒たちの学力が、同じ位置づけのクラスであるにも関わらず、10年前とは比較にならないほど高くなった。別にデータに基づいて言っているわけではない。あくまでウルトラ♡ベテラン講師の勘に過ぎないのであるが、文法的にも語彙的にも読解力の面でも、思わず「いやはや」と呟いてしまうほどの変化を感じる。
富士山
(富士山に夏の雲がかかった)

 例えば、「関係副詞節」の話になったとする。10年前の生徒たちは、ハイレベル1組に所属するにも関わらず、「関係副詞節は、副詞節だ!!」と信じて疑わなかった。「だから関係副詞節の中では、未来のことは現在形でいうはずだ」と主張するのである。

 正確には「関係副詞で始まる形容詞節」であり、「名詞を修飾するんだから、形容詞の働きをしてるだろ?」と説明すれば、やがて全員が理解する。しかし最初のうちは、ほとんどの生徒はキョトンとしてしまい、「センセーが何を言ってるんだか、サッパリ分からない」という表情が並んだものだ。

 ところが諸君、今や状況はカンペキに変化してしまった。「関係副詞節を副詞節だと思っちゃう人がいるんだよね」と言っただけで、生徒たちから爆笑が起こる。しかもそれは冷笑とか失笑とか、そういうイヤらしい笑いではなくて、「センセーも冗談がうまいな」という、あくまで暖かく明るい笑いなのだ。
黒板
(10年、のべ100日、こういう黒板の前で苦闘を続けている)

 あるいは、「知覚動詞」「使役動詞」の説明になる。「近く同士」などと変換してフザケているMac君は無視して話を先に進めれば、10年前の生徒たちは「知覚動詞 ☞ 原形不定詞!!」「使役動詞 ☞ 原形不定詞!!」という短絡反応が定番だった。

 ここでもまたMac君は「不逞師」という変換でクマどんをクスぐってくるのであるが、ここは再びあえて無視。だって、いちいちかまってたら、キリがないじゃないか。

 オトナの皆さんも昔を懐かしみながら読んでほしいのだが、大学受験生の基本的な知識として、「第5文型のCに関する問題は、OCの関係で解く」というのがあるはず。つまり
  ①「OがCする」の関係なら、Cは不定詞
  ②「OがCしている」の関係なら、Cは…ing
  ③「OがCされる」の関係なら、Cは過去分詞
であって、4月にスタートする昔ながらの予備校なら4月下旬から5月上旬、「そろそろ欠席者が増えてきたな」と不人気講師が嘆く頃、講師が色とりどりのチョークでカラフルに板書して盛り上がる事項である。
挑戦
(教室に使う宴会場に、受験生を鼓舞する掲示が並ぶ。「挑戦めえ」って? もちろん諸君、縦に「挑め」「戦え」と読むのである)

 だから例え知覚動詞でも②の関係ならCは…ing形になるし、例え使役動詞でも③の関係ならCは過去分詞になる。ところが諸君、いくらバカ丁寧に説明しても、この説明を完全に拒絶する生徒はビックリするほど多い。

「そんなこと言ったって、知覚動詞なんだから、やっぱり原形不定詞なんじゃないか」
「そんな面倒なこと考えなくても、使役動詞だから原形って、サクッとわかるじゃないか」
「スピード勝負なんだから、もっとサクサク進みたい」
というわけである。

 それならまだいいほうで
「講師が答えを間違った。使役動詞の後なのに過去分詞を選んでいた。あの講師はバカだ」
みたいな書き込みが、ネット掲示板にデカデカと出たりすることだって、15年前なら珍しくなかった。

「原形不定詞!!」と大騒ぎするのは、①の関係だと決まった後である。「①の関係だから、不定詞にしよう。ところで、この段階でVを見てみると『知覚動詞』が使われていることに気づく。だから、不定詞にtoをつけてはならない」というのが正しい説明。「知覚動詞 ☞ 原形不定詞!!」という絶叫は、大切なプロセスを全て無視して、最後の部分だけ抜き出してしまった結果である。

 東進移籍当初は、こういう生徒が目立った。高校入試の塾で習った知識でアタマが完全に停止して、高校で学習すべきことを無視または拒絶してしまう。「使役動詞なんだから、原形不定詞!!」であること以外、どうしても受け入れられない。
準備
(宿の人もたいへんだ。300人分の夕食の準備となると、さすがに壮観である)

 10年前どころかホンの4~5年前でも、H1クラスにもそういう生徒が3割4割は混じっていた。ところが諸君、今やほぼ皆無なのである。100人のクラスで、「間違いました」と挙手した生徒はわずか1名であった。

 もちろん今井君は最良の羊飼いであるから、100の中に1でも存在すれば懇切丁寧に説明を惜しまないが、とにかくこの10年、生徒たちが着実に進歩し続けたことは間違いないのである。

 こういうことを書くと、すぐにマスメディアの諸君が噛みついてくる。
「そんな面倒な細かい文法知識ばかり身についても、コミュニケーション能力のほうはどうなんだ。話す力はちっとも伸びていないじゃないか」
「細かいことばっかりやってる受験英語が悪いのだ」
など、もう50年以上も怒鳴り続けているマスメディアの定番である。

 新聞やテレビこそ、実はもっとも古くさく、昭和の時代からちっとも進歩していないのであるが、そのへんのことはまた明日書くことにしたい。

1E(Cd) Harnoncourt:BACH/WEIHNACHTSORATORIUM 2/2
2E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1
3E(Cd) Brendel:BACH/ITALIENISCHES KONZERT
6D(DMv) THE INSIDER
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